ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館 -20ページ目

ちょいと、戯れ言横丁・テーマトーク館

春原圭による、よろず文章読み物ブログです。読んでくれた皆様との忌憚ない意見交換を重視したいと考えておりますのでよろしく。









 大相撲に大卒の力士がここまで何人も登場するようになったのはいつ頃からだろうか。昭和の前半から中頃にかけても、幕内以上だけでも笠置山(早大)や初代豊山(東農大)など何人かいたことはいたが、コンスタントに幕内の番付から大卒力士が途切れなくなったのは輪島(日大)が始まりではなかろうか、その後荒勢(日大)、出羽の花(日大)、舛田山(拓大)、朝潮(近大)と続いては行くものの、幕内には1人から3人くらいの少数という状態が長らく続いていた──現在のように幕内にも十両にもそれぞれ10人前後、さらに幕下以下から続々と、という状況になるだなんて、その当時一体誰が想像しただろうか…。
 その、大卒力士の出身大学の中で圧倒的に多いのが日大である。阿佐ヶ谷にある相撲部の合宿所が地続きの場所にあった関係で花籠部屋と縁が深く、上述の輪島や荒勢だけでなく、大ノ海(後のプロレスラー石川敬士)や、柔道部からも魁傑が入門、さらに花籠部屋にとどまらずあちこちの部屋にOBを送り込み、日大はさながら相撲協会最大の学閥と化している。現役力士でも幕内の遠藤(追手風部屋=師匠の元大翔山もOB)に石浦(宮城野部屋。鳥取城北高校長で相撲部総監督の父親もOB)、大翔丸(追手風)、大奄美(追手風)、十両にも木瀬部屋(師匠の元肥後ノ海もOB)の明瀬山に英乃海等、師匠もOBのパターンが多く、もちろん実際に協会運営に携わっている親方の中でも日大OBは一大勢力(他には尾上=元濱ノ嶋や入間川=元栃司、境川=元両国など。部屋付き親方も含めるともっと多い)となっている。
 そんな日大相撲部であるから、当然大学相撲の世界でも超強豪校であり、大会での実績も華々しいものがある(だからこそ何人もの力士が幕下付け出しデビューするのだ)。その相撲部の総監督を長らく務めてきたのが、現在理事長の座にある田中英壽氏である──そう、例のアメフト部元監督が理事を務める日大理事会のトップに君臨する人物である。悪質タックル問題発覚以降の一連の報道内容から、理事会の権限が大学当局よりも上位にあり、発言力がかなり強い現状が露呈したが、その強権によりプロの相撲界にも数多くの人材を送り込んできて、相撲の発展に少なからず貢献してきたわけだから、その教え子たちが親方として相撲協会の運営側に回った時にその発言力がいかばかりなものかは、想像に難くない──
 ──アメフト部の一件のような「相手力士を潰してこい」的な指示を親方が取組前の弟子に、自ら直接ではなく兄弟子を通して…、なんてことが起きないと果たして言い切れるだろうか? よくご存知の通り相撲部屋において師匠の権限は絶対であるし、ムリへんにゲンコツと書いて兄弟子と読むという言葉がある世界である。相撲部屋の中での壮絶なシゴキやいじめの話がこれまで一体それだけ伝えられてきたことか…。指示をされた弟子が逆らえない空気は、学生スポーツ以上のものに違いないわけで。それでなくても元々そういう体質が伝統的に色濃く残る組織の中で、今回のアメフト部の件でも「俺は相撲部だから知らんよ」などと自らの立場にあるまじき言い訳でコメントを避けてるこの理事長の息が強くかかった人たちが師匠を務め、その部屋の弟子たちにも同じ日大OBが多数在籍してるという現状、どうしても心配になってきてしまうのであるが──
 理不尽な暴力的体質が長年まかり通ってきた点に加えて、昨年以来の暴力不祥事が起きた際の度重なるトップの対応の不味さ等、今回の日大アメフト部の一件と重なる面が少なくない相撲協会の現状。そこにさらに現日大理事長という接点まで──相撲協会にとっては決して他人事ではないと言いたいところだが…、日大が半ば最大学閥となりつつある中で、角界への貢献も学生時代の直接の恩義もあるこの人を批判できるOB親方は、いないだろうな、きっと…。
 









