『六道について』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 今月は、『六道』について見ていきたいと思います。先月は、『輪廻』について見てきましたが、今月は『六道』です。

 

六道/ろくどう

すべての衆生が生前の業の報いによって赴おもむく六種の輪廻の世界のこと。Ⓢṣaḍ-gatiの訳。六趣ともいう。①地獄道(生前に犯した悪しき罪業によって堕ちる、地下にある筆舌に尽くせない苦しみを受ける世界)、②餓鬼道(生前の物惜しみなどの罪業で堕ちる、飢渇に苦しむ世界)、③畜生道(生前の罪業により堕ちる、自己保存のために互いを餌食とし合う苦しみ多い動物の世界)、④阿修羅道(修羅道ともいう。生前に戦闘を好み、慢心・猜疑心の強かった者が堕ちる、常に闘争とうそうを繰り返す世界)、⑤人道(人間の世界)、⑥天道(天人の世界)の六つ。

古代インドでは当初、人は死後、天の王国に至り、無常の幸福を享楽すると考えられていたが、やがて悪行者が赴く場所として地獄が現れ、輪廻・業思想の発達と共に、人間や動物も生まれ変わる対象となった。これが仏教に取り入れられ、飢渇に苦しむ祖霊としての餓鬼を加えた五道(五趣、阿修羅を除く)として成立した(『雑阿含経』一六、正蔵二・一一二中)。また、かつては神の一部であった阿修羅を加えて六道とする説も生まれた。この中、地獄・餓鬼・畜生を三悪道、阿修羅・人・天を三善道ともいう(『大智度論』三〇、正蔵二五・二八〇上)。五道・六道の相違、および餓鬼・畜生の順序の前後に関しては諸経論で異同がある。日本仏教では六道説が一般的で、信仰対象としての六観音・六地蔵、死者儀礼としての六道銭などはこれに由来する。

【新纂・浄土宗大辞典】

 

 先月、私たちは亡くなると『輪廻』するとお話しました。どこを輪廻するのかというと『六道』です。今回取り上げましたのは、辞典から引用しましたので、六道の成り立ちを含めて、説明されております。『六道』には、①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、④阿修羅道、⑤人道、⑥天道があります。私たちは、生前の行いに応じて、次の生、六道の中のどこに生まれるか変わるとされています。

大乗仏教では、自ら覚りを目指すとともに、人々に功徳を施し、共に仏道に励んでいくことが善行、善い行いです。その善行をどれだけ行えたか、善行に反することをどれだけ少なくすることができたかにより、次の生が決まるのです。私たちは、毎日毎日、自らの行いを省みて、少しでも善行を積むことができるようにしていかなければなりません。

 さて、こうみると、お浄土、極楽浄土はどこにあるのかと思われるかも知れません。極楽浄土は、仏様のお浄土であり、六道を離れた場所にあります。来月は、なぜ、極楽往生を目指した浄土教が説かれ、世の中に大いに広まったのか、『末法思想』というものについて、お話したいと思います。

 最後ではありますが、阿弥陀様の極楽往生を目指し、お念仏をお称えされる皆様は、必ず極楽浄土に往生できますので、ご安心ください。しかし、仏様の教えを信じて、お念仏をお称えするのでありますから、六道輪廻しないから大丈夫と思わず、善行を少しでも詰めるように日々励んでいきましょう。

合掌