楽譜。。。。。 | ふる〜との魔法〜調布フルート教室プレリュード

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憧れの音色を奏でてみませんか?

こんにちは

 

調布市でフルートの指導をしています。

原嶋由紀です。

 

 

私は楽譜が大好きです。

 

隅から隅まで見たいし、見ても見ても発見がある。

 

だけど、レッスンしていると、特にレッスンスタート初期の方にとって、「めんどくさいもの」であったり、「難しいもの」「嫌なもの」であることは少なくないようです。

 

娘が小学校卒業前後の頃に付き合わされて見た映画のシーンで「命令してくる楽譜から自由になった」という類のセリフがあって、映画の演出的には納得したけど、もともと楽譜は命令なんかしてないから、その映画の主人公がそれに気がついただけなんだけどね、って心の中で映画のストーリーとは関係ないツッコミ入れたりして。

 

現代では、録音も録画も当たり前で、楽譜もすぐコピーできるし、データで送受信することもできる。

 

それが当たり前です。

だから、楽譜がなくても何度も録音や録画を再生して耳コピすることのできる。

 

でも100年前を思い浮かべてみると、録音や録画は少しあったかもしれないけれど、現代のように誰でも見聞きすることはできなかったと思うし、楽譜の印刷はできたと思うけれど、コピーはどうだったでしょうか。

 

そして、200年前になると、録音録画はもちろん、コピーもできなかったと思う。印刷の技術はあったけれど、現代と比較にならないほど手間のかかる方法でした。

 

300年前だったら?

印刷されるものは本当に特別なものだけで、楽譜が欲しいときは手書きで写譜をしていた。

 

そのため、1つの曲に対していくつかの写譜された楽譜があって、違うところがあったりして、それは、写し間違いなのか、それとも意図しで違う音を書いたのか、と研究されています。

 

録音録画のない時代、素晴らしい演奏も、名曲も、どんどん流れて行って記録する方法がありませんでした。

 

それを記録したの楽譜。

 

私は、それを見るとき、それを書いた人が何を意図したのか感じることがとても楽しいです。

 

命令ではなくて、意図を感じ取る。

そして、どんな風にそれを再現するか考える。

 

それが練習すること、再現すること。

 

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昨日、何人かの小学生とピアノを弾きながら遊びました。

 

ねこふんじゃった、とか、げんこつだけで弾ける曲とか、教えてあげるとみんな楽しそうに引いてくれました。

 

彼女たちがメロディーだけ弾ける曲に私が伴奏してあげると、「これもやって♪」といろんな曲を弾いてくれるのがとっても可愛く、楽しかったです。

 

「ねこふんじゃった」も、げんこつだけで弾ける曲も、楽譜に書くと♭が6個もついて、おそらく、フラットの多さに拒絶反応が出て多くの人が見る気を失ってしまうでしょう。

 

だけど、見よう見まねで引くと、黒鍵だけ弾くのは弾きやすい。

 

楽譜があっても弾きやすい、本当は。

 

楽譜があることで弾く気がなくなるのは残念。

 

どうしたら面白くなるのかな。

本当は面白いので、面白いことを伝えたい。

 

昨日の記事に「楽譜に忠実に」という言葉を書いてから、そんなことを考えていました。

 

楽譜が読めなくても、楽譜がなくてもある程度、楽器の練習はできると思います。

 

が、運指を覚える、とか、細かい音がたくさん並んでいる曲を演奏する、とか、そんなことをやりたいときには、楽譜があったほうが近道かつ、正確。

 

楽譜を使って、音楽を楽しむ、そんな風に考えてもらえたらいいな。