 僕が新卒入社した会社は、当時の社長を始めとして役員以下社員のかなり多くを日大OBが占め、ある意味日大は社内の最大学閥であった。その会社に僕の入社何年間後に社会人アメフトチームができ、アメフト選手も何人も入社してきた。当然選手入社組の中にも日大アメフト部出身は何人もいた。アメフト部採用とは言え社内での身分は正社員であり、もちろん彼らもそれぞれ社内の各部署に配属されていた。その当時僕がいた販売流通部門にもである。つまり日大アメフト部OBの何人かと、僕は職場の同僚として直接関わっているわけで…。アメフトという競技にさほど興味があるわけではないが、彼らが選手としてプレーする会社のチームの試合を観戦に行ったことくらいはもちろんあるし、目の前で同僚のガッツを見せつけられれば熱を入れて応援したものである。
 ──そんなふうに、直接の仕事仲間として日大アメフト部OBと関わってきた僕にとって、今回の悪質タックル及びその後の各方面への波及が決して他人事に思えないことは言うまでもない。問題の監督やコーチは、元同僚たちの現役時代とは別人だし、彼らの時代の指導内容とか部の体質とかは決して報じられてる内容と同じではないのかも知れないが、それでも彼らはさぞかし恥ずかしい思いだろうな、と思わずにいられない。
 当初は単なるスポーツ競技中の反則行為にすぎないと思われていたこの話、監督やコーチの関与のみならず指示が疑われたり、実際に当事者の選手を始め他の部員からもそれを裏付ける証言が出てきたり、また件の監督が大学本部の上部組織である理事会の常務理事という要職にあったことで、単なる一運動部の問題ではなく、大学組織の体質の問題に発展してしまったのだが、そんな事態の重大さを当の大学側が全く認識しておらず、監督とコーチは責任を一選手に押し付けて見え透いた言い逃れしようとしたり、司会役の広報担当がまるで世間の空気を読めないどころか記者会見と言うものの趣旨さえもわかってないような恫喝をしたり、記者会見に登場した学長のコメントもピントがズレまくってたり、関学側に送った書面でのコメントもまた同様な内容で余計に関学関係者を起こらせたり、等々…、被害者側が被害届を出して警察も動き始めてるという世間の動きとの『乖離』が甚だしい状況が日を追うごとにどんどん露呈していったのだった──
 当然、当該監督やコーチの出処進退は大学内だけにとどまらず、スポーツ連盟からも重い処分がくだされるに至るわけだが、大学自体も読売ジャイアンツとのスポンサー契約が解除になったり各地のプロ野球球場という球場から日大の広告が撤去されたりと、司会者の強気な断言とは裏腹に、日大ブランドはダダ下がり、この状況はまだまだ歯止めがかからないと思うぞ…。
 当然ながら日大内部にもそれら大学当局側に批判的な証言してる人はたくさんいるようだし、大学組織内では上下関係の圧力で黙らせることができたとしても、それら批判的な人たちはそうした組織の庇護を捨てて告発するはず(件の『実行犯』学生も自らの罪も認めた上でアメフトから身を引く決心でのあの記者会見になったわけだし)だから、学外にまで自分たちの威光は及ばない。世論全体の中では完全に自分たちがアウェイだからね。学生数日本一のマンモス大学だからもちろん卒業生数も日本一なわけで、恥ずかしががってるOBは膨大な人数に上るぞ。
 ちなみに日大には危機管理学部なんて学部があるらしい。危機管理として最悪の事例、反面教師としての絶好の教材を、自校の首脳部自ら提供してくれるだなんて──尤も大学組織内にあってはそんな教材使いたくても使えないだろうけどw
 









 今は6月なのに、何ゆえにお正月の話? とお思いでしょうが…、決してお正月の話ではない──こともないけど…、正月のめでたい時にするのも気が引けちゃう話題でもあるし、何より後述の通り今月にこの話をすることには必然性があるもので…。
 表題の言葉は短歌の上の句であり、下の句としてこの後に「目出度くもあり目出度くもなし」と続く。門松=初春はめでたいものではあるのだが、またひとつ年齢を重ねる=寿命にまたひとつ近づく日であるということを考えれば、めでたいと言えるのかどうかフクザツだ、という心情を詠んだものである。作者が誰なのか知らないが、現代に至っても広く知られている一首であるのは間違いない。
