ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館 -21ページ目

ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。








 以前にも書いたが、東北新幹線のは外観の形状が似ている駅が多い。大宮、小山、郡山、仙台、盛岡など、いずれも1階に在来線ホーム、3階に新幹線ホーム、両者をつなぐ2階に改札とコンコースという、在来線的には橋上駅で新幹線的には高架駅、改札階からは駅の両側に出ることができ、繁華街側の出口にはロータリーのバスターミナルを覆うようにペデストリアンデッキが広がってて、道路向こう側のショッピングビルにつながっている。反対側出口は新幹線開通後に開発されたっぽく、商店街や飲食店街よりはホテルや家電量販店などの新しめのビルが目立つ──塗装や意匠に多少の違いはあるものの、大まかにはどこも似通ってると言えるだろう。
 今回取り上げる宇都宮駅もまた、上述の通りの外観の駅である。だが他の駅に比べて繁華街側の駅前の賑わいが少ない気がする。決してさびれてるとかそういうことではなく、商業ビルはそこそこ建ち並んではいるものの、いまいち繁華街っぽくないのである。すぐそばに川が流れておりスペースがあまりないせいもあるのだろうか、デパートなどの大型量販店は少なく、その分人通りもあまりない。駅前を川に遮られてると言う意味では盛岡駅前も同様ではあるが、景観の趣という点では圧倒的に盛岡の方が上だろう。首都圏から近く、仕事での用事があることも多いので何度か降りたことがあるが、そのたびに県庁所在地の玄関駅としては何か漠然とした感じを受けてしまう──
 実は宇都宮市の中心繁華街は駅前の橋を渡ってまっすぐ進んだその先、徒歩で行くかバスを使うかちょっと微妙な距離のところに開けており、駅で言うと東武宇都宮駅を中心としたエリアである。百貨店などの量販店を始め、各種商店や飲食店もかなり充実しており、繁華街としての規模はかなり大きいし、もちろん賑わいもある。JRの方の宇都宮駅があるあたりは、どちらかというと街はずれと言えるかもしれない。まあ、繁華街が駅から離れてることは地方の主要都市ではありがちではある。
 その"街はずれ"な場所にあるJR宇都宮駅であるが、新幹線駅であり日光線への分岐駅であり、烏山線の実質的な乗換駅でもあり、なおかつ東北本線としても素上野方面と黒磯方面で運行形態がほぼ完全に分断されてるなど、鉄道の要衝としての拠点性はかなり高い。東武宇都宮線が支線の盲腸線で東武宇都宮駅が終端駅であることを考えても、宇都宮市の代表駅は圧倒的にこちらであろう。日光へは東京からだと東武線が直結しているが宇都宮からだとぐるっと大回りになり、JR日光線のレトロな車両で行った方が早い。他所への移動の利便性を考えると圧倒的にJR有利である。県都であるから中央の企業の支店や事業所だったり、地元企業でも中央の企業の取引先顧客も少なくないからビジネスで訪れる人も少なくないはず(実際僕自身仕事での訪問が何度かある)である。駅舎内には小売店や飲食店はそれなりにあるものの、駅近辺のエリアももうちょっとひらけてもいいような気がするのだが…。
 そんな、総体的にはこれといった特徴をあまり感じない宇都宮駅で、もっとも個性を感じたのは──構内にある軽食喫茶でナポリタンか何かを注文した時の、店主の言葉のイントネーションでしたw はい、語尾が尻上がりのあの独特の訛りです。北関東3県は総じて訛りが独特ではあるけど、僕的には栃木のそれが特に印象強い気がします。ここ最近は餃子で有名になってきてる宇都宮でありますが、僕の中ではまだ餃子よりもレモン牛乳よりも訛り…、というのが宇都宮の印象であります──でもこれだってれっきとした地元の財産。どうか大事にしてくださいねw
 









 先日、元同級生♂がFBにてこんなことを書いていた──「長年の花粉症持ちなのだが、この春は毎年のようなくしゃみや鼻水の症状があまり出てこない。年齢をとって症状が軽くなったのだろうか」
 この『メディラビ』カテゴリ記事でも何度も書いてきたように、僕も花粉症持ちで毎年この季節になるとティッシュと点鼻薬が欠かせない。もちろん今年も例年通りで毎日5回点鼻薬を使わなければ鼻づまりの禁断症状が出て耐えられなくなる"ヤク中"状態である──上述、元同級生であるからもちろん僕と同い年。なのに僕の花粉症は例年と変わらないのだが…、症状の軽重に年齢は関係あるのだろうか?
