今日はハイクオリティな一日だ。
[その一]
魔術の目的に適合しようと決めていようがいまいが、芸術作品は魔術のそのものを起源としている、ということを忘れてはならない。
アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』より
今日は久しぶりに美術館へ。
観てきたのは『魔術/美術』。
様々な時代の様々な作家による魔術的要素の濃い美術作品が展示されている。
だまし絵とか、抽象絵画とか…
その中で、猛烈に引き込まれた作品群があった。
谷中安規。
版画家だ。
私はこの人を、今日、初めて知った。
版画、と言えば、棟方志功しか知らなかったし、
特別興味もなかった。
谷中安規の作品は、白と黒しかない。
それも何となく、雰囲気が「丸い」のだ。
棟方志功みたいに「命がけで彫ってるのだっ!」みたいな力みが全然ない。
これは私の好きな「破滅型」もしくは「堕落型」に違いない、とふんだ。
さっそく館内に置いてある谷中安規の本を探した。
…結果、小一時間、読みふけってしまった…
谷中安規は、「風船画伯」と呼ばれていた(←内田百聞の命名)ごとく、風船のように漂う生活をしていた。
貧困のどん底にあっても、己の信ずる版画の道を決して曲げなかった。
百聞の『王様の背中』の装丁を手掛け、高い評価を得たが、棟方のように一世を風靡することはなかった。
…というか、そういう立ち回り方ができなかったのだ。
己を貫いた結果、彼は「餓死」して死ぬ。
凡人の私には、こんなすばらしい作品を作り上げながら、なんて無惨で壮絶な死に方か…と思うけど、芸術家としては最高の死に様だったのかもしれない。
谷中の作品『飛ぶ首』の前で、私はしばらく動けなかった。
[その二]
谷中安規に呆然としつつ、次は『マタイ受難曲』を聞きにコンサートホールへ。
小林道夫さんがチェンバロを弾きながら指揮をする…という演奏法に興味津々。
…ま、ナマイキですが、半年前に聖トーマス協会のマタイを聴いたばかりなので、ちょっとね…
余りにも真面目で余りにも必死…な感じで、肩の力が抜けなかった。
ただ、BACHの曲は、どの部分を切り取っても本当に美しく、心を打つ。
今日は、明らかにソリストが「間違えた」ところがあったのだが、たとえ間違えても、またどんなアプローチの仕方をしても、許してくれるような懐の深さがBACHにはある。
それを改めて痛感した。
それと、
福音史家の大久保亮さん。
すごくよかった。
私の好きなタイプの声。
テノールってなかなか好きな声に出会わないから、今日は意外だった。
はっきり言っちゃって、
チケット代3000円は、大久保さんの声を聴くために払ったようなものだった。
[その三]
…は、これから。
正確には明日17日、夜中の1時半から。
BSで劇場版『ハゲタカ』が放映される。
久しぶりに鷲津政彦の南朋さまに会える!(^^)!
…ということで、本日、ほぼ徹夜なのでありますo(^-^)o