昨日だったか一昨日だったかの朝刊に、経営者M氏の記事が載ってた。
M氏は、地元では、まあまあ名の知れたプチ有名経営者。根強いファン経営者もいる。
朝刊には、彼の独特の経営手法が書かれていて、その中の1つに「ハガキ」のことが取り上げられていた。
出会った人、ご縁のあった人には、感謝の心を込めて、即、手書きのハガキを送る。
すばらしい。
でも、うさんくさい。
もっとストレートに言っちゃう。
…嫌い。ぞっとする…
実はM氏、仕事で関わりがあった人なのだ。
ある時、40名くらいの会合があり、M氏も参加していた。
その会合に続いて100名規模の講演会があった。
一番後ろの席に座ったM氏。
講演が始まった。
顔もあげず、話も聞いていないM氏。
そう、先の会合で名刺交換した人々に堂々とかつせっせと「ハガキ」を書いているのだ。
講師に失礼極まりない。
ハガキを書くなら、帰れっ!と言いたかった。
そもそも、たった今、初めて名刺交換した人の何がわかるというのか。
たぶん、名刺を見ても、顔すら思い出せない。
そういう人に向かって、何を書くのか。
何がご縁だ。形式を整えてるだけじゃないか。
過激鞠子はM氏に偽善者の烙印を押した。
その後、実は、中央の統括部からM氏のインタビューの依頼があり、上司にその仕事を頼まれたが、若かった私は泣いて抗議して、それを断った。
プライドが許さなかった。(←このくだりは、いつかブログに書いたし)
朝刊を読むと、「すばらしい経営者」として書かれている。
もちろん、新聞の性格上、あるいは記事の主旨からしても、「悪い部分は書けない」事情は充分理解できる。
書いた記者だって、若干の疑問を抱きつつ書いた、かもしれない。
…だが、
うんざりするよな持ち上げ方をしている「記者のひとこと」には幻滅した。
「若干の疑問」など、持った気配は全く感じられなかった。
記事を読んで「すばらしい経営者だ」と思った読者多数。
一方、記者の人を見る目、良識を疑った私のような読者も少なからずいるに違いない。
このブログでも書いてきたけど、だからさ、とても怖いんだよ、書いたものをオープンにするということは。