 そう思ってネットで調べてみると…、こちらにある通り、年齢が高くなるほど症状が軽くなるらしい──まあ、花粉症に限らずアレルギー症状というのは免疫細胞が特定の異物に対して過剰反応してしまう現象であるから、アレルギー症状の軽重も当然免疫力に比例するだろうし、免疫力が高いほど花粉症の症状も重くなると考えるのが自然であろう。肉体の老化と共に免疫力が低下するにつれて、花粉症の症状も軽減されていくわけだ。てことは今年もまだバリバリ花粉症な僕は上述の元同級生よりも免疫力がまだまだ若いということか? この先まだまだ続くつらいこの症状を喜んでいいのか何だか、ちょっとフクザツな感じだな…。
 リンク先の解説によると花粉症の症状のピークは40代だという。僕も発症したのは40代になる直前の春だったのだが、やはり働き盛りによる睡眠不足やストレスが引き金になったのだろうか──仕事の忙しさ&ストレスによる疲労は40代半ばくらいがピークで、現在は当時に比べるとだいぶ余裕が出てきてる状態なのだけど、当時よりも症状が軽減されてるという感覚はない。また発症する40歳前にも乱暴な忙しさやストレスなんていっくらでもあったし、それがあまり花粉症に影響してるとは思えない。僕よりも調子よく社内外で器用に立ち回ってるように見える奴にも鼻グズグズさせてクシャミ連発してるやつは何人もいたし。
 そう考えると、加齢とともに花粉症が軽減されるという説も、理論的にはわかるけど果たしてホントにそうなのか? なんて思えたりもするわけで。まあ体質もストレス耐性も老化のペースも個人差があって人それぞれと言ってしまえばそれまでなんだけど…。
 花粉症以外の金属アレルギーやペットアレルギー、卵や甲殻類や乳製品などの食物アレルギーについても同じように加齢とともに軽減されるのだろうか? まあ軽減されるとは言っても生命に関わるアレルギーが全く無問題にまでなるわけはないからそれらが食べられたり装着できたりするようにはならないだろし、アレルギー軽減が免疫力低下によるものということになれば、健康上は弊害の方が圧倒的に多いから、我慢してアレルギーと上手に付き合うようにした方がいいのは間違いない。
 








 クレディセゾンという会社をご存じだろうか。セゾンカードを主力商品とする、東池袋のサンシャインビル52階に本社を置くカード会社である。芸能プロダクションでもなければ放送やイベント業界でもない、芸能音楽とは全くの異業種である──その『株式会社クレディセゾン』自らの企画で、本社及びそのグループ会社の女子社員有志から参加者を募って大人数アイドルグループが結成されたと聞けば、驚く人も少なくないだろう。
 そのユニットとは、その名もズバリ『東池袋52』。メンバー24人は全員クレディセゾン及びグループ会社の社員さん、皆さん普通のOL、ワーキングウーマンである。最近もセゾンカードのテレビCMで新曲『雪セゾン』をバックに大人数の女の子がサンシャインシティのペデストリアンデッキ上で踊ってるのを見たことある人もいるだろう。上述の通りクレディセゾン本社自ら社員を募ってのユニット結成目的は、もちろん主力商品であるセゾンカードの拡販のためのPRである。なので彼女たちの活動目的も本業の一環であり、アイドルの顔であると同時に社員の顔としての活動でもあるわけだ──
 とはいえ売れっ子コピーライターの中畑貴志さんとAKB48の『ポニーテールとシュシュ』などのヒット曲を手がけた多田慎也さんを作詞・作曲陣に、振付屋かぶきもんを振付担当に迎え入れたりと、かなりプロデュースに金も力もかけているようである──PVを観ても彼女たちのパフォーマンスのレベルの高さはハンパなく、もはやこれは単なる一般企業の余興ではない、てか商品拡販の一環なのであるからもちろん余興ではないのだけどそういうの抜きにしてアーティストパフォーマンスとして完成されてるのではなかろうかと…。
