『意味を知ったうえで、改めて考えるお念仏』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 先月まで、基本的な仏教用語としての「お念仏」をお話してまいりました。今月は、改めて、法然上人の御法語から、「お念仏」について見ていきたいと思います。

 

法然上人の御法語に

念仏申す事、ようようの義は候えども、六字をとなうるに、一切をおさめて候なり。心には願をたのみ、口には名号をとなえて、手にはかずをとるばかりなり。常に心にかくるが、きわめたる決定の業にて候なり。

【鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事・昭法全530】

お念仏を称えることにはさまざまな意義がありますが、南無阿弥陀仏の六字の名号を称えるというたったそれだけの中に、ありとあらゆる意義が込められているのです。心には本願を頼み、口にはお名号を称え、身には手でお数珠を繰るというだけのことですが、常に心がけてお念仏を称えることが、必ず往生の定まる最上の業なのです。

【法然上人のご法語① 消息編 158P 浄土宗出版局】

 

 お念仏を称えるということ、その『南無阿弥陀仏』という六字の中には、さまざまな意義があります。そして、心に極楽往生を願い、名号を称える、手にはお数珠で数を数える。このことを常に心がければ、必ず極楽往生できる最も優れた行いなのです。

 阿弥陀様のお浄土である極楽へ往生を願い、阿弥陀様のお名前を口に出して称えるという阿弥陀様が選ばれた称名念仏という行を行うのです。私たちは、常にこのことを心に留め置き、お念仏をお称えすることが何より大事なことなのです。

合掌