昨年秋、有安杏果がソロアルバム出してソロコンサートやった時、モノノフの中に「杏果ちゃんももクロ辞めて独立しちゃうのか?」という心配の声が出て、それに対して別のモノノフが「そんなことあるわけないだろ、ももクロの一員として、グループや他メンバーあっての活動なんだ」と反論するというやりとりが何度も見られた──僕自身の意見は後者であった。それはもちろんももクロの杏果と彼女を含めた5人のももクロが好きだ、という気持ちがあったからというのもだけど、それと同時に彼女自作のソロ作品たちは、相応の水準はあるものの歌唱も楽曲も歌詞世界も普通のJ-POPソング以上でも以下でもなく、ももクロの看板抜きで単体で通用するにはいささか厳しいかな? と感じたからであった── そのことを杏果本人が自ら覚ったかどうかは定かではないが、先月の彼女の突然のグループ卒業の理由「普通の生活を送ってみたい」という言葉に「もしかして?」と感じたのは否めない。0歳から子役としてこの世界に入り、芸能人歴=年齢である彼女の履歴には、そもそも一般人時代というものがない。大学で一般人の学友たちと接する中で、同世代なら当たり前に通ってきた経験の履歴が自身にすっぽり抜けてしまってることを否応なく見せつけられてしまったであろうこと、そしてそれが表現者としての自分にとっても弱点になってる、と思えるようになってきたこと──突然過ぎる今回の卒業発表だったが、彼女自身の中では昨日今日の思いではなく、かなり前から考えていたことなのであろう。 ──ニュースやワイドショーの記事では「芸能界引退!」と何度も繰り返されていたが、実は彼女自身は『引退』というワードは全く使っていないし「今後のことは全く未定で、復帰するとか完全に辞めるとか決めてしまうのではなく一度距離を置きたい」とコメントしている。つまり芸能音楽の世界から完全に足を洗おうという意志があるわけでは決してない、とも十分考えられるわけで…、それだけに今回の卒業も、表現者としての素養を外側から肉付けして幅を持たせるための期間を得るためなのではないか、であれば彼女は一回り大きく成長して、きっと戻ってくるはず──そんな風に期待しているのだが、果たして…? 幕張メッセでの杏果最後のライヴで、彼女がステージから去った後、4人のメンバーで『あの空に向かって』が披露された。この曲は彼女たちがまだ無名だった'08年に、その当時の在籍メンバーが分担して作詞をした曲であり、ももクロにとっても特別な位置付けの曲。杏果が歌唱していたパートはあーりん(佐々木彩夏)に引き継がれるという。杏果もそうだが、4人になったももクロにとっても新しい青空への出発であり、向かう方向は別であっても、それぞれの空を目指してまっすぐ進むことに変わりはない。そして、あの空もこの空も、空というのはひとつにつながっているもの。グループは卒業しても、杏果と他の4人の空は必ずどこかで交わるはず…、そう信じて僕はこれからも5人を応援していきたい── |
『文春砲』による小室哲哉の不倫報道については、それを受けての本人の記者会見でいきなりの引退宣言という意外な展開となったわけだが…、身内の在宅介護を経験してる人たちの声は圧倒的に小室擁護、というよりは文春許せん、という感じである──不倫相手とされる女性がKeiko夫人の担当の看護師であることや会見時の小室氏の言動に介護うつとおぼしき様子が見られること、Keiko夫人の病状の影響で精神的に対等なパートナー関係が困難な中で件の女性に精神的癒しを求めた、だけど男女の関係はない…、などはあくまで会見での本人談でしかないけれど、介護経験者にはいずれも十分頷ける話であるらしい。なので、そんな唯一の精神の支えを非難がましい論調で奪おうとし、結果として彼の音楽家生命まで奪った文春許せん、となってしまうというわけだ。 幸か不幸か僕は今のところ介護というものの経験がないので、上述の声たちを理解し切れてるとは決して言えない。