 グループ結成の経緯が『ふたりセゾン』をヒットさせた欅坂46とセゾンつながりでタイアップキャンペーンを計画しながらも業界の諸事情で断念「ならばいっそのこと自社でアイドルグループ立ち上げよう」とのこと。道理で曲調とかダンスはどことなく欅坂寄りに見えるが、決して単なるマネのレベルではないのは上述の通りである──ちなみに彼女たちの楽曲CDの入手はセゾンカードの『永久不滅ポイント』を貯めて交換という方法のみだそうです。過去リリースした4曲のシングル曲収録のアルバム『人生楽しい人の勝ち』が200ポイント、その他ペンライトや缶バッジなどの関連グッズもポイント交換のみとのこと。要はセゾンカードを作りなさいってことですw ユニット設立趣旨を考えれば当然っちゃあ当然ですねw …でも、握手券でヲタを釣って何十枚もCD買わせるどっかの商法よりは全然良心的だと個人的には思いますけどね。
 アマチュアスポーツの世界だと私企業の一員として所属しながら社員として社名を背負ってアスリート活動をすることは一般的だが、今後音楽界でもそういうスタイルの活動が生まれてくるかも…、活動基盤として一般企業所属というのはアーティストにとっては新しい活動スタイルのヒントに、また企業側にとっても商品の拡販や業態の拡大、企業のアピール戦略としても有効なのでは? 東池袋52についてはそのテストケースとして、僕はその活動を興味深く注視しております──
 









 表題の言葉。好きな漫画の全巻とか映画とかテレビドラマ、音楽なんかのDVDソフトやアニメのキャラクターグッズ等々、主にその人の趣味の分野の商品を、一括でまとめ買いすることを俗に『大人買い』という。元々は食玩など箱を開けてみないと中身が分からないおまけ入りの子供向け商品を大人が一度に大量に購入することを、本来子供が少ない小遣いで少量ずつ買うものである子供向けの低額なおもちゃとか漫画本なんかをいいオトナが財力に物を言わせて一括大量購入してるということで、多分に皮肉を込めて『大人買い』という言い方をするようになったのだろう。であるが最近では趣味以外の商品一般を対象とする例も少なからずあり、事実上単なるまとめ買いと同義になってるようである──
 と、上述の解説はほとんどwikipediaに書かれてることを要約したものなのであるが…、実は今回この言葉を取り上げるにあたり僕が書こうと考えてたことのほとんど、既にwikiに書かれてしまってましたorz 僕が今回書こうとしてたのは「子供の買うものを、大人が大枚はたいてドカ買いし、そのせいでおまけがダブってしまったり本体の方の商品だったりが大量にムダになったりとか、子供と同じようにおまけの内容に一喜一憂したりとか、それってマトモな良識ある大人がやる行為としてはあまりにみっともないのでは?」ということだったのだが、これもほぼwikiに書かれてるそのまんまの内容。ごていねいに僕が結論はこれでシメようと思ってた「大人買いイコール『大人げない買い』」の文句までもしっかりwikiに書いてあったという──まあ、逆に言えば普通の大人なら誰だって常識的にそう考えるだろう、ってことでもあるわけだが。
 子供が感情のままに駄々をこねて我慢しようとしないところを、感情を抑えて理性をもって自制するのが大人なのであるから、いわゆる『大人買い』は本来の大人の買い物のし方とはむしろ対極のものであると言えよう。子供の買い方との違いが単に財力の違いであって、これが大金持ちのおぼっちゃまならドカ買いするところだろうけど、それも『大人買い』と呼ぶのか、というのもそうだし、財力に任せて大枚はたいて買えるのが大人だ、というのも何だかいやらしい感じがするし…。
 いずれにせよ俗に言われている『大人買い』という言い方で表されてる"大人"というのは、ずいぶんとイメージ悪すぎではなかろうか──wikiには『大人買い』の心理を幼少時代の満たされなかった経験に起因する説も書かれてるが、そこで想起されるのは要するに精神が成熟し切れないまま身体だけ大きくなったような幼児大人像である。『買い占め』との相違として、取ってつけたように「トイレットペーパーのような生活必需品を大量購入する場合は『大人買い』とは通常言わない」ともあるが、あまりフォローにはなってないような。
 という具合に、大人げない行為だとwikiにも載るくらい一般的に認識されてる、そんな行為に"大人"を冠するこの言葉、あまりにも違和感ありまくりなんですけど…。
 









