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食字力アップマイスター 小笠原さち穂です(^^)
前回の振返りブログ
『such a story 』第4話 〜初めての試練〜
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私の振返りブログ
『such a story』第5話は…
〜園児の決意〜
通園前に母から言われた一言
「お友達みんなと仲良くしてね」…
でも、いじめられていた私は
「みんなと仲良く出来ない駄目な子」…
「母が言った事を守れない駄目な子」…
と自分を駄目な子に作り上げてしまったのです。
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またいじめられる…
みんなと仲良く出来ない駄目な私…
そんな思いで、
幼稚園に行くのが嫌で嫌で
毎日、泣いて母を困らせました。
毎日泣くほど嫌な通園だったけど、
何で嫌なのか、
いじめられている事を
母には話せなかった…
「母を悲しませたくない」
「母に心配をかけたくない」
無理やり母の自転車の後ろに乗せられて
幼稚園に通っていました。
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幼稚園での楽しみは、
毎朝連絡帳に貼る出席シール。
シール貼るのが大好きだった。
あとは3時のおやつ。
プラスチックのマグカップに
1人分ずつオヤツが入っていて
先生が手渡ししてくれるの。
お友達と一緒に食べた記憶はないけど、
母がお迎えに来てくれるまでの
お楽しみだった。
幼稚園の時の将来の夢は
「ばれえのせんせいになりたい」…
放課後に外部からバレエの先生が来て、
幼稚園で教えてもらっていた。
習うキッカケは全く覚えてないけど、
経済的に余裕のない我が家が
何故習わせてくれていたのか不思議。
生活発表会でステージに上って
みんなの前で踊った時は、
すっごくドキドキでとても緊張した。
踊りを間違えないように
必死だったけど、
可愛い衣装を着せてもらえたのは
とても嬉しかった。
結局、小学校に上がると同時に
送り迎えが大変だから?
経済的に?という
家庭の事情で通えなくなってしまったけど…
母はバレエを続けさせてあげられなかった事を
ずっと気にしていたそうで、
私が使っていたバレエシューズと
レオタードをとても大切に
とっておいてくれていた。
孫が出来るまで…
(後に我が子が使う事になりました^ ^)
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いじめっ子の2人の女の子とは
別の小学校になるって知ってからは、
早く小学生になりたかった。
とにかく早く小学生になりたかった(笑)
小学生になったら、
「新しい友達いっぱい作るんだ」
「もう、いじめられないぞ」って、
鼻息荒く(笑)、
明るい希望しかなかった🎶
⭐︎⭐︎⭐︎おまけ話⭐︎⭐︎⭐︎
卒園アルバム。
表紙をめくってすぐのページに
園長先生が書いた文字。
『心』
何故この文字なのか、
聞いた事はなかったけど…
私が
小学1年生から習い始めた書道は、
園長先生が書いてくれた
この綺麗な『心』という毛筆文字が
キッカケだったのかも…
4歳年上の近所のお姉ちゃんが通っていた
往復だけでも30分かかる書道教室に
小学1年生から通い始めました。
ある日「やめたい」と言ったら
父にひどく叱られて…
あんなにひどく叱られたのは
最初で最後だったと思う。
「自分でやりたいと言い出して始めたものを、
そんなに簡単にやめると言うなっ‼︎」と叱られて、
買ったばかりの学習机ごと、
外に放り出された…私も一緒に…
めっちゃ泣いて、
ごめんなさいを言い続けたと思う。
「家に入れて〜っ!」て叫んだな。
今じゃ、ありえないよね。
御近所さんに通報されそう(笑)
ごめんなさいって謝りながらも、
何でそんなに叱られたのか、
その当時は意味がわからなかったよ。
でも、この出来事がきっかけで
『最後までやり切る事が大切』ということを
教えてもらった気がする。
その時の父との約束は…
「1級合格するまでは続けること‼︎」
約束した時は習い始めで7級くらいだったのかな…
そこから昇級するたびに、
どんどん書道が楽しくなって…
結局、20年以上書道教室に通うことに…(笑)
師範試験を受ける前に辞めて、
母には
「あんなにお金掛けたのに勿体ない!」
って言われちゃった。
でも文字を書く事は大好きだし、
初めて自分を認めることができたのが
書道だったと思う。
私にとっては
自分を表現するための手段の1つ。
本当に大切なもの!
なんだよ。
間違いなく、
今の筆跡診断士という
仕事に繋がっているしね♡
おしまい(^^)
第5話はここまで…
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