だけどうつ病持ちの知人は過去複数いたし、自身も精神科受診歴があるので、その乏しい経験&伝聞からは「そういう可能性は大いにあるだろうな…」くらいには思える。しかし今までそういうことと無縁に生きてきた人だとなかなか理解は難しいかも知れない。実際あの記者会見にも「不倫は不倫だろ、言い訳してんじゃねえ」なんていう声は一定数あるようだし── 今年に入ってからでも『はれのひ』が着付けの注文も預かった晴れ着もそのままで成人式当日にバックレて晴れの式典に水を差された新成人が多数出たニュースの時に「業者に頼む方が悪い、てめえの着付けくらいてめえでやれ」などと無知丸出しな発言をツイッターとかでしてアホさ加減を全世界にさらけ出す奴とか、新潟の三条市内で積雪のため夜通し立ち往生した電車の中で乗客が閉じ込められたままになっていたニュースで「なんでバスとかを出して乗客を救出するとかそこで全員おろして最寄駅まで案内するとかしなかったんだ!」と、現場の映像みただけでもそんなの無理に決まってるってわかんだろ、な莫迦非難をJR東日本に浴びせてたやつとか、物笑いの種が尽きない感じであるが、そういう普通に常識レベルの想像もつかない層が一定数いる状況では、上述のような介護やメンタルケアなどの経験則を要する推察を一般大衆に期待する方が間違いなのだろうか──? 受け手がそうなのであれば、送り手であるメディア側の方に幅広いリテラシーを期待せざるを得ないのだが──IPS研究所の論文捏造事件で、所長である山中伸弥教授の関与を取り沙汰して進退について追及するようなやつらにそんなことは到底期待できそうにないし…、ていうか連中、大衆のそういうリテラシー感覚をわかった上でわざと印象操作してるのではないかと思えるフシもある。実際は大衆だってそんなに無知蒙昧な人ばかりではないし、ある分野では無知でも別のある分野で詳しいとかの人はいくらでもいるし、大衆を十把一絡げで無知扱いして扇動しようとしても必ず誰かに見抜かれて自分たちの信用を落とすだけなんだけど…、そういうことに思いが至らないメディアの人たちもたいがいではある。 小室哲哉の件の場合、単なる芸能スキャンダルだと思って記者も高をくくってたのだろうが、家族介護の置かれてる状況やメンタルケアの方面まで飛び火してしまい、当の文春側が「そんなつもりで書いたのではない」と言い訳するというオチまでついてしまった──そんな情けない連中が発信してくる情報だから、防御のためにも受け手は賢くならなければ、なのであるが…、それらリテラシーは、社会人としてのさまざまな見聞や体験からでなければ、メディアだけでは身につかないということは、しっかりと認識しておく必要なあるだろう。 |
年明け間もないある日のこと。いつものように出勤のために家を出て、駅の改札に入りホームについたところで上着のポケットに手を入れて、中に何も入ってないことに気づく──やばい、スマホを家に置き忘れたまま出てきてしまった! 個人契約のスマホの他に会社から貸与されてるスマホも持ってるのだが、その2台とも忘れて家を出てきてしまったのだ。会社貸与ということは当然業務に使用するためであり、それがないと業務連絡に著しく支障をきたしてしまう。この日は終日外回りでお客さんとこに直行直帰の予定、今から家に取りに戻ってては各お客さんのアポには間に合わない──会社との連絡ツールは他にタブレット端末があり、電話はできないけどメールの送受信と社内システムへのアクセスはできる。電話連絡には街の公衆電話を使えばいいか…、というわけで覚悟を決めて僕はそのまま客先へと向かうことにした── 電車内でSNSにアクセスできずに手持無沙汰なのはまあ我慢するとして、会社から何か緊急の連絡が来ないかどうか道中気が気ではなかった。メールで受診はできると言っても返信をメールで打つのは、業務の詳細を文章で説明しようとすると実は結構手間だし、一方的に送信しても見られてるかどうかわからない、それを確認しようと思えばやはり電話がないと、である──訪問先を出発して次へ向かうごとに電話連絡するという決まりであり、どのみち電話は随所でしなければならないので、訪問先を辞去して次の訪問先へ向かう道中、路上の電話ボックスやコンビニ、スーパーなどなど、公衆電話を探しながら歩くことになるのだが── とにかく、公衆電話が全然ない! 