僕たちは希望という名の列車に乗った('19年5月 テアトル梅田) | Que amor con amor se paga

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原題名:Das schweigende Klassenzimmer

1カ月以上前に観たんすが、感想書くのホッタラカシにしておった映画でした(爆)

前回紹介した『パピヨン』に続き、実話がベースだそうで。

いたってフツーの子が、大人の勢力や社会に立ち向かう映画や、部外者に余計な一言言われた時に『それが、どうかしたのかよ』と立ち向かう話は、好きざんす。

チョっとした出来心や反抗心からくる行動に大人や権力者や、部外者が『余計な一言』を言うべきではないし
断罪すべきでもないと思うんすよね。

そういう思いは、いつの世の中でも変わらないと思わせてくれる映画でした。

そんなワケで予告編はこちら、あらすじいってみる。



時は1956年

東ドイツは、まだシュタージによる監視もなく、ベルリンの壁もなかったので、西ドイツには電車一本で行くことが出来た。

東ドイツ・スターリンシュタットに住む高校3年のテオ(レオナルド・シャイヒャー)と親友のクルト(トム・グラメンツ)は、進学コースい在籍。

同コースの高校生は将来の社会的地位を約束されていた。

2人は、休みの日、テオの祖父の墓参りと称し、西ドイツまで出かけるついでに、東ドイツでは観られない『ジャングルの裸女』を観ようと、こっそりと映画館に忍び込む。

が、2人の心に残ったのは、映画の前に上映されたニュース映像だった。

ソ連撤退を求め蜂起を起こした市民が死亡した『ハンガリー動乱』の映像を観た2人は、東ドイツに戻ると、級友たちに、授業前に2分間の黙とうを捧げようと呼びかけた。

歴史教師は『何のマネだ』と激高し教室から出て校長室に駆け込むが、シュヴァルツ校長(フロリアン・ルーカス)は、ただの子供の悪ふざけだと、歴史教師を説得。
そこで話が終わればよかった。

だが、別の教師が生徒たちの黙祷をみており、その教師は郡学務局に通報。
女性局員ケスラー(ヨルディス・トリーベル)がやってくる。

テオは、政治的意図でやったのでなく、サッカー選手プスカシュの追悼のためにやったという事にしようと、皆に話をもちかけます。

生徒たちは打ち合わせ通りに、こたえるが、ケスラーは、プスカシュが無事であることを伝えている東ドイツの新聞記事を見せ、死亡したというのは西側の偽の情報であり、それを何処で知ったのかと、追及。

テオとクルトがプスカシュの情報を知ったのは、ベルリンから帰ってきた日。

テオのガールフレンドのレナ(レナ・クレンク)たちと、西ドイツのラジオ局RIASの放送を聞く為、クラスメイトのパウル(イザイア・ミカルスキ)の叔父であるエドガー(ミヒャエル・グヴィスデク)の家に行った時のことだった。

ラジオでは、ハンガリーの民衆蜂起の詳細だけでなく、テオやクルトたちが尊敬していたハンガリーのサッカー選手、プスカシュも死んだことが伝えられていたからだった。

テオは、反抗的だと言われ訓告処分を受け、レナは事をごまかそうとしたテオに幻滅しクルトと親しくなる。

そんな息子を見て、製鉄所で働くテオの父ヘルマン(ロナルト・ツェアフェルト)は、自分の仕事に一日つきあわせ、息子のテオに、学問を身に着けているのは、お前だけだ、エリートへの道を捨ててどうすると諭す。

だが学校に人民教育相のランゲ(ブルクハルト・クラウスナー)が学校に来て、一週間以内に首謀者を教え、命令に背けばクラス全員卒業試験を受けさせないと通達。

生徒の中でエリック(ヨナス・ダスラー)は黙祷の後『これは抗議の意志だ』と言ったことが原因で、ランゲに呼び出され首謀者の嫌疑をかけられてしまう。

執拗な追及に耐えきれずエリックは、自分は行かなかったが、他の生徒が西側のラジオが聞けるエドガーの家に行っていた事を白状。
エドガーは逮捕されてしまう。

エリックは自分の父親が社会主義に命を懸けてたと信じており弁明したが、ケスラーは生徒たちだけでなく生徒の親にまで執拗に尋問をしていた。

エリックを呼び出し、彼の父親が社会主義者からナチスに寝返って、社会主義者に処刑されたという事実をつきつけ、証拠写真を手渡す。
そこには生徒の絆をも引き裂く証拠が隠されていた…