 昨年、自宅マンションの玄関ドアが、我が家も含めて全室交換された。新しいドアにはそれまで1つしかなかった鍵穴が2つ。遅ればせながら我が家の玄関ドアも1ドア2ロックとなったわけだが──
 外鍵が複数ある玄関ドアの存在はもちろんかなり前から知ってはいたけど、自宅ドアがそうではなかったし、隣やその隣の部屋も階下の部屋も、マンション全戸そうでないドアを見慣れて過ごしてきたので自分の中では鍵穴は1つというのが普通という感覚であった。なので「防犯のグレードがアップしたぞ」だなんて無邪気に喜んでたのだけど──
 しかし、ドアが変わった直後のある日、通勤の道中に近所の家々の玄関ドアを観察してみると…、最近の新築の家はもちろんのこと、少し築年数の経ってる家であっても、鍵穴は当たり前に2つある。洋風のドアでなく和風の家の引き戸であっても2か所鍵穴があるのが普通であった──なあんだ、単にウチのマンションが遅れてただけじゃんw ってそこ笑うとこじゃないから──それまでよその家の玄関ドアなんて注意して見たりはしてなかった(そりゃそうだ、他人の家の玄関それも鍵穴を重点的に観察して回ってたら空き巣狙いを疑われても仕方ない)から気づかなかったけど、一般家庭ではとっくにそれが当たり前になってたのね。
 マンションだと昨今ではオートロックのとこも増えてきており、自室の玄関に行き着くより手前のエントランスのところでキーを用いて自動ドアを開けなければ中に入れないので、ある意味それが2ロックと同じになるわけだが、戸建住宅だと玄関の手前に施錠された扉はなかなかないし、門扉があったとしてもそれでは完全とは言えないから、戸締りを厳重にしようとすれば玄関ドア、ということになるのだろう。こと玄関ドアに限ればセキュリティに関しては集合住宅より戸建住宅の方が進化するのは必然と言える。ウチのマンションの場合だと、エントランスと裏口の2か所に防犯カメラはついているがオートロックではなく、建物内への侵入という点では万全とは言えなかった。それが今回のドア交換で世間一般並のセキュリティを手に入れたということになるのだろうけど…、2つの鍵穴で使用するのは同じ1本の鍵だし、向上はしたと言ってもあくまで相対的にであって、絶対的にはどうなのだろうか。内鍵もそれまでのチェーン型からU字型になり、ペンチとかで切断される危険はほぼないけど、これも輪ゴムなどを巧みに使って破る方法はあるみたいだし──
 こんなふうに、玄関ドアひとつ取ってみても、世間的には防犯意識がどんどん高まっており、防犯カメラ設置やディンプルキーへの交換のタイミングもそうだったが、ウチのマンションのそれは世間よりも後追い気味なのは否めない──それでも空き巣狙いたちの進歩に先んじててくれればいいことなので、他所との比較はあまりせずに昨年のこの英断は素直に喜びたいと思うし、今後も防犯面でさらに進化していってもらいたい。
 







 冬季五輪としては日本のメダル獲得数が過去最多を記録した先月のピョンチャン五輪の最中、とある女性ジャーナリストがネット上で「日本がすばらしいのではなく、選手がすばらしいのだ」とコメントして、当然ながら非難が殺到したようである。日本人として日本人に生まれ育ってきてるはずなのに、そうまでして日本の称賛につながるようなことは頑として言いたくないという姿勢そのものも理解不能だが、そもそもその「すばらしい」選手たち自身、日本代表として日本を背負って競技に臨んてでるのに、こういう言説は選手たちに対しても失礼極まりないだろう。件のコメントは僕的にも「何言ってんだ」である──
 しかし、今回のそのピョンチャン五輪では、国ではなく個人で参加した選手も少なからずいる。組織的ドーピング問題で国としての参加を認められなかったロシアから選手個人の資格として参加している『OAR』の選手たちである──『OAR』とは『Olympic Athlete from Russia(ロシアからの五輪選手)』の略。前回のソチ五輪での組織的ドーピング問題でロシアとしての参加を不可とするにあたり、潔白が証明された選手がロシアの国歌や旗を使わない個人としてIOCにより個人資格が認定された先週の中から168選手が参加した。しかしその中に今回またドーピングで引っかかった選手が出たりして、今後のIOCそして反ドーピング機関らのロシアへの対応への影響が懸念されているが…。