一昔前ならコンビニの店先には公衆電話があるのが当たり前だったのだが、最近はそれがない店もザラだ。駅前ロータリーでやっとの思いで電話ボックスを見つけて入ってみると電話機が撤去されてる状態だった、なんて箇所もいくつか…。公衆電話は一体どこへ消えてしまったんだ! 誰もかれもスマホを持ってる昨今、公衆電話の需要が激減してるのはわかるし、需要がなければ維持費のかかるものをいつまでも遊ばせとくわけにもいかないから撤去が進んでいくのも致し方ないのだろう。家にスマホを忘れてしまっても無駄話したりSNSにアクセスできなくなったとしても、外出中の何時間か程度だったらさほど困らないだろう、という考えなのだろうけど── しかし、電話の用途には110番や119番などの緊急通報だってあるわけで、あるはずの公衆電話がなくなってしまい、それを探して右往左往してる間に火事が延焼したりケガが手遅れになったりしたらどうするのか──その日僕は車移動だったのだが、周囲が田んぼばかりの路上で事故に巻き込まれたりした場合、公衆電話なんか探してられないぞ…。それで取り返しがつかなくなったらどうするんだ? ──なんて書くと「携帯忘れるのが悪いんだろ、自己責任だ」という声も飛んできそうだし、セルフセキュリティの観点から見ればそれもまたその通りかも、とも思わなくはないけど、しかしそのことと街角のセーフティガードを取っ払うことは別問題だし、事故で車から投げ出されてスマホがどっか飛んでっちゃったり火事で着の身着のままスマホ置いて外へ出たりとかの場合だってあるのだ。やはり、公衆電話レス社会は、防犯、防災的観点からはデメリットの方が多いのではなかろうか? そんなことを思いながら、特に業務で連絡の行き違いトラブルが起こることもなく、もちろん事件や事故にも巻き込まれず、何事もなく業務を終えて無事帰宅したのでありました──でもマジで全く気が休まらない一日だった。精神衛生的には無事とは言えなかったかも…。 |
その昔、武家町の福岡、商人町の博多という、那珂川を挟んで別の都市であった現在の福岡市にあたる両自治体が合併して市政を敷くにあたり、市名を『福岡』にするか『博多』にするかでかなり意見が分かれたらしい、結局は市名は福岡で中心駅は博多と称することで合意に至った、とのこと。福岡市となって1世紀以上になる現在でも市の代表駅は博多駅であり、地元の人たちの間では駅のある博多区のエリアが『博多』那珂川の対岸、中央区のエリアが『福岡』として長らく通ってきた。 福岡市役所があるのは中央区。『福岡』のエリアである。『博多』側の人は認めないだろうけど、余所者的に見ると市内の相対的地位はやはり市名にもなってる『福岡』の方が上ってことだろうか──その『福岡』地区の中心街が天神であり、今回取り上げる西鉄福岡駅もそこにある。 西鉄福岡駅、表題の通り正式な駅名は西鉄福岡(天神)駅と表記されており、駅や車内のアナウンスでは「西鉄福岡天神」もしくは「福岡天神」と称されるらしいが、実はこの駅が西鉄福岡(天神)という駅名になったのは2001年のことであり、僕が訪問した1999年には(天神)はつかず、西鉄福岡駅だったので、どうにも括弧つきのこの駅名はしっくりこない。首都圏だと西武線本川越(時の鐘・蔵の街)駅や東武線獨協大学前(草加松原)駅などのように括弧つきで称されるのは副駅名なので、正式な駅名というイメージがしないのである──しかしながら駅名として正式になる前から『天神』の呼称は用いられていたような記憶も薄っすらとあったりする。市営地下鉄の天神駅が隣接してるからだろうか…。 ともあれ西鉄福岡(天神)駅は『福岡』地区の代表駅であり、上述の通り天神の繁華街に立地していて、また西日本鉄道にとっても基幹駅であるから、もちろん駅はかなり立派である。