午前の部・午後の部、通しで観たが、なんと言っても『本朝廿四孝〈ほんちょうにじゅうしこう〉』の『奥庭狐火の段』。
八重垣姫を操るのは推し人形遣い・桐竹勘十郎さん。
まずは、狐火が妖しく舞い、それから白い狐が出てくる。
平たく言えば「ぬいぐるみ」だ。
それが、勘十郎さんが操ると狐が「生きてる」だけでなく、まわりに目を光らせたり、安心して休んだり、果ては妖気まで発するんだから、不思議で仕方ない。
もちろん、人形も同じく。
恋に浸る女から、悲しみにうちひしがれる女、そして恋に狂う女まで、一体の人形・八重垣姫が見事に表現する。
はては、勘十郎さんが見えなくなってしまうのである。
この方が操ると、いつもそう。
モノにすぎないぬいぐるみや人形で、なぜ感情を表現できるのか。
勘十郎さんは、どこへ消えてしまうのか。
トリックなど何もないのに。
文楽を観るたび、それこそ「キツネにつままれた如く」気持ちになる。
…だてにユネスコ無形文化遺産じゃない。
血液の通わぬ指先恋狂い 鞠子
