アメリカでの生活は母からの解放だった | chocolate mom to be happy

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  and tomorrow will be much happier



高校卒業したら、渡米。

 

もともと映画が好きで、英語が面白くて。

高校1年、2年の夏は短期留学。

そしてそこで知り合ったホストファミリーをたよって、高校卒業後に渡米。

 

母には何も相談しない高校生だった。

これしたいといえば、どうぞとお金だしてくれる。

兄弟に使う予定だったお金を私に全部、だしてくれたのか。

相変わらず、兄弟は上も下もフラフラしてたから。

 

何かの理由が必要だった。家を出る。

グレて家出するのではなく、自分のためになる家出。

 

結果、あの頃の自分が一番、自由だったな。

楽しかったな。

自分らしかったな。

何かを学ぼうとしていたな。

 

でも、心の中にあるのは、「役にたてる職をもちなさい」というまた母の呪縛。

それはたぶん、「将来、稼いで私を養いなさい」という意味だったのだと今更気が付く。

それから他の兄弟は使えないから「あなたにお金を使うのよ」と。

 

実際、たくさんお金出してもらったけど、それ以上に仕事してから仕送りしてた。

後から兄弟達がいう。私だけがたくさんお金を出してもらったと。いや、自分達が何もしたいといわなかったからでしょうとそこでも亀裂が入る。兄弟も他人なんかな。いや、彼らは、自分軸で生きてるから言えるのかな。

 

自分の老後は子供に頼らず、自分で生きていきたいと思う。

自分の子供が同じ気持ちにならないように、自由に生きて欲しいと思う。