百貨店の入居する大きな駅ビルを擁しており、駅周辺の賑わいぶりは当時まだ改築前の博多駅と比べても決して見劣りはしないように思えた。繁華街は、歓楽街というよりはショッピング街的なイメージで、オシャレ度的及びカジュアル度的には博多よりも高いのではなかろうか。僕的にはかなり印象は良いと思えた。 この時僕は、大牟田から西鉄の特急に乗り、天神大牟田線の全線乗り通して西鉄福岡(天神)駅に着いたわけだが、途中駅で繁華街的賑やかさを感じたのは西鉄久留米駅周辺くらいで、あとは起点の西鉄大牟田駅を始め、概して駅及び駅周辺が寂しい印象だっただけに、夕方の時刻でまだ西陽に照らされて明るかったこともあって天神の街がきらめいて見えたのかも知れない。駅ビルもだけど、2階にある高架駅のホームもかなり綺麗で立派なものであり、これで西鉄の車両がもう少し垢抜けてればな、なんて思ったのだけど…、西鉄的には列車よりもバスの方に力を注いでたりするのかな? 特急だと大牟田から1時間で十分通勤圏内と言えるし、大手私鉄の名に恥じない輸送力を持ってるわけだから、基幹駅だけでなく路線全体がもっとファッショナブルになっていいと思うんだけどな…。天神地区の栄えっぷりを見れば、沿線のそれを牽引して推進するには十分なものはあると思うし。 天神では地元の友人と待ち合わせて、いろいろと街を案内してもらい、飲食店などにも連れてっていただいた。食事も美味しかったけど、店の雰囲気もなかなか良かった気がする──この時の印象からは、現在巷で言われている「福岡は修羅の街」というのが信じられないのだけど…。博多や中洲あたりも見たらまた違った印象になるのかな? 余所者的には汚い部分はなるべく見ないでおきたいとは思うけど── でもやっぱり駅名が…、ねw |
日本相撲協会で年明け早々に開かれた評議員会。まずは『評議員会』とは何ぞや、なのだが── 社団法人における総会にようなもので、公益財団法人において、業務執行機関に対する諮問機関あるいはチェック機関の役割を果たす機関であり、理事等の役員の選任や重要な業務運営について意見を述べる等、役員の諮問に応じ独善的運営のチェック等、法人の業務を公正に行うための重要な機関。財団法人の場合はその法人の設立や業務の関係者や資金の寄付等援助をした者、その他一般の学識経験者の中から理事会で選任されるのが普通である。本来は理事の業務をチェックするために置かれるものであるから理事との兼職は好ましくない──とある。日本相撲協会が公益法人となるのと前後して設立された機関であり、相撲協会内での歴史はかなり新しい。 現在、日本相撲協会には7人の評議員がおり、外部の有識者4名と相撲協会親方3名で構成される。3名の親方(現在は元十両大竜、元小結大徹、元大関雅山)は協会所属ではあるが審判部や巡業部、指導普及部等の協会業務からは外れて評議員としての職務に専念し、番付表にもそれぞれの年寄名(大嶽、湊川、二子山)ではなく本名で載っており、職務にも本名で携わっている──外部の評議員にも元検事や元議員等が名を連ねている。その評議員会の現在の議長が、池坊保子氏である。 で、その評議員会は理事会より諮問された事案について審査し決定するのが役割である。年明けに開かれた評議員会に諮問された事案というのが、貴乃花理事の解任であり、それが満場一致で可決されて貴乃花親方が役員待遇委員に降格となったことは報道の通り。決定後の記者会見において池坊議長は貴乃花親方が「礼を失した」ことを殊更に強調していた── 上述『理事の業務をチェック』というのに照らし合わせれば、巡業部長の立場で報告義務を怠った貴乃花親方の行為は理事の職務上は正しいとは言えないし、八角理事長の電話を再三ブッちぎったり鏡山危機管理部長を何度も門前払いしたりなどの行為も表面上は「非礼」ということになるのかも知れない。今回の解任も理事会からその方向で諮問された事案であるし、池坊議長のコメント内容も、評議員の役割通りに遂行した、と言うことはできるのかも知れない。