 昔の日本では、年齢を『数え年』でカウントしていた。現代では公式には用いられなくても、数え年の名残りが用いられる場面はそこかしこに残っている。産まれたその時が1歳で、年が明けた元日に2歳になり、その後元日を迎えるたびに1歳ずつ年齢を取っていくというシステムである。つまり正月になれば全員一斉に年齢を1つ重ねるというわけである。日本人の寿命は現在でこそ80年を超えたが、お侍さんの時代から明治大正の近代に至るまでの長らく"人生50年"などと言われていた。25歳ですでに人生の半分である。30歳を過ぎれば、それこそ死へのカウントダウンをひしひしと感じることになるだろう。そんな、また一歩死へと近づいた感を当時の日本人のアラサー以上が一斉に切実に感じる日、それが正月である。
 正月を迎えると家々の玄関に飾られるあの門松は、さながら『冥土まであと何里』と書かれた道標のようなものだろうか。その道標に正月ごとに出逢うわけである。あと何里の数字を1つずつ減らしながら──そう考えながら正月を迎えるわけだから、手放しでめでたいめでたい言える気分ではなくなるのかも知れない。
 しかし、そんな『数え年』の制度が主流だったのはせいぜい終戦くらいまで。お正月に日本人全員が一斉に年齢を取るという習慣は現代ではなくなってしまい、お正月は普通にめでたい日になりました。現代では日本でも年齢の算出は満年齢で行われる、その起算日=現代的な意味での"冥土の旅の一里塚"というのはいつなのかというと…、はい、お誕生日です──そう考えると、例えば誕生パーティなんて友人から開いてもらったりしても、なんかフクザツに思えてきたり…、しません?
 実は私ごとではございますが、今月その"冥土の旅の一里塚"を迎えさせていただきます──来週なんですけどね。上述"人生50年"の時代ならすでに寿命を超えており、寿命が伸びた現代といえども冥土までの距離はみるみる短くなりつつあるのを感じる今日この頃、誕生日もまた「目出度くもあり目出度くもなし」ではあるのですが。それでも「Happy birthday!」のお言葉をいただけた時はありがたく受け取らせていただきますので──
 









 以前、こちらの記事でアルコール依存症について「最初のとっかかりは意志の弱さでも、やがて酒に手を出さざるを得なくなっていく過程は本人の意志うんぬんでは説明できない。アルコールという化学物質が身体に対して及ぼす作用とそれによる精神状態の変化もある。一度克服して断酒に成功しても、何年か後に一度でも酒を口にしてしまうと元に戻ってしまう、一生付き合っていかなければならない、決して侮れない病気」と書いた。その時の記事ではギャンブルやネットなどにハマるようなものまで依存症と呼ぶことへの違和感を込めて、病変と治療要件に重点を置いて記事に書いたわけだが──
 先日のTOKIOの元メンバーが飲酒による肝機能治療のための入院からの退院当日に自宅で酒に酔って酩酊状態で起こした例の一件について、この元メンバーにアルコール依存症という診断は今まで全くされておらず、メンバーのひとりが記者会見でそのことに触れて「そう診断してくれてれば僕らも対応ができたのだが…」と悔やむ場面もあった。このメンバーは元メンバー本人に「あなた、病気だよ。それにきちんと向き合ってくれ」と言い放ったことも述べてたのだが──
 しかしながら、酒が原因とは言え、入院の目的はあくまで肝機能であるから、受診したのはおそらく消化器内科と思われる。本人の意思を超えて身体がアルコールに支配されてしまうアルコール依存症は、どちらかというと精神科の領域だから、内科でそういう診断をしたりすることはおそらくないであろう。もちろん入院中に飲酒はできないし、実際飲んでもいなかったようだから、それを疑わせる症状とかも見られない。依存症の診断をつけるにはデータも足りない状態だったと思われる。
 メンバーによれば、この元メンバーが二日酔いの臭いをさせてロケ現場に現れたり飲み会の席での酒癖の悪さを見ていたというし、前妻との離婚の一因にもこれがあったという噂もある。退院当日に早速酒に手が出てしまうというのは、やはり異常な状態と思わざるを得ない。そういう兆候が、周囲の人たちの前で何度となく表れていたのである。管轄外の担当医の診断のせいにする前に、メンバー仲間なり生活のパートナーなりに何かできることはなかったのだろうか?
