夜、家に帰ったら、玄関先に回覧板が置いてあった。
中に入っていたのは、古紙回収や公園掃除の案内、それと「熊本震災募金のお願い」なる文書。
そして驚いたのは、回覧板のファイルにじかにくっつけてあった「茶封筒」だ。
一度使用した角2封筒の上部を切り取り、互い違いに複雑な形状で折り込んである。
なかなか開けられないようにされたその古封筒には、「震災募金<お札を抜かないでください>」と打ち出されたシールが貼ってあった。
開けてみたら、なんと千円札が2枚、入ってる(@ ̄□ ̄@;)!!
募金する人は、ここに入れろ、ということなのだとすぐわかったが、これはあまりにもキケンな方法ではないか。
現に我が家の玄関先に、1日中、置きっぱなしにされていたのだ。
次に回す隣家とも、「玄関先に置いておく」と決めてあるので、通常なら明日の朝まで外に置きっぱなしになる可能性が高い。
おまけに、何といっても「高齢者の1人暮らしが多い班」なのだ。微妙に認知症っぽいお年寄りもいる。ポストから半分飛び出した状態で、回覧板が幾日も止まっていることもしょっちゅう。
それにだよ、
誰がいくら出したかわからない以上、「途中で抜き取ってもわからない」ではないか。
現にうちに来たとき2,000円だったが、班長からうちに回るまでの何軒かの間、募金された額が2,000円だったのかどうか、確かめようがない。
「性善説」を前提としたこの募金方法、班長の人柄を考えると「いかにも考えつきそうなアイディア」。
しかし、お金に関しては「人柄」では済まされない。
お金の問題は別だ。
悪気があろうとなかろうと、何かあったら、班の全員がいやな思いをする。
…とてもじゃないけど、この封筒にお金を入れる気にはならなかった。
魔がさすもささぬも人は紙一重 鞠子