暴行の被害者である力士の師匠の立場であると言うのも、部屋は部屋、協会の業務は協会の業務と言うこともできなくはないし── しかし、一方で評議員会の業務には『独善的運営のチェック』というのもある。貴乃花親方の件の行動の原因である暴行事件について、加害者側師匠の伊勢ヶ濱親方も今回理事から役員待遇委員へと降格だが、こちらは先に自ら辞任しており処分ではない。というかそもそもその件は評議員会に諮られてさえいない。大元にある、横綱が引退(これも横審からの勧告前の自主的引退であり処分ではない)するほどの大問題を一切省みずそこから派生した現象のみ取り上げ、その上で加害者側より被害者側の方を重罪と認定し、しかも前代未聞で史上初の処分を科すというのは『独善的運営のチェック』という観点からはいかがなものだろうか? 議長の池坊氏は他にも白鵬の巡業部長拒否や土俵上の物言いなどの行為を問題にせず、カチ上げとかにも擁護的発言するなど、おおよそ公平なバランス感覚をもってるとは思えないのだが── 上述の通り相撲協会の評議員は『法人の業務を後世に行うため』に公益法人移行のタイミングで設けられている。この場合の公益の『公』とは一般の好角家等の相撲を観る民衆であろう。その『公』の大勢の意見とほぼ真逆に等しい今回の処分劇、池坊議長始め評議員各員は自らの役割と照らし合わせ、何と心得ているのか。 |
何度か書いてることだけど、以前僕は文芸作品メインの商業同人誌の会員として会誌に詩作品を発表して毎号のように掲載されてた時期が約16年ほどある。現在のセキュリティ感覚からすると「何て無防備な、恐ろしい…」と思えてしまうのだが、発表メンバーの大半は発表作品に住所本名を添えて読者からのお便りを受け付けていた──もちろん僕も例外ではなく、全国の書店の店頭に自身の住所本名を晒し、会誌を手に取り作品を読んでくれた読者の方から感想のお便りをいただくこともしばしば。そこからペンフレンドとして継続する人もいればその1回きりの人もいたが、いずれにせよ発表作品が誰かの目に留まってリアクションがダイレクトに届くのは嬉しくもあり、会誌に作品が掲載されるたび、知らない方からお便りが届くことを楽しみにしていたのだった── 時代は変わり、現在では住所や本名、電話番号などの個人情報を安易に公の場に晒すことはストーカーや変質者につけ込まれたり、時には犯罪に巻き込まれる危険性が高く、安易に自らそれらを晒す人は(自分の名前でビジネスやエンターテインメントをしている公人を除き)まずいない。そうした世相を反映したのか、上述の商業同人誌も急激にすたれて店頭流通からは撤退、現在どうなってるのかは僕にもわからない状況。それに代わる雑誌媒体も見当たらない昨今、上述の知らない方からの作品へのリアクション及びそれを通した新しい出逢いというものを、どこで得られるのだろうか── 「そんなもの得る必要ない」のであればそもそも作品を公に発表する必要もないわけで…。もちろん上述の発表メンバーにも連絡先を一切秘匿してる人は少なからずいたが、リアクションがなければただの自己満足で終わってしまう。誰かに表現作品を披露するということは、それに対するリアクションのやりとりを交わすというのが健全な状態ではないかと僕には思えるわけで── その、表現とリアクションのやりとりを、個人情報を伏せた状態で知らない相手と交わせる場というのが、ブログのコメ欄だったり、ツイッターだったりするわけである。閉じる設定も可能なのにコメ欄開いて受け付けたり、鍵アカ設定も可能なのにそうせずにツイートを公開してる時点で、知らない人からのリアクションOKと見なされてしかるべきだし、またそれを必要としないならそもそも表現を一般公開するなよ、である…。 で、記事も終わりに近づいてようやく表題。ツイッターでフォローしてない初めましての相手にリプライ送る際の常套句であるこの言葉。実際にいきなりリプ送られて不快感を表す人が多いから送る側も恐縮してこんな枕詞をつけなきゃいけないみたいになっちゃってますが…、これって上述の経験を経てる僕から見るとまるでワケがわからない風習なんです。そもそもツイッターってそういうメディアでしょ? 発言を公に好き勝手垂れ流しといてリアクションは身内以外許さんって、何よそれ? もちろん僕はフォロー外からの突然リプもブログのコメ欄のいきなりコメントも大歓迎です。てかここではそもそもそのためにコメ欄開けてるしw それが嫌ならそれこそチラシの裏にでも書いてなさいww |
