幼い女の子が、初めて「枝豆の塩ゆで」を食べてみることになった。
大人の食べるところを見ていたら、サヤから緑色の豆が、ピッと飛び出てくるではないか。
そのことに興味津々で、「私もやってみる!」ということになった。
ところが、大人のように押し出せない。
机の上に置いて押してみたが、つぶれるばかりで豆がうまく出てこない。
彼女は幾度か試行錯誤したが、結局、どうにも豆が出てこず、そばにいた保育士さんに「手伝ってぇ!」とお願いした。
こうして「手伝って!」と言える子どもは、温かい家庭で育ち、親との信頼関係が十分に構築されている、と考えられるのだそうだ。
一方、この信頼関係ができていないと、子どもはすぐ癇癪を起こす。
枝豆にあたって乱暴に投げつける。カッとなって、まわりにいる子や大人にあたりちらす。
・・・わかる気がする。
確かに「手伝って」という依頼は、本来、相手が「手伝える能力の持ち主」であり、頼めば「やってくれる可能性が高い」ことが前提で発せられる言葉だ。
もちろん、嫌みや嫌がらせや、大人の社会では、深い意味を含むこともあるが、幼児にはそんな下心はない。
また一方で、幼児が「どのくらい試行錯誤したのか」も問題だ。
大人では考えつかないような手段を試みる、という過程も、助けを求めるのと同じくらい重要なのではないか。
1個の枝豆を前に、粘りに粘る子。
すぐ投げ出す子。
初めからトライしない子。
いろいろいていいと思う。
ただ、おそらくだが、「手伝って」と言えない子が圧倒的に増えている。
ついそんな想像をしてしまう。
・・・子育て現場を全く知らない者の、危惧であればと思うけど。
助けてと言えない今日も言えぬまま
鞠子