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ちょこボラ!しよう

「ちょこボラ」とは、「ちょこっとボランティアする」こと。今すぐ簡単にはじめられる「ちょこボラ」の数々を紹介します。

生後10カ月になる愛犬のルナ(チワワ)に「生理」が来ました!クラッカー

まだまだ子犬だと思っていたのに、気づけばもう「大人のオンナ」サンダル
犬は人と違って、生理が来れば交尾や妊娠が可能なので、
これでもう、いつでもお母さんになれるわけです。
(人間の場合も、生理が来れば交尾、妊娠できることはできるが、
若年齢での交尾(セックス)や妊娠は大きな危険が伴う。)

「ルナちゃん、赤ちゃんが産めるんだ音譜 ルナの赤ちゃん、きっとかわいいだろうなあ星」
とわが子は大はしゃぎ。
内心では、自分も似たような気持ちを否めませんが、犬の安易な繁殖は禁物。

交尾から出産まで、ちゃんと面倒を見てあげることができるか。
飼い主探しをはじめ、生まれた犬すべてに責任を負えるか。
不測の事態が起きたときに冷静に対処できる心の準備はあるか。

「かわいいから」
「子犬を生ませてみたいから」
ただそれだけの理由で犬に子を生ませるのは絶対に避けなくてはなりません。しっぽフリフリ

とはいうものの、愛犬が赤ちゃんを産み、
お世話を含めてそのたいへんさ、楽しさ、喜びを経験する意義はたいへん大きい。
私自身、子どもの頃に一度経験しているので、
わが子にそういう経験をさせてあげたいなあと思わなくもありません。

いずれにしても、今は「オトナ」になった愛犬が愛おしくてたまらない気持ちで一杯ですニコニコ



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小型犬用のサニタリーパンツをはいてみました!
長時間だと、いやがって自分で脱いでしまうのですが…汗
群馬県桐生市の女児自殺事件。
同年代の子をもつ親として、とても他人事とは思えない。
この年代の女子は人間関係にたいへん敏感で、
大人が思う以上に傷つきやすいからである。ハートブレイク

自殺してしまったお子さんは小学6年生。
わが子は二つ下の4年生だが、
すでに学校での人間関係の困難に直面し始めている。
いじめられているというわけではないようだが、
一見仲がよさそうに見える友だちとのあいだでも、
ややこしいことがたくさんあるらしい。

最近も、こんなことがあった。
わが子には、小学校入学以来ずっとなかよしの親友のような子がいるのだが、
この親友女子との関係が微妙に変化する事件が起きた。

近所の公園で、わが子とこの親友女子ともう一人の子と3人で、
かくれんぼをして遊んでいたときのことだ。
オニになったのはわが子。
数を数え終えて友だちを探しはじめるが、いくら探しても二人とも見つからない。
15~20分ほど探しても見つからず不安な気持ちで公園の外に出ると、
公園外のマンション駐車場に隠れている二人を発見。

「公園の外に隠れるなんてずるいよ! 見つけられっこないじゃん!」むかっ

わが子はあまり感情をあらわにする性格ではないが、
そのときは思わず怒ってしまったらしい。
それ以来、その親友女子はわが子と距離をおくようになり、
いっしょに隠れたもう一人の女子と仲よくするようになったのだ。

しかも、わが子によれば、かなりあからさまに避けられるようになったという。
3人で並んで歩くときも、これまではわが子にべったりだったのに、
わが子のとなりをサーッと避けて、その子にベタベタくっつくようになったというのだ。
悲しいような不愉快なような、
なんとも言えない気持ちをわが子はそれとなく打ち明けてくれたが、
内心では相当こたえていたと思う。しょぼん

あまりクドクド言わず、さらっとイタワリの言葉をかけて、
「これを機会に別の友だちに声をかけてみれば」とすすめてみた。
最近の子どもたちは2~3人でがっちりとグループを組むことが多く、
自分を受け入れてくれるグループがあるかどうか不安だったようだが、
幸いにも仲よくできるグループを見つけて、楽しい学校生活をつつがなく送っている。

