“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その⑩
ぼやぼやしてたら、もう9月になっていた。
急いでパリの記事を済ませないと、ズボラの私のことだから、いつまでも終わらないわ。
モンマルトルの丘に建つ、サクレクール寺院
普仏戦争やパリ・コミューンの崩壊で意気消沈した市民を励ますために建てられた。
4000万フランの寄付、40年の歳月をかけ、1919年に完成。
いくら、がっくりしてるといっても、40年もかかったら、普通誰でも立ち直ってるわなぁ・・・
まあ、後世の人々に立派な聖堂を残せたから、それでよしとするか。
ドームのテラスまで上がることができます。
モンモルトルの丘に登るのも結構しんどいのですが、このテラスへと登る
階段は半端なくきつかったわ。
お~~~パリの全景だわ
パリって高い建物が見当たらない。 やっぱり古さが売りの観光都市はこうでないとね。
京都も見習わないとだめだわ。
モンマルトルには多くのストリートパーフォマーがいます。
この、サッカー兄ちゃんはかっこよかったです。
こちらは、Invalides.元々 ルイ14世が建てた負傷兵のための病院。
ナポレオンのお墓があります。
昔、ここで 霊視をする日本人のおばさん、ギボ愛子?がナポレオンの霊視をやってた。
“彼は孤独でした。 私はひしひしと彼の孤独を今感じ取ってます。”てなことを言って、
ほんで、それがどうしてん! その続きを言わんかい、テレビの愛子に突っ込んだことを
このドーム天井の下に棺があります。 ナポレオンの遺体はセント・ヘレナ島に埋葬されていましたが、
1840年にフランスの国民王ルイ・フィリップが遺体をパリに返還するように命令した。
お次は・・・オペラ・ガル二エ
ここねぇ、 ある意味ベルサイユより、ゴージャスでした。
今度来た時はここで、オペラなりバレーなり鑑賞してみたいもんです。
これ見たかったんですよね。 シャガールの天井画
ベルサイユ宮殿も見劣りしそうな豪華さ!
面白いお土産物です。 バカラのフルートオペラ座のマーク入り。
右はハチミツなんだけど、 オペラ座の屋上でミツバチを飼ってるらしい。
小さい瓶なのに、15ユーロもするので、買うのはやめて写真だけ撮った。
夜のエッフェル塔
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その⑧
さぁ、サクサクとモン・サン・ミッシェルのご紹介をしてまいりましょう。
8世紀に島の頂上に教会が創建された。その後、増築、修復がくりかえされ、10世紀から15世紀に
かけての建築様式の変遷をうかがうことができるらしい・・・(私は素人なんでさっぱりわからん。)
とりあえず、いろんな時代の建物が複雑に組み合わさり、ベネディクト派大修道院となったということだ。
回廊は瞑想の場、精神修行の場だったらしい。
回廊からは海を望むことができる。
修道士の大食堂
修道士の数に合わせて造られたらしいので、かなりの数の修道士がいたんだろうな。
食事の時は、しゃべったりしたら駄目だったらしい・・
教会の主要部分。身廊と言うそうな。
この修道院はフランス革命から70年間、牢獄として使われていたので、
内部の装飾などは、その時すっかり損なわれてしまったそうだ。
今では、なんの味気もない石面がむきだしになっている。
巡礼地だったモン・サン・ミッシェルは今ではすっかり観光地になり、ヨーロッパ各地からだけでなく、
世界中から観光客が訪れ、日中はもう~~~身動きがとれないぐらい混み合う。
街の光景。 お土産物屋さんやレストランが軒を並べる。
でもね。狭い道はどこいっても激混み! 一番有名なレストラン。 メール・プラール
プラール夫人が考案したというフワフワのオムレツはモン・サン・ミッシェルの名物
この厨房で作られます。 おじさんが一所懸命、卵を泡立てています。
これがフワフワオムレツだ。 フォアグラとポテトを付けたら、お値段びっくり!!!
決して、オムレツに多大な期待を持ってはいけない。
あくまでも、ここに来た記念だと思って食べること。
レストランの上はホテルになっている。 ここで一泊いたしました。
お部屋の前は小さな庭園になっております。
だんだん陽が傾いてきて、海に教会の影が映っていますね。
薄暗くなっても、まだまだ人は多い。 夕食の後、やっと人通りがなくなりました。
夜に見学することもできます。
島内に一泊して、夜や早朝の人があまりいない風景を楽しめたのが良かったです。
次の日は、朝9時ごろからもう観光客が押し寄せてきておりました。
やっぱり、すごい人気のスポットなんですねぇ。
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その⑦
それでは、パリから離れて郊外へとまいりましょう。
TGVとバスを乗り継いで行った先は・・・・
見えてまいりました!
