今月は、『輪廻』について見ていきたいと思います。皆様は、『輪廻』という言葉はお聞きになられたことがあるでしょうか。
原語はsamsaraであり、「流れること」が原意である。仏教の興起以前に、インドでは生まれた者は生死を繰り返すという考えがあり、仏教もこれを踏襲した。車輪が廻ってとどまることを知らないことになぞらえ「輪廻」とされる。釈尊自身が輪廻を認めたかどうかは明確ではないが、最近の研究によれば、釈尊は輪廻に対して否定的であったのではないかと言われている。しかしながら、仏滅後の仏教教団は明らかに輪廻を認め、輪廻を前提として教理を体系化していった。仏教の世界観によれば、輪廻の世界は大きく無色界・色界・欲界という三つに分類され、欲界の中に六道(六趣)があるとされる。六道とは、下から地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天であるが、この輪廻説に業思想が加わり、この世で善業を行えば、死後、善趣(人・天)に生まれ、悪業を行えば、死後、悪趣(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅)に生まれると考えられるようになった。
【新纂・浄土宗大辞典】
私たちは、亡くなると『輪廻』することになります。輪廻する世界は、無色界・色界・欲界の三つに分類され、欲界の中に六道があります。六道とは、天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄です。
輪廻は、生前の行いによって、その行き先が変わります。善行、善い行いをすれば、善趣である天や人に生まれかわります。悪行、悪い行いをすれば、悪趣である阿修羅や畜生、餓鬼、地獄に生まれ変わります。悪いことをすると、閻魔様に、舌を抜かれ、地獄に落とされるというような話を子供の頃に聞いたことはないでしょうか。
また、大辞典には、釈尊自身は否定的であったと書かれておりますが、これは、この度の一生において、覚りに到るという前提で修業をしており、来世を期待するものではないという考えによると思います。しかし、釈尊の入滅後、修行で覚りに到ることは難しくなります。そのため、何度もの輪廻を繰り返しても、善行を積み、その中で覚りを目指すようになります。そして、仏教の基本的な考え方となっていきます。
幸いにも、浄土教の教えにおいては、この輪廻から抜け、お念仏によって阿弥陀様の極楽浄土に往生させていただけます。そして、欲界の中で、修行するよりも、阿弥陀様の御前で修業する方が、早く覚りに到ることができるのは言うまでもありません。
お念仏は、欲界に住む私たちにとって、かけがえのないものです。大事に、お念仏をお称えしていきましょう。
合掌