今月は、三心について、それを大きく見ていきたいと思います。
法然上人の御法語に
三心と申し候も、ふさねて申すときは、ただ一つの願心にて候なり。その願う心の、いつわらずかざらぬかたをば至誠心と申し候。このこころまことにて念仏すれば、臨終に来迎すということを、一念も疑わぬかたを深心とは申す候。このうえわが身もかの土へ生まれんと思い、行業をも往生のためとむくるを廻向心とは申し候なり。
【法性寺左京太夫の伯母なりけるに遣わすお返事・昭法全589】
訳:三心と言いましても、ひとことで言うならば、ただ往生を願う心です。その願う心の、正直で飾ることがないさまを至誠心と呼びます。そのようなまことの心でお念仏したならば、臨終には必ず仏さまのお迎えがあると信じて決して疑わないさまを深心と呼びます。その上で自分自身が極楽浄土へ往生したいと思い、すべての善根を往生のために振り向けるさまを廻向心と呼ぶのです。
【法然上人のご法語① 消息編 104P 浄土宗出版局】
三心とわかつおりは、かくのごとく別々にあるようなれども、詮ずるところは、真実のこころをおこして、ふかく本願を信じて、往生をねがわんこころを、三心具足のこころとは申すべきなり。
【大胡の太郎実秀へつかはす御返事・昭法全519】
訳:三心を一々分けて説明すると、いかにも別々の心であるように思われるかも知れませんが、詮じつめれば、三心が具わった心とは真実の心を発し、深く本願を信じ、往生を願う心のことをいうのです。
【法然上人のご法語① 消息編 104P 浄土宗出版局】
先月まで、三心の一つ一つについて、お話してまいりました。今月は、それらをまとめていくわけですが、法然上人は、この三心はそれぞれ別々のものではなく、一つの流れをもち、自然と備わってくる心であるとされています。
つまり、阿弥陀様の極楽浄土へ往生を願い、お念仏をお称えしていると、自然と、真実の心がおこり、阿弥陀様の本願を深く信じるようになり、極楽往生を願う心がより一層増してくるのです。
大事なことは、極楽往生のために、お念仏を日々にお称えするということです。そのことが私たちの根本として、置くことができれば、三心は自然と備わるのです。どうぞ、毎日数遍からでも、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えするようにいたしましょう。
合掌