 結局今回こういうことになってしまった結果、アルコール依存症が疑われることとなり、本人も再入院したということで、きちんと検査の上で本格的な治療がこれから始まると思われるが…、被害者が出る不幸な事件を経なければ病気の重大さに気づけないというのも残念な話である。
 元メンバー本人も「自分では依存症ではないと思ってます」と会見で答えていたが、自身でも気づきにくいし、酒を奪われるのが怖くて自身で認めたくないという傾向も多いという。アルコール依存症の早期発見と治療、サポートには周囲の人の気がけや協力は欠かせない。
 









 茨城県にひたちなか市が誕生したのは平成の大合併で全国各地に新市町村がいくつも誕生した2000年代初頭よりもおよそ10年くらい前の1994年、当時の勝田市と那珂湊市が合併して新市としてスタートを切った。その当時からそこそこ人口も知名度もあった勝田市の名前が消えるというだけでなく、新しい『ひたちなか』という市名にも当初かなり違和感を覚えたものである。茨城県だから常陸を冠した自治体名は多いし、お隣にも日立市がある。常陸でも日立でもなく『ひたち』をひらがな表記、さらにひらがな5文字である。余所者感覚ではあるが、勝田の名前を消してまでつける名前なのかなぁ、という感じで、旧勝田市の方々は納得いってるのかな? 自分が市民だったら果たしてどうだったろう…、などと当時しきりに思ったものである──しかしながら旧那珂湊市の人は感じ方がまた違うんだろうな、とも思ったりしたのだが…。
 旧那珂湊市の代表駅だったのが、ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅。茨城交通から路線を委譲されて経営を引き継いだ第三セクター鉄道の駅である。旧勝田市の代表駅であるJR常磐線の勝田駅とは駅舎の大きさも周辺の開け具合も全然違っており、もちろん現ひたちなか市の代表駅も勝田駅。JR的に特急も停車する主要駅である。那珂湊駅はそこを起点とする三セク鉄道の途中駅にすぎず、市の代表駅としての地位も失ってしまって、格落ち感は否めない──
 しかしそうは言ってもひたちなか鉄道の中では主要駅であり、全体的に鄙びた印象の強い線内にあっては、駅舎もそこそこしっかりした造りをした瓦屋根の木道駅舎であり、駅周辺もそれなりに市街地が開けている。都会的ともファッショナブルとも決して言えないが、そんなレトロ感が逆に人気なのか、映画やドラマのロケに使われることが多いらしい。実際、駅舎もさることながら待合室に改札口にホームに、駅のそこかしこが昔ながらの懐かしい田舎の雰囲気にあふれていて、非常に趣深い──駅前及び周辺の光景も同様で、少し離れた幹線道路沿いの場所に大きめの複合ショッピングセンターがあって、そこそこ賑わってはいるが、基本的には商店街のような住宅街のような、どちらともつかない田舎街のたたずまいであるが、それはそれでいい雰囲気を醸し出している。その点では、市の代表駅ではなくなったことで逆にポイントが上がったと言えるかも知れない。ヴィジター視点ですけどね…。
 那珂湊駅は上述の通りひたちなか海浜鉄道の主要駅であり、本社も同じ場所にある基幹駅である。それを考えると、本社社屋として見たらあの駅舎はちょっと…、などとも思ってしまうのだが──終点の阿字ヶ浦は海水浴場として夏は賑わうし、国営ひたち海浜公園の最寄りでもあるから、観光レジャー客も多く利用する路線だし、そうした観光色が駅にも車両にも、もうちょっと前面に出てればいいな、という気もするのだが。
 旧那珂湊市の代表駅である那珂湊駅周辺は、もちろん旧中心市街地である。それにしては…、なたたずまいとは言え、全線ひたちなか市域を走る同線沿線の他の駅前に比べれば断トツで開けているのは確かである。しかしながら那珂湊の駅名及び上述の海水浴場や海浜公園から連想される海岸からは離れており、駅周辺には海辺のノリは感じなかった。この時の訪問では駅裏徒歩20分くらいの場所にある商店へ仕事の用向きでの訪問であったし、時間的にも夕方になってしまったため、那珂湊から先、阿字ヶ浦方面には足を踏み入れられなかったのだが、そちら方面まで含めて旧那珂湊市なのだから、そうした海岸風情を味わいそこなったのは非常に惜しまれる──市名がひたちなか市になって旧勝田市と合体し、あちらが市の中心である今、そういう風情自体も薄まってると言うべきかもだが。
 









