「落語」の魅力。
私にはよくわからないのだが、あの話芸は相当な訓練が必要だということは想像できる。
それも、単なる「テクニック」だけではなく、それこそ噺家の生きざまが投影されるであろうことも、十分想像できる。
笑福亭三喬さんという落語家が書いたエッセイを読んで、驚嘆した。
三喬さんのいる笑福亭松喬一門では、入門後、最初のネタから10本目までは、「耳で聞いて覚える」のだそうだ。
つまり、
師匠が噺の一部(約3分)を3回しゃべり、弟子はそれを即座に覚えて演じる。
その「噺の一部」とは、A4用紙にぎっしり2枚分くらいの原稿量、とのこと。
当然、簡単に覚えられるわけがない。
叱られ叱られ稽古を続ける。
全く知識のない100%ドシロートの無責任な想像だが、
「噺を覚えること」以上に、師匠の息づかい、しぐさ、視線、表情…それを「見ながらつかめ」ということなのではないだろうか。
これだけの量を覚えるとなると、超人的なほど集中しなければできない。
たとえば紙ベースの原稿を見ながらの練習では、どうしても師匠の全身を見る時間が少なくなる。
三喬さんの言う「耳を傾けること」とは、結局「全身全霊をかけて相手に対峙すること」であり、対友人、対顧客、対親子etc.対人関係におけるあたりまえの基礎、だったはず。
それが今や、目の前にいる人より、スマホの向こうのどこにいるのかわからぬ人優先、なんだもの。
名人芸基本は「人」が有る姿
鞠子