 そのOARの個人資格選手からもメダルは続出している。特に女子フィギュアの印象は鮮烈だった。日本的には宮原知子が惜しくも4位でメダルに届かなかったのが残念といいたいところだが…、しかしザギノワのあの演技を見せつけられてはさすがにグゥの音も出ない。文句なしの金メダルだろう。同じOARで銀メダルのメドベージェワ共々、これは素直にかぶとを脱ぐしかない──
 上述の通りザギノワもメドベージェワもロシア代表ではなく個人資格での参加であるから、彼女たちが表彰台に上がった時にはもちろんロシア国歌は流れないしロシア国旗も掲揚されない。それでも自国を背負わずとも自分たちの実力を存分に発揮して、グゥの音も出ない演技でメダルを勝ち取ったわけだ。国ぐるみでドーピングに手を染めたロシアは、すばらしいとは到底言えない。しかし彼女たちのリンクでの演技は、すばらしいという言葉しか出ない。これでは上述の「国がすばらしいのではなく選手がすばらしいのだ」という言葉が正当化されてしまいそうであるが…。
 だけど、それは他でもない彼女たちにとっても決して本意ではないはずだし、彼女たち自身も個人資格での参加とはいえ、ロシア人としての矜持を抱きつつ自国の名誉回復を願いながらの演技であったと思われるし、そんな彼女たちの演技を観て「ロシアが素晴らしいのではない、彼女たちがすばらしいのだ」などと発言するロシア人も、おそらくいないだろう。彼女たちを育んできたのはロシアであり、すばらしい彼女たちの核としての存在である国を無下に否定はできないだろう──もちろん日本だって同じである。羽生結弦や宇野昌磨、高木姉妹などがすばらしいのであれば、彼らを育んだ土地がすばらしいのは必然である──ともあれ、4年後の北京ではザギノワもメドベージェワも、ロシア代表として参加してほしいものである…。
 ──とは書いたが、彼女たちを始めとするOARの選手たちの今回の活躍ぶりを、ロシアの幹部はどのように見てるのだろうか。自国を背負えずに個人としての参加であれだけの活躍をした選手たちのことを。その上でドーピングに関する自浄意識はどの程度のものあろうか? ロシア人選手たちはすばらしい。ロシア国家はどうか? そのあたり、今後を注視したい。
 









 世界遺産・富士山が静岡県のものか山梨県のものか、両県では熾烈な所有権争いが続いているとかいないとか──両県にまたがってることは事実だし、山頂の位置がちょうど県境のど真ん中なのも事実。遠景の美しさも静岡の海側からの風景と山梨の富士五湖を視界に収めての風景では、どちらの美しさにも遜色はない。富士山をどちらか一方の県に独占させるのは、やはり無理があるだろう──
 その富士山の、東側からの絶景ポイントといえば、静岡県の御殿場市。富士山はもちろん箱根山へも至近、さらに北に丹沢、南に愛鷹と四方を高い山に囲まれ、また御殿場市自体も標高の高い場所にあって冷涼な気候であるため、避暑地としての性格も持つ街であるが、一般的には富士登山への拠点としてのイメージが強いのではなかろうか…。
 その御殿場市の玄関口である御殿場駅は、沼津と国府津を山北~松田経由で大回りで結ぶJR御殿場線の基幹駅である。御殿場線はJR東海の路線であるが、神奈川県の国府津を起点として足柄あたりまで神奈川県内を走り、静岡県にはいってからも御殿場から裾野~沼津と県東部のみの沿線は、どうにも東海地方という気がしない。御殿場駅の東口側には東京への高速バスが発着し、登山客は列車よりはこちらのバスを使うことが多く、交通的には東京との結びつきが強い印象だから、というのもあるかも知れない。
