あの日から1年経つんですね。
1年前のあの日、午後2時46分、私は職場でオトコ後輩Tクンの書いた文章について校正指導をしていた。
Tクンは座ってた。
私は彼の背後に立って、しつこくアドバイスをしていた、その時…
…その時、Tクンが急に、
「鞠子さん、地震ですっ!揺れてますっ!」
…と騒ぎだした。
私は、しつこい指摘にうんざりしたTクンが、冗談で言った狂言…かと思った。
仁王立ちしていたからか、それくらい気づくのが遅かった…
…ほんと、鈍なおマヌケ鞠子…
阪神大震災の時は、入院前の検査のために、病院に向かう途中だった。
…いずれにしても、こんなごくありふれた日常が、一瞬のうちに失われるなんて…
私自身、
10日前に母を失い、心身共に「それまでの日常」がガラリと変わったわけで、
当たり前みたいに生きて、当たり前みたいに日々を過ごしているけど、それは本当に危うい前提の上に成り立っているのだと改めて思う。
そして、今もなお、「普通の生活」に戻れない多くの人々がいる…
やりきれない…
最近読み終えた本に、こんな一節があった。
震災がらみで書かれたものではないけれど、少しでも力になれば…
『とにかく新しい言葉をたくさん使ってみよう。
気持ちを言葉にするんじゃないんだよ。言葉を使って、気持ちをはっきりさせるんだよ。
「考えとかまだまとまらないんでぇ…」なんて言わなくていいんだよ。考えなんか永遠にまとまらないんだよ。こっちだって永遠にまとまらないまま勝手にしゃべってんだよ。
「まだちょっと人に言えるレベルじゃないんでぇ…」なんて意味ないよ。本当にそんなレベルなのがどうかは君が決めるんじゃないんだから。
まず声帯を震わしてみて、話し始めて、それから「考えながら」話せばいいんだよ。声帯が震えると世界が浮上するよ。言葉の虚しさの話はそのあとでいいんだよ。
こっちにおいでよ。学食脇のテラスで一緒に話そう』
(岡田憲治 著『言葉が足りないとサルになる』より部分的に抜粋)
…私、この岡田先生の呼びかけに泣けてしまいました…