日活ロマンポルノが復活する、とのこと。
日活曰く、「ネット上で容易に入手できるわいせつな情報にロマンは皆無。日活は再び裸を題材にした人間の本質的なドラマをつくることに挑戦します」。
う―ん、うなるしかない。
観たことがないから無責任な感想だけど、IT花盛りの昨今、このロマン重視なポルノ映画製作が「いかにもアナログな挑戦」に思えてしまう。
だから、なんか「応援したい」気分。
文学なんて、「男と女」「男と男」「女と女」を避けて通れない。
小説と映画。
それは、文字で表すか、映像で表すかの違いだけだ。
先だって、『金色夜叉』の貫一と宮の肉体関係について、文章に表すのに四苦八苦したのだが、H教授には完全に見透かされ「腰が引けた表現」とばっさり切られた。
確かに講義中、「うわっ、リアル(@ ̄□ ̄@;)!!」と思うほど、ストレートなこともある。
でも、先生が言うと、ぜんぜんヤらしく感じない。
先生自身、文学の一要素として堂々と語るからだろう、と思う。
私は見たまま、感じたまま、思ったままを、気取らずてらわず、素直に表現したい、という欲がある。
人の評価など気にせずに。
それを阻むのは、力のなさはもちろん、「羞恥心」もばかにならない。
これを捨てきるのは、なかなかむずかしい。
ところで、
前に音楽トモに聞いた話。
大学で、K君が歌の個人レッスンを受けていた時、U先生が怒鳴ったらしい。
「お前は女を知っているのかっ(`Δ´)!!」
あのU先生が、そのよなことを言うなんて…(-_-;)
おそらく、女を知らなきゃこの曲は歌えず、K君の歌は「女を知らないヤツが歌っているヘタな歌」という意味だろうが、そうか、クラシックにも「男と女アリ」なんだと妙に納得した。
復活する日活ロマンポルノは、「ロマンポルノを手掛けた経験がない第一線の監督たち」が撮影する、とのこと。
10分に1回は「絡み」のシーンをつくるのが条件の1つらしい。
どこで上映されるのかなあ。
正直、観に行きたいんだけど、変な目で見られるだろうな。
…まずはこの「羞恥心」をかなぐり捨てる必要アリ、か。