「なるほど、言い得て妙だ」、と感心する言葉に時々出会う。
今日、出会ったのは「のさり」。
「のさり」とは、熊本の風土から生まれた言葉で、
思い通りにならない現実、変えることのできない現実を「いま・ここにある・いのち」として丸ごと受け入れ担うこと
なのだそうだ。
…なるほど。
沁みる言葉だな。
だって、どうしようもない現実、ってあるでしょう。
地震や津波で肉親を亡くすなんて、その家族には何の罪もないのに、変えることのできない現実として延々と居座る。
受け入れ、担わなければならない現実が、いかに多いことか。
私は、10年の介護の末、母を亡くし、この3月でまるっと2年経ったが、
いまだに自分自身、決着のつけられない後悔がいくつもある。
例えば、在宅介護の間、何度もきつい言葉を浴びせたこと。
例えば、最期の2年間、本人が望まないのに施設に入所させたこと。
例えば、死に目に会えなかったこと。
…いくら悔やんでも、取り返しがつかない。
変えることができない現実として、ずっと居座っている。
丸ごと受け入れ担う、と言われても、まだ、どうしたらいいのかわからない。
でも、この痛みがいつか私の糧になるなら、それが「のさり」なのかもしれない。
それとも、
いつまでも痛みのままなのかもしれない。
それもまた、丸ごと受け入れ担わなければならない現実。