この『ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館』は、もともと2001年にテキストサイトとしてスタートし、個人ホームページからブログが一般的になって、テキストサイト管理人たちの多くが次々とブログへ移行していく中で、長らくテキストサイトの形式にこだわって記事を書いてきてましたが、一昨年、当時のプロバイダの都合その他でテキストサイトとしての継続が困難と判断、その数年前から本サイトへの誘導目的で『アメブロ分室』名で開設していたこちらのブログにすべての記事を全面移行、昨年3月に現在の『テーマトーク館』として現在に至っております。
テキストサイト時代は『ちょいと、戯れ言横丁』というトップページの下に、各種テーマごとに記事をまとめたサブページを置くという形態を取っておりました。現在のカテゴリ名はその当時の各サブページのタイトルになります。
そしてこれも当時の名残りで各記事の文字色と背景色は、各サブページ時代のものになっております。
本当は現状の各カテゴリの数だけブログを分けた方がわかりやすいのでしょうけど、さすがにそこまでの管理はなかなか難しいので…。
移行に当たっては、とにかく過去記事を早くオンラインで読める状態にすることを優先したので、1年経過した現在でもまだリンクが不完全だったり体裁に不備がある点は少なからずあると思います。今後、それらも徐々に改善して、体裁的にもより見やすいブログを目指して行きたいと思います。
──ともあれ、末長くご愛顧のこと、よろしくお願いします。
テキストサイト時代は『ちょいと、戯れ言横丁』というトップページの下に、各種テーマごとに記事をまとめたサブページを置くという形態を取っておりました。現在のカテゴリ名はその当時の各サブページのタイトルになります。
そしてこれも当時の名残りで各記事の文字色と背景色は、各サブページ時代のものになっております。
本当は現状の各カテゴリの数だけブログを分けた方がわかりやすいのでしょうけど、さすがにそこまでの管理はなかなか難しいので…。
移行に当たっては、とにかく過去記事を早くオンラインで読める状態にすることを優先したので、1年経過した現在でもまだリンクが不完全だったり体裁に不備がある点は少なからずあると思います。今後、それらも徐々に改善して、体裁的にもより見やすいブログを目指して行きたいと思います。
──ともあれ、末長くご愛顧のこと、よろしくお願いします。
この冬は、例年よりも早く寒波がやってきたからか、インフルエンザの方も例年より早くやってきたらしく、流行期に入ったと発表されたのは、暦の上ではまだ冬になるよりも前だった。それに呼応するかのようにまだ11月のうちから真冬並みの寒さが続き、長期予報でもこの冬は寒くなると言われている── こちらでも書いた通り、僕は例年インフルエンザの予防接種を受ける習慣がなかったのだが──実は半年前あたりから免疫異常が疑われる症状が皮膚表面に表れて目下通院治療中(この詳細についてはいずれこの『メディラビ』カテゴリにて記事に書きます)だったりする。体表に表れる免疫に関連する症状ということは、外部からの異物の侵入に対しても弱ってることが考えられるわけで、例年のようにインフルエンザ知らずで一冬過ごせるだろうと安心できないわけだ。そこで、今期は念のために予防接種を受けておこうかと思い立ったわけなのだが── 実は皆さんニュースでも御存知だったり実際に医院などで見聞きしてたりする通り、今期はインフルエンザワクチンが品薄状態らしい。