選手はすばらしい。国はどうだ? | ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

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春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。







 冬季五輪としては日本のメダル獲得数が過去最多を記録した先月のピョンチャン五輪の最中、とある女性ジャーナリストがネット上で「日本がすばらしいのではなく、選手がすばらしいのだ」とコメントして、当然ながら非難が殺到したようである。日本人として日本人に生まれ育ってきてるはずなのに、そうまでして日本の称賛につながるようなことは頑として言いたくないという姿勢そのものも理解不能だが、そもそもその「すばらしい」選手たち自身、日本代表として日本を背負って競技に臨んてでるのに、こういう言説は選手たちに対しても失礼極まりないだろう。件のコメントは僕的にも「何言ってんだ」である──
 しかし、今回のそのピョンチャン五輪では、国ではなく個人で参加した選手も少なからずいる。組織的ドーピング問題で国としての参加を認められなかったロシアから選手個人の資格として参加している『OAR』の選手たちである──『OAR』とは『Olympic Athlete from Russia(ロシアからの五輪選手)』の略。前回のソチ五輪での組織的ドーピング問題でロシアとしての参加を不可とするにあたり、潔白が証明された選手がロシアの国歌や旗を使わない個人としてIOCにより個人資格が認定された先週の中から168選手が参加した。しかしその中に今回またドーピングで引っかかった選手が出たりして、今後のIOCそして反ドーピング機関らのロシアへの対応への影響が懸念されているが…。
 そのOARの個人資格選手からもメダルは続出している。特に女子フィギュアの印象は鮮烈だった。日本的には宮原知子が惜しくも4位でメダルに届かなかったのが残念といいたいところだが…、しかしザギノワのあの演技を見せつけられてはさすがにグゥの音も出ない。文句なしの金メダルだろう。同じOARで銀メダルのメドベージェワ共々、これは素直にかぶとを脱ぐしかない──
 上述の通りザギノワもメドベージェワもロシア代表ではなく個人資格での参加であるから、彼女たちが表彰台に上がった時にはもちろんロシア国歌は流れないしロシア国旗も掲揚されない。それでも自国を背負わずとも自分たちの実力を存分に発揮して、グゥの音も出ない演技でメダルを勝ち取ったわけだ。国ぐるみでドーピングに手を染めたロシアは、すばらしいとは到底言えない。しかし彼女たちのリンクでの演技は、すばらしいという言葉しか出ない。これでは上述の「国がすばらしいのではなく選手がすばらしいのだ」という言葉が正当化されてしまいそうであるが…。
 だけど、それは他でもない彼女たちにとっても決して本意ではないはずだし、彼女たち自身も個人資格での参加とはいえ、ロシア人としての矜持を抱きつつ自国の名誉回復を願いながらの演技であったと思われるし、そんな彼女たちの演技を観て「ロシアが素晴らしいのではない、彼女たちがすばらしいのだ」などと発言するロシア人も、おそらくいないだろう。彼女たちを育んできたのはロシアであり、すばらしい彼女たちの核としての存在である国を無下に否定はできないだろう──もちろん日本だって同じである。羽生結弦や宇野昌磨、高木姉妹などがすばらしいのであれば、彼らを育んだ土地がすばらしいのは必然である──ともあれ、4年後の北京ではザギノワもメドベージェワも、ロシア代表として参加してほしいものである…。
 ──とは書いたが、彼女たちを始めとするOARの選手たちの今回の活躍ぶりを、ロシアの幹部はどのように見てるのだろうか。自国を背負えずに個人としての参加であれだけの活躍をした選手たちのことを。その上でドーピングに関する自浄意識はどの程度のものあろうか? ロシア人選手たちはすばらしい。ロシア国家はどうか? そのあたり、今後を注視したい。