 この記事はJ-POP音楽及びアーティストがテーマの『Jダベ』カテゴリなので例の元メンバーの一件及びそれにともなう記者会見やその後のテレビ番組の終了や改編などについてはあまり詳しくは触れず、コメンテーターやネットの声の多数に概ね同調ですと言うにとどめておきます。ここでのテーマはあくまで音楽アーティスト・TOKIOについて、であります──
 彼らについては敢えて説明するまでもなくジャニーズ系の男性アイドルユニットであるが、結成して20年余りを経てもなお人気の最前線に立ち、ヒット曲を次々と放ってデビュー以来のNHK紅白歌合戦への連続出場を昨年まで続けていたという、人気実力共に第一級のアーティストユニットであることは間違いなかろう。彼らは他のジャニーズ系ユニットとは違い、振付やダンスのパフォーマンスではなくバンド形式で活動を行い、そのため楽曲のクオリティも他ユニットよりも高く、またそれぞれのメンバーたちも自身の音楽については真摯に向き合って取り組んでいた…、という印象を僕は持っていたのだった──
 バンド形式、ということは、メンバーそれぞれに担当楽器があり、5種類のパートで楽曲が構成されている。ギター、ドラム、キーボード、どれか1種類楽器が欠けても、完成された音楽として成り立たない…、4人の記者会見でもそのような言葉が彼らから聞かれたが、自分たちの楽曲に長年のこだわりのある彼ら(『鉄腕DASH』などの番組からも、彼らからは良くも悪くも"職人気質"が窺える)だからこそ、そのように感じてしまうのは仕方ないかもしれない。今回欠けるのはベースだが、楽曲によってはサイドボーカルも担っており、それらが欠けるというのは楽曲的には大きな損失であろう…。長年培ってきた5人の完成形であるから、新たなメンバーを補充して体裁を整えればいいという話ではない。1人欠けるということは、そのままユニットの崩壊につながってしまうわけである──そのことを、他でもない当の彼ら自身が痛切に感じているのだろう…。
 楽曲構成や演奏もさることながら、例えば♪うわさのキッスをあげる~(『うわさのキッス』)のように例の一件をモロに想起させたり、♪おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールを任せるな~(『宙船』)のように不謹慎の謗りを誘って反省を疑わせかねないフレーズを歌詞に含むがある楽曲は今後歌いづらくなるだろうから、彼らもそうだろうが、ファンもそれらの楽曲を気持ちよく聴けなくなってしまったのではないだろうか──つまりはTOKIOがこれからもTOKIOでいられる見込みは、限りなく薄いと言わざるを得ない。もはや、単に5人が4人になったというだけの問題ではないのである。
 もちろん、残りの4人のメンバーには、以前とカタチが変わったとしても前を向いて頑張ってほしい、♪勇者であれ~(『AMBITIOUS JAPAN!』)とは思うのだが──
 









 『グミシン』『おすもう』両カテゴリで、大相撲舞鶴巡業で土俵上で倒れた市長の救護のために土俵に上がった女性看護師に対して、土俵を下りるように指示した場内アナウンスの件を取り上げたばかりで「またか?」とお思いでしょうが…、はい、またです。今回は防犯・防災テーマの『ヒヤリハ』カテゴリ。なのでその観点からの記事になります──
 先日の記事でも書いたが、今回の一件は女人禁制の伝統とか女性差別とかの側面ばかりがクローズアップされているが、ことは急病人の救護に関する問題であり、人命に関わる緊急事態の話である。市長が土俵上で倒れてから件の女性看護師が土俵に上がるまでの間、近くにいた男性スタッフはただオロオロするばかりで何もできなかったようなのだが──会場のそばに医療・救急スタッフとかは常駐してなかったのだろうか? そもそも土俵上でそういう急病人が発生する事態を、応急的な蘇生措置が必要とされる場面が発生する可能性を、相撲協会側も、会場提供者も想定してなかったのか? 『グミシン』カテゴリ記事にも書いたが、性差別うんぬんよりもそちらの方がよっぽど問題ではないか?