じゃ~~~ん、 ここだよ!! モン・サン・ミッシェル
周囲一キロしかないこの島。この付近一帯は潮の干満の差が激しいことで知られる。
現在は岸から島まで道路が作られているが、大昔は満潮時に島全体が水に囲まれた。
潮の速度が速く、多くの巡礼者が命を落としたという。
干潮時、島の周りの様子。 ポツンポツンと見えるのはその辺を歩いている人々。
すごい速度で潮が押し寄せています。
島の周りの遊歩道。 ここにはもともとバス停があるのだけど、
水没してしまいました。
駐車場も水浸し。 車で来る人は潮の満ち引きの時間に気をつけなければなりません。
城壁の中も水が入ってきました。
夜のライトアップされたモン・サン・ミッシェル 幻想的であります。
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その⑥
美術館三連発!!
駅舎を利用して建てられたオルセー美術館
バルビゾン派のミレーを見たくて行ったんだけど、見当たらず・・・
その代わり、アールデコのお部屋の装飾の展示が多数あったので満足。
写真撮影はNG・・・・・・・・ここも人多すぎ
併設の豪華な天井画があるカフェ。 アイスクリームめちゃうま!
このカフェだけでも、来る価値ありかもね。
ユニークな建物のポンピドゥー芸術センター
チューブのようなエスカレーターであがっていくと、
国立近代美術館に到着します。
ここは、夜9時まであいていて、観光客も少ないので、比較的ゆっくり見られます。
私は20世紀初頭から、60年代ぐらいまでのキュビスムや抽象派が好きなので、
ここの展示物は結構気に入りました。 写真撮影はここもNG
オランジェリー美術館
ここは、もうこれしかないでしょう。
モネの睡蓮のほか、画商ポール・ギョームによって、
集められたコレクションもなかなか見ごたえがあります。
ルーブルやオルセー程ではないにしても、ここもやや人多しでした。
パリでの美術館巡りにミュージアム・パスが不可欠です。
特に、ベルサイユやルーブルなんかチケット買うだけで長蛇の列だから、
このパスがあるだけで、大幅に体力と時間を節約できます。
ミュージアム・パスについては→☆
を見てね。
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その④
ベルサイユ宮殿の続き・・・・
こちらはプチトリアノン。 ルイ15世のお妾さんのために建てられた別邸。
のちに、ルイ16世とマリーアントワネットのお気に入りの離宮となる。
こじんまりしたエントランス。 グラントリアノンと比べると規模が全然違う。
ルイ14世と15世の違いということか・・・
ベッドルームとリビングもこじんまりとまとまっております。
王様の台所。 ここでどんなおいしい料理がつくられたのでしょうねぇ・・
当時のフランスの宮廷では、男女区別なく愛人を持つことが流行ってたそうで、
マリーアントワネットもここで、恋人と密会したそうな。
ということは、 フェルゼンとここで会ってたのか? 冬場はさぞかし寒かったろう。
こちらはプチ・トリアノンの奥にある村里
ここで、マリーアントワネットは疑似農村生活を楽しんだ。
ここに入れるのはほんのわずかの側近と、お気に入りの取り巻き数人だけだった。
彼女はここで農村の少女の衣装を身につけ、宮廷から距離を置いて生活していた。
そら、一般人が食うや食わずの生活してる時、お遊びで農民の真似されてたら、ムカつくわなぁ~~。
ベルサイユ宮殿の庭園にある、人工運河。
ルイ14世はここに軍艦を浮かべて訪れた客人に披露していた。
ルイ16世は愛人やお妾さんを一切持たず、お城や離宮も建てなかったし、質素な人物であった。
マリーアントワネットは浪費家でプルボン王朝の凋落を招いたとされているけれど、
大してお金を使ったわけではなく、すべては王妃としての体面を保つためであった。
自分から要求して建てたのは疑似農村だけで、離宮に比べるとはるかにそのコストは安い。
ブルボン王朝の財政破たんは、すでにルイ15世の頃から始まっていたそうだ。
そりゃ、この広大な宮殿を維持するのだけでも、莫大な費用がかかるわなぁ。
マリーアントワネットの最後の住まい。 コンシェルジュリー
革命時にはここから2600人が断頭台に送られた。
マリーアントワネットの独房
囚人番号は280番
監視がついていた。
色々調べると、ルイ16世、マリーアントワネットともに、さして悪いことしてるわけではなく、
まあ、時代に葬り去られた悲劇の王・王妃かなぁ・・という感想を持ちました。
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その③
“ 本日、ベルサイユは大変な人出ですこと。” (このセリフがわかるあなたはベルばら通)
マリーアントワネットじゃなくても、そういいたくなる。 チケットを買う人々の途切れない行列。
ベルサイユ宮殿にやってまいりました。
宮殿内部にある礼拝堂。 ここでマリーアントワネットが結婚式を挙げた。
これはブルボン王朝の紋章だよ。ベルばらで勉強したもんね。 若き日のルイ14世
これなら、どうだ!! と、さんざん、ゴージャスなものを見せつけられ、少々食傷気味になった後、
辿りついた場所はここだ!!