 その、東口側にある高速バスの発着所は、バスターミナルという感じではなく、ロータリーもそれに通じる道路もさほど広くはない。乗車券売場兼観光案内所がある他は、どちらかというと裏口的なたたずまいである。御殿場駅の表玄関はどちらかというと反対側の西口だろう。富士山が聳えてるのはそちら側だし、それへの登山ルートを中心に開けた街であるからそちら側の方が開けてるのは必然と言える。ロータリーもそちらの方が広いし路線バスの発着も主にそちら側、飲食店や大小小売店舗も駅前を中心にひと通りそろっている感じである──とはいえ発展してて賑わってるという感じは、正直言ってあまり受けなかった。駅舎が首都圏でよく見る感じのそこそこの大きさの両側行き来自由な橋上駅であることも含め、街並みの雰囲気は郊外の衛星都市のそれだが、そこは地方都市のご多分にもれず老朽化したビルや流行ってない商店が目立ち、苦戦してる感じは否めない印象である。
 そんな駅前風景を抜けて進んでいくと、徐々に道が勾配になっていき、その先には富士山の姿が。もちろん都内やその近郊で見るそれとは比較にならないくらい大きな姿で迫力を感じる。だけど、周辺に開けてるのは普通の住宅が立ち並び、地元の人が行き交うありふれた街の風景。この街の人たちにとっては、富士山の雄姿もありふれた日常なのである──僕が訪れたその時は夕方近い時刻。曇っていて天気はいいとは決して言えなかったが、西側の空には明るさが残っており、ややシルエット気味に映る富士の姿と普通の街並が同居する光景は、かなり絵になる趣深いものに僕には映ったのだった。
 陽も落ちかけて周囲が暮れなずむ頃に、僕は駅に戻って帰路につき始める。御殿場線で松田まで行き、小田急線新松田駅から東京方面へ戻るルートである。待つことおよそ30分。暦の上ではディセンバーなその季節、避暑地としての顔も持つ御殿場市は夕刻になるともちろんかなり冷え込む。ホームに出てると寒いのでコンコース内にベンチが並ぶ待合所がある。そこでしばし待つものの、そこだって仕切られた部屋ではなく、もちろん暖房完備でもないから寒いことに変わりはない。ようやく到着した電車内の暖かさにホッとしながら、僕は御殿場の街を後にしたのだった──
 








 何年か前まで、毎年この時期が近づいてくるたびツイッターによく流れてきたツイート「『3.14と聞いて何を連想するか?』と訊かれて『ホワイトデー』と答えるのは文系、『円周率』と答えるのは理系」。ま、他愛無いジョークだし、自分は根っからの文系人間だけどホワイトデーより先に円周率の方を思い浮かべるぞ、なんて思いながらも「ま、どっちでもいいけど…」て感じでツイートを見ていたのだが──その後流れてき始めたツイートでは、上述の文章の後に「…と言うやつは文系」の一言がつけ加わるようになった。そのココロは「理系にとっての円周率はπ」である。
 このツイートは同じアカウントからおそらくは自動送信で回転寿司的に繰り返し同じ文面で流れてきたのだが、書いた人物はさぞかしドヤ顔で勝ち誇ったようなつもりで、自身のこの思いつきに酔ってるんだろうな、なんて思えてしまったものである──だが、僕はその後にさらにこの一文を付け加えたい「…というやつは文系理系に関わらずコミュ障」。そのココロは──
 ここでの質問は「3.14が何か?」なのであって「円周率と言えば?」ではない、まず3.14ありきの問いなのである。その問いに「円周率はπだろうが莫迦w」って言われても「莫迦はどっち?」ってやつですわなw 提示されたデータに基づかずにピントのずれた分析をするようでは理系として失格だろう。もちろん文章の読解力もないわけだから文系としてもダメダメである。もはや文系だ理系だという問題ではなく、相手の趣旨を理解できずに自身の独りよがりな主張に酔っちゃっていい気になってるっていう意味で「それってただのコミュ障じゃね?」って思っちゃうわけなんですよ。
 で、上述の通り学生時代国語が最も得意で理数系は苦手、特に物理で赤点の常連だった生粋の文系人間な僕が3.14と言われてホワイトデーより先に円周率を思い浮かべるくらいだから、3.14が何かの問いに文系も理系も関係なく、どちらの人の側にもどちらを思い浮かべる人も一定の割合でいることでしょう。つまりはこういう質問自体がナンセンスということ──上で「他愛無いジョーク」と言ってながらそんなにムキになってぶった斬らなくてもいいじゃん、なんて思われるかもしれないが…。