 市長が倒れた原因はクモ膜下出血だったという。救護があと少し遅れていれば、ヘタすると生命を落としていたかもだし、一命を取り留めたとしても後遺症でろれつが回らなくなったり半身不随になったりする可能性は大いにある。そうなればもちろん市長の業務にも支障をきたして、市長職を続けることも困難になったことだろう──そして最悪生命を落としてしまった場合、それが女性看護師を土俵に上げさせなかったせいで=緊急救護を相撲協会側が妨害した結果そうなった、なんてことになったら、刑事責任は免れないところである。そうなる可能性とかは考えなかったのだろうか? 今回、市長さんが医師でもあり、自身の経営する病院で勤務する看護師がそばにいたからそうした救護措置もできたのだが、普通の市長さんだったらそういう医療知識のある従業員が周囲にいなくてどうしようもなかったこともあり得るわけで、土俵上で市長=その巡業を行う自治体の首長が見殺し同然に生命を落とすだなんて事態になったら、相撲協会の存続さえも危なかったのではないか? 医療や救護の専門家をすぐに動ける状態で巡業会場にスタンバらせておかなかったというのは、これは単なる怠慢という次元ではなく、危機意識の欠如にもほどがあると言わねばなるまい?
 それら専門家の男性スタッフが土俵の近くに配備されていれば、女性看護師が女人禁制を破って土俵に上がる必要もなくなり、大相撲の伝統に抵触もしないですんだし、フェミ方面にミスリードされて余計な物議を醸すこともなかったのではなかろうか。伝統より人命が大切という当たり前な危機意識の欠如と、その伝統の範囲内でも十分人命を尊重する方法が取れたのにそれを怠ったがゆえに、結局は肝心なその伝統にもミソをつけることになったのだということを、相撲協会はしっかりと認識すべきである。
 









 舞鶴巡業で土俵上で倒れた市長の救護に土俵に上がった女性看護師に対して「女性の方は土俵から降りてください」と行司が場内アナウンスした問題については、先日『グミシン』カテゴリ記事で取り上げたばかりだが、この『おすもう』カテゴリでも取り上げないわけにはいかないだろう。先の記事で「女人禁制の伝統の是非については別に論じる」と書いた通り、今回こちらで述べさせていただこうと思う──
 まず、女性は土俵に上がるべからずという相撲界の伝統に関する僕の意見はもう15年も前にこちらの記事で書いた通りで、今現在の見解もこの記事とは基本的に変わっていない。伝統は伝統として大枠では守らねばならないが、時勢の変動に合わせて小枠の部分での改変はあってもいいだろう、という意見である。しかしながらそれを変えるにしても、いきなり非難がましい口調で全面改変を強要するのではなく、段階を踏んで折り合い点を互いに模索しながら「今回はここまで解禁して、反応を見ながら次回はさらにここまで」と話し合って一歩ずつ進めていき、最終的に表彰式や断髪式くらいなら女性が自由に土俵に立てるようになれば──と先の記事の最後に書いたのだが…。
 しかし、フェミ方面を始めとする被差別者サイド(のつもり)の人たちって、そういうステップを踏むことが大嫌いなのか初回からいきなり全面改変を要求してくる傾向があり、その要求の仕方もハナからケンカ腰で敵対的な場合が多い。長年にわたり正しいと信じて行われてきた慣例を改めさせるのにそれでは、抵抗したくなってしまうのは人情なのではないか? ということも前回書いた通りである。たとえそれが世間一般的な常識とはかけ離れてたとしても、神事をルーツとして宗教的な意味合いを持っている風習に関して、その伝統の継承者たる立場の団体に非難一辺倒では、そりゃ埒は開きませんて──
