数あるブログの中から、
こちらのブログにご訪問いただき
有難うございます❤️
食字力アップマイスター 小笠原さち穂です(^^)
前回の振返りブログ
『such a story 』第2話 〜小さい私〜
はこちらからどうぞ↓↓↓
https://ameblo.jp/chocotapoo/entry-12592660382.html
私の振返りブログ
『such a story』第3話は…
〜夜な夜な…〜
第2話では、
未熟児だった私。
母と2人で出掛けたある日の
ちょっと恥ずかしいでき事。
などを書きました。…
・
・
・
・
・
私は幼い頃、
とてもとても夜泣きがひどくて…
母を悩ませていました。
私も何故泣いていたのか、
理由は覚えていませんが、
夜泣きがひどかった事は覚えています。
私のすぐ隣にはいつも母が
その隣には父が
一緒に寝ていました…
広い家ではなかったですし、
私が小学校高学年になるまでは、
親子3人、川の字で寝ていました。
私が20歳を過ぎる頃まで、
我が家は借家を転々とし
同じ町内で3回引越をしました…。
私が高校を卒業する頃まで
住んでいた借家は、
大家さんが廃材を集めて
ご自身で建てられた…
隙間風がビュービュー、
天井を見上げれば
空の明かりが見えるような家でした。
…この粗末で隙間だらけの家に
住んでいることが
私の中学生あたりからの
劣等感のひとつでもありました…
この辺りのことはまた改めて書きますね^ ^
・
・
・
話しが外れましたが・・・
夜泣きがひどかった私。
暗いのが怖かったのか…
夢を見るのが怖かったのか…
父も母も寝てしまって、
孤独を感じるのが嫌だったのか…
幼いからこその
何か不安があったのだと思います。
父は仕事が休みの日でも、
朝から一人で出かけることがほとんどで、
私はいつも母と2人で過ごしていました。
母とはいつも一緒。
でも父には普段から
あまり構ってもらった記憶がなく…
子育てには非協力的な
父親だったと思います。
そんな父でしたが、
私の夜泣きがひどかった頃は、
ビービー泣く私を
毎晩のように
母と一緒に車に乗せて、
夜中?にドライブをしてくれていました。
家の周辺をぐるっと一周…
それでも私が落ち着かない時は、
30分〜1時間ほど車を走らせてくれていた
と思います。
そして幼い私は車中で寝落ちするとか…
何かに満足してやっと眠りにつく…
という日々を過ごしていました。
子供の頃に父に遊んでもらった
という記憶はないですし、
父と一緒に出かけるのは
滅多にない家族旅行くらいでした。
今と違って、
学校の授業参観や運動会、
入学式・卒業式なども
母親だけの参加がほとんどの時代…
父とは私が大きくなってからも
そんなに話すことはありませんでした。
決して、
仲が悪かったというわけではないのですが…
母からは、
「父はずっと男の子が欲しかった…」
という話も聞いていたし。
父とはなんとなく
打ち解けられない感覚がありました。
でも今思えば、
仕事で疲れていただろう父親が、
よくも毎晩、
私の夜泣きに付き合ってくれたものだなぁと…
いわゆる
猫可愛がりのような事は
ありませんでしたが、
ちゃんと愛情をかけて
育ててもらっていたのかな?
不器用な父の
子どもへの愛の形だったのかも?
と思うのでした。
〜後日追記〜
☆☆☆おまけ話☆☆☆
実は先日、個性學のzoom講座を受けました。
受講の理由は、
うちの子どもは宇宙人👽❗️と思うほど
子どもの言動が全く理解できず
子育てのしにくさを感じていたから…。
でも受講して分かったんです(^^)
十人十色ってわかっているつもりでも、
全然わかってなかった💦
親子であっても
それぞれ全く別の人格。
考え方、感じ方、大切に思うこと・・・
全然違う✨分からなくって当たり前🍀
でも相互理解は必要😊😊😊
(なんか薄っぺらい表現しか出来なくて
残念な私…💧)
私は父に構ってもらえなかったという
寂しい思いをずっと抱いていたけれど…
それってもしかしたら、
父も私の事、
宇宙人👽と思っていたのかも❓(笑)
私の事を理解できずに
どう接したら良いのか
分からなかっただけなのかも……と。
そんな風に思えたら
今になって
やっと…
父への想いが
自分の中で解消出来た…
そんな事を感じたのでした♡
おしまい(^^)
第3話はここまで…
お付き合いいただき有難うございました♡
〜第4話に続きます(^^)
第4話 〜初めての試練〜
はこちらからどうぞ↓↓↓