 しかし、一見他愛無いこの話の中には『文系<理系』という妙な価値観での文系蔑視が内包されており、僕的にはその点が気になってしまったわけなのである。決して自身が文系だから反発したのでは全然なく、これを最初に言い出した人が文系と理系のどちらか知らないが、上述の通りのコミュ障的なことを理系に言わせて勝ち誇らせるこの話、理系にとっても外聞が悪いのでは? 文系と理系は決して対立する概念ではなく、それぞれの役割で互いを補い合う関係ですよ…、なんてコミュ障に言ってみても仕方ないけど。
 









 以前にも書いたとおり『おすもうの味方』イコール日本相撲協会の味方という意味では必ずしもないし、協会内部や理事会や評議員がどうであれ、僕が『おすもうの味方』であることに変わりはないわけで──昨年後半から今年にかけて続いてる親方たちのゴタゴタうんぬんはひとまず置いといて、今回は未来を見据えて土俵上のニューカマーたちに着目したいと思います。
 先場所初優勝の栃ノ心には、素直に頭が下がります。土俵上の大怪我で一度は幕下のドン尻まで番付を下げながら見事に復活しての優勝ですから。ジョージア出身力士の優勝は史上初。モンゴル力士ばかりが優勝を独占する場所が続いて、もう外国人力士の優勝はいいよ、なんて思ってましたけど、しかし今回の栃ノ心の優勝は国籍うんぬん抜きで素直に祝福します。30歳を過ぎた彼はニューカマーとは言えないかもだし、今後活躍できる期間がどのくらいあるかはわからないけど、でもさらに上を目指して更なる活躍を期待したいと思います──
 その初場所で複数の金星を挙げた北勝富士は、最終的には大きく負け越してしまったけど、でもこの壁はすぐに乗り越えてくれることでしょう。上位にも物おじしない相撲ぶりは、やはり大物の予感がします。いずれは相撲界を代表する力士になってもらいたいものです。
 来たる春場所で新十両の貴公俊は、すでに十両で活躍している貴源治とは双子の兄弟。史上初の双子同時関取となったのでした。コンビで初っ切りを担当したりなど、息もピッタリなこの兄弟、年齢はまだ20歳過ぎたばかりで若く、双子同時幕内、同時三役、いや、それ以上も決して夢ではないと思われ、期待はますますふくらむばかりである。互いに切磋琢磨して2人で上を目指して欲しい──
 もうひとり春場所の新十両といえば炎鵬。彼も小さな身体でありながらスピード感のある相撲で連勝に連勝を重ねてわずか1年でのスピード出世。勢いはまだまだ止まることはないと思われる。これまた2~3年後が楽しみな力士である。
 関取だけでなくもっと下の方、新弟子にまで目をやれば、相撲史に残る大横綱・大鵬の孫である納谷という逸材もいる。すでに高校相撲では数々の実績を重ねており、相撲勘はまさに血筋と言える(祖父が大鵬で、父は元関脇貴闘力)。まだ新弟子だし今から大横綱を期待するのは気が早いかもしれないけれど、でも将来性は大いにあると思う。幕内上位を脅かす存在になるのは、そう何年も先の話ではないと思うぞ──
 ──と、ここまで書いたところで、とんでもないことに気がついてしまった…。栃ノ心は4年前の部屋の暴行事件が発覚した春日野部屋で、北勝富士は理事長が師匠の八角部屋、貴公俊と貴源治の師匠は言わずと知れた貴乃花親方、炎鵬は暴行事件の"ラスボス"白鵬と式守"ホモセクハラ"伊之助を擁する宮城野部屋、そして納谷の入門した大嶽部屋では大砂嵐の無免許運転問題…。ことごとく一連の不祥事の渦中の部屋ではないか! ちょっとでも不祥事の暗いイメージを払拭したくて希望の持てる力士の話題を並べようとしたのに、かえって数々の不祥事を想起させることになろうとは。
 結局、いくら土俵に集中して将来有望な力士に着目しようとしても、運営母体である相撲協会内で不祥事が重なる状態ではその呪縛から逃れることなどできない、ということなのである。ひとつの組織の中で不祥事を起こすというのは、つまりはそういうことだということ。あの横綱やあの人気力士、あの親方やあの立行司のやったことの影は、せっかくの有望力士の将来にいつまでも水を差し続ける──それがどれほど罪深いことなのか、当事者のあの人やこの人はどこまでわかってるのだろうか?