一番有名、 鏡の間。 ここで夜な夜な舞踏会が開催されたとか。
天井も絢爛豪華
ルイ16世のベッド。 ここで謁見もしたそうな ちょっと小さめかなぁ。
こちらはマリーアントワネットのベッド。 身長は154センチだったそうだけど
やっぱり、ベッドは小さめだった。 足を伸ばして寝ていないのかもね。
こちらは皇太子、皇太子妃の居室。 王位につかなかったルイの弟たちがここに住んだ。
ベッドルーム。 王様たちのと比べるとやっぱり少し質素。
グラントリアノン
ルイ14世がお妾さんのために建てた別邸。
“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その②
ご存知のとおり、って知らない人もいるけど、私ちょいなは大のステンドグラス好き。
というか、ガラスが大好きなんだよね。
きれいなガラスを見ると、フラフラと吸い寄せられてしまう癖がある。
私がフランスで見てきた、ゴージャスなステンドグラスを御紹介いたします。
まずは、パリ郊外にあるシャルトルのノートルダム大聖堂。
ちょうど、日曜日に行ったので、中ではミサをしていました。
もちろんミサ中は写真撮影は禁止です。
フランス・ゴシックの代表。 中世のから多くの巡礼者を集めてきた。
正面の入口のところが改装中で一番メインのバラ窓が見られなかったのは残念。
このシャルトルのノートルダム大聖堂のステンドグラスはどれも青が一際美しい。
シャルトルブルーというのだそうだ。
かねてから思っていたが、ステンドグラスはブルー系が一番光を通した時きれいに見える。
私の下手糞なステンドグラスも、ブルー系のガラスを多用すると、なんとなく様になって見えるのだ。
お次はこちら・・・ サント・シャぺル
ルイ9世がコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物をおさめるために建立した教会。
この教会は最高裁判所の敷地内に立っているため、
入るのに厳重なセキュリティチェックが必要。
残念ながら、こちらも只今改装中。 一部見られませんでした。
細かいステンドグラスは“パリの宝石”とも呼ばれ、一枚一枚、聖書のお話が描かれてるそうだ。
キリスト教の学校にお世話になったにもかかわらず、聖書のお話って全く覚えていない。
唯一覚えているのは、聖書の先生が、キリストという伝道師は存在しただろうが、
数々の奇跡のお話は半分作り話だと力説してた。
“だいたい処女から、子供が生まれるわけないやろ、 処女やで、処女。”
みんな笑いながらも、妙に納得していた。wwww
最後はこちら・・
パリのノートルダム大聖堂。 ノールダムって“我らの貴婦人” っていう意味なんだって。
そういや、うちの近所のカソリックの教会、 OUR LADY なんちゃらCHAPEL って言うわ
そこから、来ているのね。
まあ、仏教で行ったら総本山みたいなものかなぁ・・・。
170年の歳月をかけて、完成したこの大聖堂。
当時の人が見れば、極楽に来たような気分になれたんだろうなぁ・・・
こんなキラキラ光る幻想的なガラスの中で、パイプオルガンの音を聞きながら、
“パリのアメリカ人”ならぬ日本人 その①
そして、なんといっても、フロントのスタッフさんがとても親切だった。