以下ネタバレです。

映画の冒頭は『ノンキな、どこにでもいる青春してる高校生』の話なんすよ。

ホントに戦争突入前の話かな~ってぐらい。

西ドイツ来たんだから、エロ映画観て帰ろうぜー、っていう主人公2人。
お金ないから、再入場のフリして、タダ見。

東ドイツの鉄鋼労働者の街、スターリンシュタットに戻ってきたらエロ話に花が咲くエリック、テオ、クルトたち。



が、その後、映画の前に見たニュースで気になってたハンガリー蜂起事件をラジオで聞いてからが、彼らの運命を変える事になってしまったのです。

自分が提案した事で、クラスの面々の将来が国家に奪われる脅威に晒される事実を目の当たりにした クルトは名乗り出ようとするのですが、テオにこういわれるのです。

お前が自首してもまだ終わらない

一方、エリックはケスラーの尋問の翌日、射撃の授業に遅刻。
教師に注意されるのですが、教師に向かって誤って発砲してしまうのです。

エリックは、銃を持ったまま学校の外へと飛び出し、家に戻り、母クリスタ(ベティーナ・ホップ)に、本当の事を話してくれと、詰め寄ります。

驚くクリスタに義理の父で牧師のメルツァー(ゲッツ・シューベルト)が、本当の事を話すべきだと、諭し、母親が言ったのが、

そのとおりよ。お父さんは弱い人だった

…思春期の息子に、それは、何というか、あんまりじゃないかと。

銃を振り回し半狂乱になるエリックを、後から駆け付けたクルトらが押さえつけるのですが、 クルトはエリックが持ってた写真で、エリックの父が処刑された写真の中に、自分の父親が写ってるのを見て愕然とするわけです。

この頃の東ドイツというのは、ヒットラーの指揮の元ナチス親衛隊に入って戦争に参加する事も、ソ連のいいなりになる事も、どちらも引け目を感じるという概念だったらしく。

映画の中でも、街中を我が物顔で歩いているソ連兵に石ころを投げつけるテオとクルトの姿があり、投げつけられたソ連兵が『好きでこの街にいるんじゃない』とボヤくシーンがあります。

ベルリンの壁が建設されたのが、'61年ですから、わずか5年の間に、街がどれだけ戦争や時の政治によって悪い方向に変わってしまったかが判りますよね。

エリックの騒動の夜、クルトの家にもケスラーが来るわけですよ。

クルトの父・ハンス(マックス・ホップ)は市会議員なんすが、ケスラーはハンスに、エリックは今回の一件で傷害罪になりますから首謀者ってことにしましょうか、っつーわけですね。

彼女からしてみれば、今回の騒動、クラスの生徒の中で、誰が揉め事をおこした首謀者であっても、どうでもいいわけです。
ま~、こういう人いますけどねぇ

ハンスは息子のクルトに『ケスラーの言った通りにエリックは首謀者だと言え』っていうのですが、そりゃ~ムリだろと。
首謀者は息子なんだし。

クルトは、そんな父に、エリックのお父さんを殺したの?と聞くのですが、父親は答えようともしない。

気まずくなって席をはずした父に代わって母アナ(ジュディス・エンゲル)がクルトを抱きしめて励ますのです。

逃げて戻ってこないで、いつも思っているから。毎日ね

アナは父親がナチ党員だったので、社会主義の東ドイツでは夫(クルトの父)からDVを受けていたのですが、今回ばかりは立場が逆。

息子のやったことを信じるのは母親であるアナしかいないという。

クルトは、その日の晩、荷物をまとめて、西側に脱出します。

その前に、テオの家に寄って君も来ないかというのです、
ケスラーに、エリックを首謀者だと言ってつきだせと言われた、そんなことをするぐらいなら、 西ドイツに行って(卒業)試験を受ける。
(ここに居ても)全員が退学処分になるからと。

テオは家族をおいていけないと申し出を断るのです
するとクルトはこう頼むのです

後始末を頼む。誰も退学にならないよう

西ドイツ行きの列車に乗り込んだクルトのもとに、警察の手が回ってくるのです。
これがまた指名手配犯を探すみたいな感じ。
この頃は、お墓参りに行きますとか言えば、東ドイツの人間でも列車に乗って西へいけたそうなので、クルトも 『お墓参りです』と答えるのです。
映画の冒頭でも、テオの祖父のお墓参りという口実で東ドイツから出て、映画館に行っていたのですから、どれだけ娯楽に対する自由がないんだと。