 という先の記事から15年。あの時に「ここまでならOK」という暫定的な線引きを決めて部分開放して、その後徐々に部分開放していくという方法を模索していれば、あるいは今回のような事態にはなってなかったのではなかろうか。なんて思ったりするのだがいかがだろうか? この件に前後して、静岡巡業でのちびっこ相撲でも女の子を土俵に上げないようという通達が協会側からあったことが報じられた。昨年までOKだったのが今年からいきなりダメになったという。女性サイドの人たちの思惑に、むしろ逆行している感じである──今のこのタイミングでそういうことする相撲協会も空気が読めないにもほどがあるとは思うが、しかし反対側の働きかけの方法にもマズイ点は大いにあるのでは? 『北風と太陽』の寓話の意味を今一度考えてみてもらいたいものである。
 で、上にも書いた通り、僕は時代の趨勢に合わせて、表彰式や断髪式くらいは土俵を女性にも"部分開放"してもいいのではないかという考えである。これは当時も今も変わりはない。そして、今回の舞鶴巡業の一件の場合は人命に関わる緊急事態であるから、性別を超えて土俵にあがる必然性は式典などの場合よりも高いわけで、これを機に緊急を要するやむを得ない場合に限り例外とする、というように規定を改変してもいいのではないだろうか。あくまでも最初の1ステップとして。そこから表彰式、断髪式と徐々に次のステップへと進んでいけるようにしていけばいいのではないかな…?
 しかし、部分ではダメ、100か0かしかないのが、弱者サイド(のつもり)の人の多くに見られる傾向で、僕のようなこういう意見の持ち主でさえも差別主義者使いして罵倒し、敵側に追いやろうとしてしまうのがそれらの人たち──いろんな意味でデリケートな問題を含んでいる土俵上の女人禁制問題、改善を目指すことが目的なのであれば、手段も相応に選んだ方がいいのではないか?
 









 京都府舞鶴市で行われた大相撲の巡業で、挨拶のために土俵に立った市長が突然その場に倒れて気を失った時、そばにいた男性職員たちは何もできずにその場で立ちつくしてオロオロ。そこで土俵上にひとりの女性が駆け上がって市長に心臓マッサージを施しているその時、場内アナウンス担当の行司が信じられない言葉を──「女性の方は土俵から降りてください」──駆けあがった女性は、医師でもある市長の経営する病院の看護師とのこと。市長が倒れた原因はクモ膜下出血で、この時の処置が功を奏したのかどうか、生命に別条はなく会話もできる状態だという…。
 人の生命に関わる緊急事態に蘇生処置を行う女性看護師に対して土俵から降りろと言い放った相撲協会に対して、当然のごとく世論の非難は囂々であるのだが──しかし、非常時に人命を優先と考えないことや運営側としての危機管理体制の欠如など、もっともっと根本的で重要な問題を差し置いて、女人禁制の伝統に大してのフェミ的観点からの非難の声の方が大きいということにいささか違和感が…。
 相撲界の女人禁制の伝統及びその是非については後日別の記事で個人的見解を交えて考察するとして、それよりももっと根本的に重要なはず(八角理事長もその点については認め「人命に関わる緊急事態に不適切でした」と謝罪し、女性看護師に対する感謝も表明している)の上述の問題を脇に置いて性差別に関わる問題の方をクローズアップして誇大に報じて煽り立てる、そんな姿勢が報道側に見られるのは、やはりそちらの方が通俗的な大衆にウケるだろうという、ある意味大衆を見下してるんじゃないかとも思える発想に思えるのだが…、しかし実際に記事を受けた大衆の声も「なぜ女性はダメなの?」とか「時代遅れだ」とか、女人禁制に対しての意見に終始している感じをぬぐえない。少なくともその観点からの意見しか報じられてこない。「伝統よりも人命が大事だろ!」などと言っておきながら、上述の救急体制の問題よりも伝統から来る制度の問題についての報道に終始しており、その後の舞鶴市長の病状の経過について、ローカルニュースでは知らないが少なくとも全国ニュースでは一切知らされていないし、会話はできる状態である市長から今回の件についての意見を訊いたという報道もどこにもない。伝統と人命とどっちが大事なのか、逆に報道側にこっちが訊きたくなってきてしまう。