 









 前回の記事をUPしてからわずか1週間後…、僕はインフルエンザにかかってしまい、5日間仕事を休んで自宅安静を余儀なくされてしまいました──
 最初はちょっと咳が出るな、くらいの感じだったのだが、翌日から徐々に熱が出始めて、それでもその次の日まで根性で仕事に出ていたのだが、あまりの熱の高さについに耐えきれなくなって、その日の仕事帰りに病院へ。診察室で検温したところ、体温計に表示された数値は何と41.5度。もちろん生涯初めて見る数値である。当然のごとくその場でインフルエンザの検査を受けることになる。鼻に綿棒を突っ込んで調べるあれである──検査の結果、計器のAのところに赤いラインがくっきりと表れていた。A型インフルエンザの陽性反応である。タミフルと解熱剤が処方され、帰宅したらそれらを服用して即刻床に就いたのだった。
 熱は翌日の午後には37℃を切り、以後特に発熱もダルさも咳その他もなく、体調的にはほぼ回復したかに思えたけれど、インフルエンザウィルスが完全に体内から消えたわけではなく、他者への感染の危険があるため上述の通り職場復帰は翌週の半ばになったというわけである──もちろんタミフルも処方された5日分を完全に服み切った──このタミフルという薬、何年か前に副作用の異常行動が問題になって現在も危険視する向きもあるようだが、そちらの方ももちろん何ら問題なかった。
 ともあれ先日のインフルエンザは現在では完全に治癒したわけだが、しかし僕がかかったのはA型であり、同時に流行しているB型の方にかかる可能性はまだ残っており、引き続き警戒が必要である──前回記事に書いたように、現在免疫力の低下が疑われる表皮の病気の治療中であり、感染症の心配は高まってる状況で、ワクチン不足により予防接種を受けることが叶わない状況の中で、例年にない寒波と乾燥という気候、さらに通常より早い時期からのA型とB型の同時流行というさまざまなイレギュラー的な不利な状況がこれでもかと重なった結果、僕自身これまで経験した記憶がないインフルエンザにひとたまりもなくかかってしまったわけで、まだB型に感染する可能性があるとなると、恐怖におののく日々はまだまだ続くわけである…。
 で、僕と時を同じくして母もA型インフルにかかってしまい、ほぼ同時期に寝込んでしまったのだった。母は予防接種を受けられてたからか、僕ほどの重症にはならなかったようだが…、それでも後期高齢者の母にうつしてしまうことをとにかく懸念して気をつけてた僕にとっては、何でこうも何から何まで僕が心配した方向にことごとく向かってしまうのかと、誰にも向けようのない恨みの矛先を持て余してるわけで──とにかく、予防接種が未だに受けられない(上述の病院でも診察待ちの間にも受け付けの事務員さんが予防接種の申し込みの電話をいくつも断っていた)状況の中で、うがいと手洗いとマスクの着用に神経質になりながらも、その無力さが歯がゆくて仕方がない。「B型インフルあっち行け!」の叫びはもはや神頼みレベルである…。