「おっかけ」3人目の素敵な男性は、谷崎潤一郎先生。
神奈川近代文学館で行われている『没後50年谷崎潤一郎展』に行ってきた。
入り口にいきなり遠い目をした谷崎の大きな写真があり、その横に『神童』の一節が。
「…恐らく己は霊魂の不滅を説くよりも、人間の美を歌ふために生れて来た男に違ひない…」
もうここで、ナミダがとまらなくなってしまった。
「僕に取ってはlife of artの方がart of lifeよりも重大であるから」
「子供を持ったために私の芸術が損なはれはしないか…私に取って第一が芸術、第二が生活」
「他日、これが完成発表に差支なき環境の来るべきことを遠き将来に冀ひ…」
…これらの言葉。
書くために生まれ、書くことに取り憑かれた姿が浮かぶ。
谷崎は「人間の美を歌ふ」と言ったが、この「美」はありきたりな「美」ではない、と思う。
凡人なら、「醜悪」と感じるものも、それが「人間が持ちうるもの」でありさえすれば、谷崎にとっては「美」であり、谷崎のフィルターを通した表現で、ますますその「美」は増幅する。
3度の結婚。
3度目の相手・松子には、「崇拝する高貴の女性がなければ思うように創作ができない」と手紙を書き続け、略奪婚の結果、「私はあなたの召使い。潤一では奉公人らしくないから順市か順吉にしてくれ」とまで言い、松子が家事をすることを一切許さなかった、という。
書くために生まれてきたこのような男とは、「平凡な幸せ」など望むべくもない。
またそれを望む女なら、男の才能は花、開かない。
写真、愛用品、原稿など、膨大な資料が展示されていた。
解説とともに谷崎の作品が引用され、その一節を読むたびにナミダがあふれて…
もう、いろんなこと、考えて、いろんなことが頭をよぎって、ナミダがどうにも止まらなかった。