 女人禁制にスポット当ててクローズアップするにしても、神社や霊山など同じ女人禁制の各種スポットのそれと比較して総合的に考え合わせるということをしたメディアも少なく、角界の最近の一連の不祥事と絡めて相撲協会の体質を非難が目的になってしまっているのが何とも、である。だから、自治体の首長の中にも問題の本質を勘違いして、宝塚市の女性市長のように「土俵の上で市長挨拶をさせろ」と、便乗みたいなカタチで言い出す人も出てきたりする──土俵上で倒れた市長がたまたま医師であり自ら経営する病院の看護師がそばにいたからああいう救命活動になったわけで、そうでなければオロオロする男性職員の中で倒れっぱなしになってるところなのだが、いざという時そうなっていいのか? 自身もだけど、市民もそれでいいのか? …というところまで考え合わせるべき立場である市長にしてかくのごとしである。この市長も大概だが、一面的な報道ばかりするマスコミもよくないことは間違いなかろう。
 ──とにかく、今回の舞鶴巡業での一件、単純な性差別問題に矮小化してはいけない。伝統より人命の方が大事、という姿勢は報じる側の方にも持っていてもらいたい。それなしに相撲協会の非難だけされても「どの口が言うか」と思わざるを得ないのである。
 









 先月、僕の自宅最寄り駅に6階建てのかなり大きな駅ビルができ、店内には多種多様なテナント店舗がオープン、連日賑わっている。この駅ビルオープンにともない、旧駅ビルが閉鎖され、従来の駅施設内にあった店舗もすべて閉店、その多くは今回オープンした駅ビルに入居したのだが──それまで駅の両側にあり、今回どちらも閉店した2軒の書店は駅ビルには入っておらず、別の新たな書店も入居していない。それまで駅スグで立ち寄れた書店が2軒から一気に0軒になってしまい、最寄りの本屋は僕の降りる反対口のロータリー向こう側の百貨店7階と遠い上に百貨店だから20時には営業終了。閉店した2軒がいずれも22時まで開いてたのとは大違いである。なので帰りがけに本屋に立ち寄って書籍を物色、ということができなくなってしまった。
 本屋がどんどんなくなってる状況は決して今に始まったことではなく、自宅徒歩圏内にも10年くらい前には全部で7軒あった書店が、今回の2軒一気に閉店で、全部で2軒である。隣の駅やその隣の駅、職場近くの駅なんかでも悲惨なものである──その昔、求人情報誌の販促部門にいたことがあり、担当エリアの本屋さんをいくつも顧客に抱えてて定期巡回していたのだが…、あの当時訪問していた本屋さんのうち、現在もまだ残っているのはおそらく半分以下ではないだろうか。
 かく言う僕自身、昔のように本を買うことはなかなかなくなってしまった。スマホやネットで事が足りてしまうことも増えたというのもあるが、昔ほど「本屋に立ち寄ってみようか」と思わせるだけの魅力を感じなくなった、というのもあるかも知れない。週刊誌などはコンビニや駅売店でも買えるし、本屋に立ち寄ろためには、そう思わせるだけの魅力ある品揃えが必須なのだが、かつては仕事としてその陳列や販促に気を配ってた僕から見ても魅力を感じないというのは、書店員さんのせいでは決してなく、従来の販促方法がもはや通用しなくなってしまってる、ということだろう。
 電子書籍の台頭で、同じ内容の作品をスマホやタブレットで読むことが可能になったり、紙の書籍であってもamazonの台頭で本屋に出向かずとも買えるようになったり、そんな不利な状況の中で書店が客を呼び寄せるには、より取り見取りの豊富な品揃えはもちろんのこと、エンターテインメント性のあるイベント的な面白さが欲しいところではあるが、話題の作家が鳴り物入りで出した新作など、特定の書籍はともかく、品揃え全体でそれをやるとなるとかなり困難だし、まして大手ではない個人商店の本屋さんでは到底ムリだろう。
 そもそも商品である書籍そのものが先細りする一方である昨今、街から本屋さんがどんどん消えていく状況はもはや止められないのだろうか──それも寂しいな、なんて思いながら、駅からの寄り道場所を失って今夜もまっすぐ帰宅する僕なのでした。