ワクチン製造に使用する株が、今期予定してた種類の増殖効率が悪いため生産量が前年の7割になってしまうというリスクが6月頃に判明、不足を避けようと急遽別の種類の株に切り替えたのだが新たに1からの作りなおしのため流通量の出足が遅れてしまいった、という状況なのだそうだ。専門的にはワクチン製造用の鶏卵への馴化による抗原変異(製造過程で卵内の環境に適応してしまったウイルスの性質が変化してターゲットのウイルスに効かないものになってしまう)とかの問題も絡んでくるわけだが、要するにそんなこんなの諸原因によりどこの病院もワクチンが足りず、僕が予防接種を受けようと思った12月初旬のその日及び翌日、市内のすべての病院が予防接種の予約受付を停止してる状況であった──そんなわけで未だ予防接種を受けられておらず、例年以上の寒さの中で外回り仕事の移動に動き回りながら、インフルの恐怖におびえる日々である…。 この『卵馴化による抗原変異』は世界のワクチン開発者共通の課題となってて、日本でも『細胞培養ワクチン』の研究が進んでて今後が期待されてる状況ではあるのだが…、医学界の大局的かつ将来的な話はともかく生活の現場で今ここにいる一個人としては、免疫力の低下に不安がある中でのインフルエンザへの無防備状態に不安をぬぐえないわけで──もちろんワクチン不足で予防接種を受けそびれて無防備なのは僕だけでなく何人もいる。今期、あと2ヶ月余りの間に、例年になくインフルエンザが猛威をふるいそうな悪寒が。うがい、手洗い、マスクなどでどこまで防ぎ切れるのだろうか? 上述のワクチン研究の成果を、今現在そこかしこに漂ってるウイルスたちは待ってはくれない…。 |
『グミシン』カテゴリ恒例の「ニュースは変わる」シリーズ。久々も久々…、って前回の振り返りの時にも書いたが、前回は2年ぶりで、今回はそれをさらに上回る3年ぶりである。ほとんど「そう言われればそんなことあったな」な話題もあったりするんですが──これまでの振り返りシリーズでは書いた当時とその後で見解が大きく変わってることは少なく、以前の記事をまんまなぞらえて追認して終わることも多々あったのだが、果たして今回はいかに? こちらで書いた「野党がもっと大事な国内外の情勢をそっちのけで反与党のための反与党」ばかりやってる状況は、それから3年経っても全然変わってないと言わざるを得ず、現野党の学習能力の無さって一体…、とため息しか出てこない。あげくに都知事に唆されて(そんな意図はないとお叱りが飛んできそうだが敢えてそう言わせてもらう)分裂して解党するのしないのと内輪でのギクシャクがやまらないのも同様。それでも分裂当初には一瞬片方に期待しかけたこともあったのだが…、すぐに期待は失望に変わりこの考えは完全に改めました。化けの皮が剥がれるの早過ぎ── こちらに書いた南と北両方の旧日本軍との類似性の話。現在はこの時とはちょっと考えが変わってきている。とは言っても彼らが旧日本軍ほどひどくないと言いたいのではない、その逆である──現在の北の度重なる傍若無人な振る舞いを見て「日本軍よりマシじゃん」なんて思ってる方、いらっしゃいますか? …いるんだろうな、何でもかんでも日本がやると極悪で、同じことをかの国がやっても見て見ぬふりって人は多いから。こちらの一件についても結局それらの連中は特に何も言わずじまいだったし…。 そういう「反日のための反日」「反安倍のための反安倍」な心性はこういうところにもしっかり現れてると思う。最近でも安室ちゃんの来年9月での引退宣言とか日馬富士の暴行事件なんかの時にも「モリカケなどから世間の関心をそらすための安倍の陰謀」なんて言い出すやつが出てきたりしてたし──「えぇ? 安室ちゃん引退だなんてショック~!」なんて言ってる女の子たちのことを「おまえら安倍に踊らされてるだけだぞ」なんて思える発想がマジ不思議です──尤もエンタメを楽しむためにも国際情勢の安定は不可欠であることはこちらのニュースでもわかる通りなわけで、来年かなり盛り上がるであろう安室ちゃんの引退公演での安全対策が万全になるためにも、政治家諸氏にはしっかりしてもらいたいところではある。