ナミダのクッキングNo.710 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

今日、ちょっぴり悲しかったこと…

新春初ナマ舞台観劇は、プラハ国立劇場オペラ・モーツァルト『フィガロの結婚』。
なんてったって、やっぱナマ舞台はいい。

…んだけどさ。
またまた妙な人々を見つけてしまったのさ(-.-;)

通路を隔てて隣に座った家族らしき4人。
最初に目についたのは、こジャレたスタイルの息子らしき男性。
たぶん、30代前半。
オペラが始まって客席は真っ暗なのに、iPhoneの操作してるんだって。
手で隠してるつもりらしいが、指のあいだから、光、もれまくり。

その画面の光、ものすごぉぉぉく迷惑なんだわ(`Δ´)

…とここまでなら、「常識知らずの若いヤツ」で済んだが、彼が「信じがたいもの」を持っているのに気づいてしまったのである。

それはどう見ても、「鳥の死骸」、に見えた。
小さめの九官鳥。
ハンドタオルで丁寧にくるみ、顔とくちばしだけが飛び出ている。
タオルはめくれないように、事務用のクリップ(パチンと挟むタイプの)で止めてある。

ぎょっとした(。。;)

なぜ、そのようなものを…( ̄▽ ̄;)

息子氏は、その「死骸」をたて向きに持って、オペラを見せてる。

うそやろ(。。;)
気が気でなくなってしまった。

しかし、そのよなものを持っていたら、臭いそうなものだ。
私は風邪予防のためにマスクをしていたが、死骸ならそれでも臭うはずだ。

家族全員、知らん顔。
後ろの席の人も知らん顔。
私一人がやきやきもきもきしているのみ。

…第一回目の休憩時、思わずその「死骸」を凝視してしまった。

それ、
実はね、
「九官鳥みたいな縫いぐるみ」だったのだ。

…なぁんだ。
ほっとした一方、疑惑がむくむくと浮かんできた。

なぜいい年をした男性が、そのよなものを手厚くくるんで持ってるのか。
なぜ、オペラを見せてるのか。

おまけに、
休憩時、他の家族(その息子氏の両親と姉、だと思う)も、その「くるまれた縫いぐるみ」を、いとしいペットのように扱っているのである。
姉に至っては、赤ちゃんにするように、頬を寄せたりつついたりしていた。

…………(-.-;)…………

海千山千の鞠子オバも、これには参った。

好意的に考えれば、
亡くなった子どもか妹弟の形見?
その子がオペラかモーツァルトが好きだった?

…でもさぁ、この息子氏の子どもなら、大きくてもせいぜい幼稚園児だ。
その子がオペラ好き?
かわいいというよりリアルでグロい黒の縫いぐるみ好き?

息子氏の妹弟なら、成人以上だろう。
その妹弟が縫いぐるみ…というのも、ちょっと考えづらい。

カーテンコールの時など、その「くるまれた九官鳥」は、息子氏の手によって、まるで出演者のように、四方八方にあいさつしていた。

延べ3時間近く、私は隣が気になって気になって、仕方なかった。

迷惑、と言えばiPhoneの光の方が迷惑だし、
何か事情があるのだとは思うが…

…………(-.-;)…………

この家族には、本当に参った。

PS 本題の『フィガロの結婚』が飛んでしまいました。

今日の舞台は、私の好みとしては、フィガロ(ミロッシュ・ホラーク)がもっと「チャラい」感じがいいな。
フィガロに貫禄がありすぎて、伯爵(イジー・ブリクレル)が貧相に見えちゃった。
伯爵も伯爵夫人(イザベル・レイ)も、声はすごく品がよくて、いかにも「高い位の人」らしかったし。
スザンナ(ヤナ・シベラ)もおきゃんな感じがよかったし。

でもやっぱりこのオペラのよさは、音楽の質の高さ。
「軽快」「美しい」「キュート」「重厚」「優美」「哀愁」と、さまざな要素の曲が盛りだくさんで、すんごくいいです。
いかにもモーツァルトっぽい音楽がいろいろ楽しめました。

…それにしても、あの「くるまれた九官鳥」…

夢に出てきそぅ(-.-;)