クルトは警察に連行され、当局の知らせを受け父ハンスが駅に来ます。
この時ハンスは妻アナからクルトの決断を知らされていました。

] ハンスが疑う警官から息子をかばい、西側いきの列車に乗せるのです。

…こうして一生逢えなくなった家族も、クルトの他に何人もいるのだろうと思いますが。

翌朝、テオは父親に『英雄になるな』と言われ『判ってる』とうなずくものの、彼は父親が勧める『エリートへの道』ではなく、 『クルトとの約束』を優先させるのです
『誰も退学にしない』という後始末を、体を張ってでもやるという。

教室にケスラーが入ってきて、クルトが首謀者であり、彼は今朝逃亡したことを告げ、クラス全員がクルトが首謀者であることを認めなければ、退学にするというのです。

テオを指名して、クルトが首謀者でしたね、ってケスラーが口を割らそうとするのですが、違いますというので、ケスラーは国家権力利用して、彼を退学にしてしまいます。

結局は全員退学処分になってしまうわけですが。

レナが、これからどうしようというと、年末には全員休暇になって西側に行くんだから、その時に試験を受ければいい。

…という話になります。
ホンマかいなという話になりますが。

で、休暇の日、テオの一家もまた家族で西側行きの列車に乗ろうとしていたのですが、テオはパウルと共に東ドイツに残る事にしたのです。

クルトとの約束『2分間の黙祷が引き起こした後始末』をするために。

テオの母インガー(カリーナ・ヴィーゼ)はヘルマンと共に、故郷に残る事を決意した息子を見送り、映画は終わります。

映画のエンディングテロップでは、東ドイツ・スターリンシュタットに残った四人の生徒を除いたクラスメイト全員が西ドイツに着き、卒業試験を受けることができたと記されます。

…4人のうち、2人はテオとパウルなんでしょうねぇ。

原作は、クルトのモデルになった故ディートリッヒ・ガルスカが'06年に書いた自伝小説。

この事件の後、西ドイツで文学や社会学、地理を学んで高校教師となり、'19年4月に、この映画がベルリン国際映画祭で受賞した後、お亡くなりになってます。

原作は、旧東ドイツ・シュトルコーが舞台なんですが、今のシュトルコーが、すっかり現代的な街並みになってしまってるので、 製鉄の街・アイゼンヒュッテンシュタット(旧スターリンシュタット)に話の舞台を移し、登場人物の名前を差しさわりない程度に脚色しただけだそうです。

『グッバイ・レーニン』のフロリアン・ルーカスが、労働者階級出身の校長の役なのか~…と思うと、映画観ながら、自分も歳喰ったな~…と妙にしみじみ思ったり。

『グッバイ~』は、社会主義=理想の国家と信じてやまない母親がブっ倒れた間に、ベルリンの壁が崩壊しちゃって、母親が目を覚ました時に、チョロまかすのに必死な息子と息子の友人の話だったんだけど。

今回紹介した『僕たちは~』の時代に生きている大人+青少年は、ガチで

社会主義は未来を保障してくるモノなんだ

…と信じて疑わなかった人たちなんだろうなぁ。

まさかソ連が崩壊するとも思わなかったのだろうし

映画のあらすじ、今書いてて思うのが

抑圧された人たちや、何か目に見えぬ不安がある人たちに対して口先だけで『みなさーん、ガンバって』とかさぁ
ブログで、シャラっと『ガンバってくださいね~』とか、書くって、すんげぇ簡単なのよ.

毒舌になっちゃうけど、心そんなにこもってなくても、サラっと書けちゃうでしょqqqqq

でも、ホントに、『どうしよう~』って不安に駆られた時?
そういうのが目の前に来た時

ブログ主の場合は、こういう風に乗り切ればエエのかと、こういう映画見るなり、本なり読んでみるわけなのだ。

この映画、原作の題名は『沈黙の教室』なんすが。

邦題の題名を付けた人は慧眼だと思う。

映画に出てくる少年たちは、西側に行く『希望という名の列車』に乗る為に、友情という名の絆を 大人や政治に試され、本当の心の強さと、見かけだけでない優しさも試される。

口先だけで、ホメ言葉や励ましの言葉を並べたり書くのって簡単。

ってか、口先だけでホメ言葉とか、励ましをする人には『希望という名の列車』には乗ってほしくないとか思っていたりするブログ主。

行動と心が伴う人にだけ、希望という名の列車に乗ってほしいなと思うブログ主でした。