こんにちは
調布市でフルートの指導をしています、原嶋由紀です。
小学生以下のお子さんのリコーダーとピアノの指導もさせていただくことがあります。
かなり前の写真です。多分、8年とか9年とか。
なんかこの時ちょーハードスケジュールだった。、パンの講座に参加してて、それに参加してから夜↑の通訳に行って、やたら年号ばかり訳すことになり数字がわかんなくなり、夜はちょっとお酒を飲みながらすごく面白い話をして、翌朝お弁当作って、、とかしてた。。。
私の恩師の1人、元ドレスデン国立歌劇場のハウプト氏
出会った時から娘のように可愛がってもらいました。
『良い音楽家は「音楽的に」と言わない』
ルクセンブルクとの国境の街トリア、うーんカタカナで書きたくないこの地名、Trier、ウキペディアにはトリーアと書いてありました😆(前置き長い)
そのトリーアでの講習会での師の言葉。
本当にそうだなーと思ったし、今もそう思います。
少し前の記事
https://ameblo.jp/chofu-fl-prelude/entry-12754542821.html
これと矛盾して感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
音楽的、とは一体どんなことなのか。
最近感じるのは、演奏する人も聴く人も文字通り音を楽しむことなのではないか、ということ。
私は、音楽に感情を込める必要はない、といつも思っています。
だって、感情って身体といつも一緒にいて、その身体を使って楽器を演奏するので、込めなくてもいつも一緒にあるものだと思うのです。
わざわざ「込める」のは思考かもしれない。
音楽とは音を楽しむこと。
なぜ楽しいのか。
音楽の3つの要素は、
リズム ハーモニー メロディ
リズムはもともと人が持っている周期的なリズム感から生まれていると私は考えています。
歩行 咀嚼 心拍
その時によって少しずつ違うけれど、その時のその人の状態が表された周期があります。
ハーモニーは、聴こえてくるすべての音に含まれる自然倍音が基本です。
いい音には倍音がたくさんあるし、雑音とか爆音にも倍音は含まれる。
自然倍音を集約したものが心地の良いドミソの和音で、それを少しずつ変化させて複雑な響きを作っている。
だから、リズムとハーモニーは、作るものじゃなくて「ある」もの。
それを感じるだけで良い。
そんなふうに思っています。
メロディーは人が作るものかもしれないけど、リズムとハーモニーを感じたら、メロディは自然に歌い出してくれる。
そんなふうに感じています。
だから、演奏者は楽譜に忠実に音を再現する。
再現すると、その音から何かを感じる。
音楽的に演奏したり、気持ちを込めたりするのではなくて、忠実に再現されたものに敏感であること、感じつづけることが音楽なのかな、と。。。
レッスンはこちらから
https://prelude-fl.jimdofree.com