「安倍ガー!」な連中は邪魔しないでねw …と、3年も経過すればその間色んなニュースがあって、この『グミシン』カテゴリ記事でも色んなニュースを取り上げてきたけれど、中には賞味期限切れで「そんなニュースもあったっけ?」なものもいくつかありましたね。書いた僕でさえそうなら読む方の中にはすっかり忘れてて、そんなニュースがあったこと自体を思い出せない方もいらっしゃるかも、と思ってここでは割愛させていただきました。振り返りにもやはり優先順位は考えなきゃ、ですからね──しかし、僕の方のプロバイダとネット環境の都合で昨年丸1年も記事更新にブランクがあって、昨年のニュースがぽっかり空白になっちゃってるのが甚だ心残りだよな。例えばオバマ前大統領の広島訪問という歴史的出来事とか、相模原の障害者施設での殺人事件とか、個人的にいろいろ語りたいニュースがいっぱいあったのだが…。 ともあれ『グミシン』カテゴリでは今後も事情の許す限りいろんなニュース記事を取り上げて行き、時にこうして過去記事を振り返っていきたいと思っておりますので…。 |
こう連日連日、大相撲関係の話題がニュースでもワイドショーでもトップで長時間割いて報道されるのって一体いつ以来だろうか…、土俵の勝負の話題ではなく醜聞がらみで──はい、日馬富士の暴行問題である。 日馬富士は普段は温厚な人柄であると言われていたのだが、その一方で酒癖はかなり悪いと評判だったらしい。酔うと人柄がすっかり変わって時に粗暴になる、と。件の暴行事件の時も酒の席であり、また力士であるから飲む量も桁違いである。この時も日馬富士を始め、同席したモンゴル人力士の面々はかなり酒がはいっていたことだろう──問題発覚後の本人の様子からも、酔いがさめて冷静になれば絶対しないであろうことを、酒が入ると歯止めがきかなくなってあんな蛮行に及んでしまう、酒というのは時に恐ろしいものである…。 表題の言葉『酒は飲んでも飲まれるな』の言う「酒に飲まれる」というのは、もちろん理性のタガが外れて行動がまともでなくなることを言うわけだが、一般的にはクダを巻いて周囲にからみまくるとか裸踊りしたり大声で歌ったりとか、まあ仲間内的には武勇伝的に語られる範囲内のことをさすことが多い。しかし、時にこういう犯罪の領域を超える奴もいて、こうなるともう「しょうがないなぁ…」ではすまされるはずもない── 先月だか先々月だかに札幌であった、タクシーの運転手に難癖をつけてさんざん暴力を働いたあげくに料金も踏み倒した泥酔男、正体が判明してみると弁護士だった。シラフだったら絶対こんなことはしないよな、自分の社会的立場を考えれば…。毎日のように全国で報じられる飲酒運転や酒気帯び運転のニュースでも、捕まった人の職業が教員だったり市役所職員だったり、中には県警の巡査部長だったりと、一般市民の範たるべき肩書きの人たちが何人もいたりする。酔ってなければそれがどんなに悪いことなのかは当然わかってるであろう人たちである──日馬富士にしても「品格、力量抜群」と認定されて横綱の地位にある力士なわけで、自らの社会的ステータスすらもいともたやすく超えさせてしまう酒って飲み物は一体…。 飲酒運転による悪質な事故や危険運転が立て続けに起きることによって、道交法的にも刑法的にもアルコール運転の罰則は何十年か前とは比較にならないくらい厳しくなったが、運転がらみでなくても酒がらみの犯罪や、そこまでいかなくても蛮行が連発して問題になるようだと、飲酒それ自体に法的規制が入るぞ。禁酒法とまではいかなくても、例えば煙草がらみで現在あちこちで行われてるレベルの規制を酒に関しても考えるべきだ、なんて声が出てくるぞ…。僕自身も酒好きなのでそれだけはどうか勘弁してほしいけど── 『酒は飲んでも飲まれるな』僕自身は酔いが回って潰れたことなら数知れずあるけど、理性のタガがはずれで乱れて暴れたことってのがホントにないので、自身の社会的立場も省みずに蛮行に及ぶ感覚ってのは実感としてわからないんですけどね…。 |