ナミダのクッキングNo.1731 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

客様K氏からいきなりメールが送信されてきた。
夏目漱石の作品を読んで感想文を書いたが、諸事情があってI氏に見せたいので、その前に私の感想を聞かせてほしい、という内容だった。

わざわざ私に送って寄こしたのは、見せたい相手I氏が私と懇意だからだ。
つまり、「私の意見が聞きたい」というより「I氏がどう思うか知りたい」からだ。

その理由はともかく、一見してア然とした。

・・・長い。ひたすら長い。長すぎる。

その上、漱石の作品に関連して浮かんだ哲学者やら経済学者の名前を挙げ、主張を挙げ、延々論じている。

これはもう、私としてはギブアップするしかない。
羅列された哲学者も経済学者も、私は名前しか知らぬ。
その上、漱石の作品についても自分の感想をまとめられるほど、読みこなしていない。

感想文を書いて、誰に見せるのか。
不特定多数の人か、特定の人か、あるいは自分の整理のためか。
もちろんベースは「自分が感じたこと」だけど、誰に見せるかによって、書き方も、書く分量も変わる、と私は思っている。

この人は、特定の人・I氏に向かって書いた。
K氏とI氏の関係からすれば、まず、自分が感じたことを、I氏が「読みたい」「読もう」と思う分量に絞る作業をしなければ伝わらない、と思う。
ならびにK氏とI氏の社会的な立場から察するに、あの哲学者がこう言った、この経済学者がこう言ったというのは「知識のひけらかし」に思えてしまう。

書いたものを人に見せる、というのは、とても重要なことだがとても神経を遣う作業だと思う。
感じたことをだらだら書くのは、「自分に向けて」のみ、だ。

・・・などと、遠まわしに返信してみたが、おそらく「嫌味なオバサン」と、評価ダダさがり、だろうな。