平原卓著:「本質がわかる哲学的思考」のニーチェとヘーゲルを読んだ | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

KKベストセラーズ:平原卓著:「本質がわかる哲学的思考」のニーチェとヘーゲルの部分を読みました。

 

ニーチェのところ。

 

妬みやそねみを表すルサンチマン。

人間が優れた人を見て面白くないと言う心の癖である。

 

もう一つニーチェのところで、、、

 

現実には現実の論理があり、空想で現実を変えることはできない。

空想は無力感の現れであり、それを克服できない限り、現実を本当の意味で作り出していくことはできない。

 

このふたつの論理が何を意味するか?

 

理想によって、「世界は間違っている。」と独断する。

自分の人生に不満を持ち、「良い生活」に対してうらやましさややっかみを持つ。

もっと言えば、自分こそが富者や権力者になるべきだ。

 

これらは理想によって勝手にふて腐れてる。

さらに現実に向き合わずに、現実を認めず、理想の方から現実を否定する。

自分に都合の良いねじ曲げた理想を用意する。

 

思い当たる節があるかもしれない。

 

ただルサンチマンという概念を知らなければ、ルサンチマンを正そうとせず、改めた態度はできない。

 

世間一般に対する不満や面白く無さは、自分を縛っているルールを知る必要がある。

自分の価値観を編み変えたければ、それを言葉によって把握し直す必要がある。

 

善悪そのものは存在せず、自分自身で善悪のルールを立て、それに従う時のみ善と自由を両立できる。

自分自身のルールを立て、その約束を守ることこそ良心の核心。

でも、これだと個々にルールが違うから信念対立が生まれる。

 

いかに信念対立を調停し、共通理解を達成するか、フッサールが良い提案をしている。

 

認識問題を解決するには、あえて世界についての「正解」は存在しないと言う立場に立ち、世界を「私」にとっての確信像として捉え直す。そのうえで確信像のもつ本質的な要素を、概念として表現する。その表現の営みを通じて、共通了解と自己了解を深めていく。

 

ムズい・・・

いわゆる態度変更していくことらしい。

互いに共通了解を作り上げて行くと言うことか?

 

ヘーゲルの章に突入してるが、民主主義や政府と個人の関係や社会制度に少し触れている。

長い歴史を見て民主主義を評価すべきであって、短期間で大きく変えようとするものではない。

本当の世界を求める代わりに世界の本質と「私」の内面の本質を重ね合わせて了解する態度が秩序を作り上げている。

この辺はよく分からない・・・

 

で、ヘーゲルの洞察のポントは、、、

何がしたいという欲求がなければ、自由の感覚を持つことはできない。

衝動や欲求は恣意と呼ばれ、善し悪しを客観的に判断できない。

自由を現実にするため、思考によって自己の内面を反省的に捉えて「幸福」と言う観点から、衝動とそれを充たす手段を検討する。

思考は普遍性を獲得している必要がある。

様々な状況を考慮して判断を下す能力をつけることが、自由を現実のものとするために求められる。

ただ何が「私」にとっての幸福であるかは各人で選び取るしか無い。

自由は幸福を約束しない。

 

その上で自由をどう勝ち取るか?

人格の相互承認が必要。

各人が一個の権利主体として等しい存在であることを互いに認め合う。

 

正しさの普遍性を自覚的に求めるようになり、掟に対して距離を取り、その妥当性を意識的に検討し始める。その善を目指すべき目標として掲げる。善のロマン化。

だがそのロマンは現実と折り合わず挫折する・・・。

 

万人の幸福が事実上無謀だから。

 

何が善であるかは最終的に「私」に委ねられる。

だが「正解」は存在しない。

ヘーゲルがニーチェにつけ加えたのは「悪」の存在。

「私」だけの思い込みによる独善。

「掟」の存在意義が薄れると、各人の善が「真の善」を巡り争う。

そうすると「断言する善」の声がでかい。

 

自由と善はいかに両立するか??

 

ヘーゲルが説くのは、相互承認の原理の基づき、言葉の営みのうちで善悪の共通了解を作るべく試みること。

 

現代社会について筆者が語っている。

欲望のあり方について、すでにそれを達成してしまってる。

魅力を感じ取ることができない。

自由が当たり前すぎて実感ができない。

現代にも「正解」がないゆえ、信念対立は起こる。

そのとき自分の善に落胆しニヒリズムに陥るかもしれない。

この挫折の意味を了解し、新たな可能性が生まれる。

天を見上げて夢想するより、この現実から善悪の可能性を創出する課題に真摯に取り組むのだ!

である。

 

【自分の感想】

自由を得るとはある程度知識や教養を身につけなければならないかあ~~

自分は愛が欲しい!

結婚とか契約ごとでなくて、単純に愛されたい^^(真顔)

それには愛を与えねばならない。

相互承認だからね。

愛を与えるにも、相手が好きそうな物、言葉など知りたい。

まずは友人関係を作って、気軽に話せる仲に!これはこれで幸福かも^^

逆に嫌いな仕草や言葉も知りたくなる。

独善になってはいけない!

これを現実に実践できるかどうかか・・・

人見知りや変なプライド持ってるとムズいかも・・・

勇気を持って何か語りかけることも、友達の始まりか^^

で、あくまで一方通行で無くて互いが承認すること。

ちなみに正解はない。

挫折もある。

これが人間のできる幸福追求のひとつか~~(真顔)

でも愛というテーマを考えてたら、気持ちが軽くなった^^

ポジティブに心を動かすと良いのかもね^^

理想を作り上げてるだけでニーチェさんにダメだしされそうだけど・・・

感想は軽くしてみました^^