今日はプチ発見があった。
電話で「アナウンサー」という職業の男性・T氏と話したんである。
この方、種々のCMやプロモーションビデオで、「声だけ出演」している。
話し方教室の講師なんかもしているらしい。
受話器を通して聞こえる声も、とてもよろし。
雑味のない甘い声。
一言一言が明瞭で、きちんと話す。
聞き間違えようにも間違えられないほど、言葉の輪郭がはっきりしている。
さすがプロ。
しかし、すごい、と思う一方で「一般的な会社のビジネス会話には向かない」ということがよくわかったのである。
数分の電話だったが、受け手の私は非常に疲れた。
なぜか、と言うと、「いちいち押しつけがましく聞こえてしまう」からだ。
一言一言が明瞭、ということは、つまり、「一言一言の圧が、すべて同じ」。
だからか感情が見えてこない。
例えば「参加者全員に配ってもらえるんですね?」という問いかけなど、言葉のニュアンスに「そうしてもらえると助かる」という期待とか、「そこまでしてもらって申し訳ない」というおわびの意とか、何にも感じられないのである。
だから、あたかも「資料を配れという念を押されている」如く感じてしまう。
それも、非常に精巧につくられたロボットに…
万事につけこの感じで、これはなかなかつらいものがあった。
いい声にこしたことはない。
しかし、「声さえよければよし」というわけではないんだ。
声にも、「適材適所」がある。
…これが今日のプチ発見。
いい声が思いの発露邪魔をする 鞠子