夏目漱石『門』の宗助は、友人だった安井から、妻・御米を奪った。
この夫婦は2人とも、その罪悪感から逃れることはできない。
世間を直視しないよう背を向け、2人だけで向き合ってひっそり生きている。
それでも、
お互い、過去のいきさつを正面から語りあうことはない。
日々のできごとから、ふいにそのいきさつがよみがえることがあっても、やっぱり、そのことには触れない。
触れられないのだ。
今さら蒸し返しても、なんの解決にもならない。安井を傷つけたことは、何をしても、もう取り返しがつかない。
2人の心の中の大部分を占めている罪の意識なのに、それが共有できるのはお互いでしかないのに、2人とも、言葉にして発することはできない。
この一見、矛盾した心、私には痛いほどわかる。
流れていく時間と日々の生活の中でようやく踏みとどまっていたが、悪い偶然が重なり、宗助は、安井が目の前に出現するかもしれぬことを知る。
神仏にまですがってみたが、もとより救いは得られない。
そこまで追い詰められても、その恐怖を御米に話さない。
やっぱり話せないのだ。
話したら、罪の意識を2人で割って半減するどころか、何乗にも乗じあって増大する。
H教授は『門』を「受苦と小康」と評したが、私は今頃になって、「寛解」の意も読みとった。
治ってはいない。決して完治することはない。
だから分かち合えるのはお互いでしかないはずなのに、話したら、また傷は深く口を開く。
話した方も、話された方も。
今の私がまさしく。
大きな痛みと犠牲を払って得た「寛解」なのに。
取り返しのつかないことを、どうつぐなえばいいのだろう。
この夫婦は2人とも、その罪悪感から逃れることはできない。
世間を直視しないよう背を向け、2人だけで向き合ってひっそり生きている。
それでも、
お互い、過去のいきさつを正面から語りあうことはない。
日々のできごとから、ふいにそのいきさつがよみがえることがあっても、やっぱり、そのことには触れない。
触れられないのだ。
今さら蒸し返しても、なんの解決にもならない。安井を傷つけたことは、何をしても、もう取り返しがつかない。
2人の心の中の大部分を占めている罪の意識なのに、それが共有できるのはお互いでしかないのに、2人とも、言葉にして発することはできない。
この一見、矛盾した心、私には痛いほどわかる。
流れていく時間と日々の生活の中でようやく踏みとどまっていたが、悪い偶然が重なり、宗助は、安井が目の前に出現するかもしれぬことを知る。
神仏にまですがってみたが、もとより救いは得られない。
そこまで追い詰められても、その恐怖を御米に話さない。
やっぱり話せないのだ。
話したら、罪の意識を2人で割って半減するどころか、何乗にも乗じあって増大する。
H教授は『門』を「受苦と小康」と評したが、私は今頃になって、「寛解」の意も読みとった。
治ってはいない。決して完治することはない。
だから分かち合えるのはお互いでしかないはずなのに、話したら、また傷は深く口を開く。
話した方も、話された方も。
今の私がまさしく。
大きな痛みと犠牲を払って得た「寛解」なのに。
取り返しのつかないことを、どうつぐなえばいいのだろう。