ちなみに、わが子はどちらかというとインドア派で、
休み時間も教室内で遊ぶことが多かったのだが、
新しいグループの子たちに誘われて外で遊ぶことが多くなった。
体を動かすとやはり気分がいいらしく、
「新しい友だちができてよかった」と喜んでさえいる。
災い転じて福となる。
親友との出来事は残念ではあるが、
わが子にとってはあながち悪くない経験であったようだ。合格

ところが、それからひとつきほどたったある日、件の親友女子が、
「●●ちゃん(新しくなかよくし始めた子)はあまりかまってくれないの。
私はやっぱり◎◎ちゃん(わが子)のほうがいい」
と言って、わが子にふたたびくっつき始めたという。
すでに新しい友だちグループになじんでいるわが子が、
その親友とふたたび元通りの関係になることはないようだが、
いやはや、聞けば聞くほど、まるでややこしい男女関係のようである。
これから先も似たようなことが起きるかもしれないが、
これも避けては通れない女子の定めか(わが子よ、ガンバレ!)わんわん

それにしても、人間見た目ではわからないものだ。
その親友女子はいたっておだやかなタイプで、一見とてもやさしい子だが、
今回の一件によって、ある種の「いじわるさ」「調子の良さ」を見せつけられることになった。
子どものことだし、人間いいとこ悪いとこいろんな面をもっていてしかるべきだが、
個人的には、この手のいじわるさや調子の良さには、
悪意というよりも人間の弱さ、もろさを実感させられる。
こういう子どもは、おそらくこのままの状態で成長していくのであろう。

ちなみに、その親友女子はつねに笑顔を絶やさない子である。
「そんなに笑わんでもいいよ。無愛想にしてていいよ」
と言いたくなるほど、いつもニコニコと笑っている。
笑顔でいるのはとってもたいせつなことだと思うが、
彼女の笑顔には、そこはかとない不自然さが漂う。

自分自身を必死で守ろうとする仮面。
私には、そう思えてならない。

ハロウィン











フェアトレードチョコレートが販売される時期になりました(やった~)!ニコニコ

フェアトレードチョコはカカオバター100%使用。
暑い季節では溶けてしまうため、秋冬限定発売なのです。
フェアトレードチョコの濃厚な美味しさのヒミツは、
この100%カカオバターにある、というわけですね。

ちなみに、1枚100円くらいで販売されているふつうのチョコレートが溶けにくいのは、
カカオバターだけでなく植物油脂が使用されているから、とのこと。
フェアトレードチョコは1枚300~600円とお高いのですが、
素材がリッチで一口が濃厚なので、
100円のチョコ3枚分ていどの食べごたえは十分にあり!

フェアトレードショップの通販で購入しましょう!チョコレート

http://www.peopletree.co.jp/
http://www.slowwatercafe.com/cafe-index.html
http://www.rakuten.co.jp/asante/




11月8日は「いい歯」の日。ドクロ
以前にも本ブログで紹介しましたが、
使わなくなった差し歯や入れ歯の金属があったら
ぜひ、入れ歯リサイクル協会に送ってください。
http://ireba-recycle.com/

「入れ歯リサイクル」は、
入れ歯や差し歯に使われている金、銀、パラジウム合金などの貴金属を換金し、
ユニセフに寄付するという活動です。
ちなみに金は1グラム2400円、金銀パラジウム合金は1100円。お金
けっこうな金額ですよね。
知らずに捨ててしまう人もいるらしいのですが、
こんなにもったいないことはありません。

最近、「不要入れ歯リサイクルボックス」を設置する自治体が増えてきました。
ボックスを積極的に設置する歯医者さんも少なくありません。
私が住んでいる茅ケ崎にもリサイクルボックスが設置されていますが、
歯医者さんには置いてあるかな?

ちょうど、右上奥歯の一部がかけてしまい明日歯医者さんに行くので、
ボックスがあるかどうかチェックして来ようっと。
それにしてもこの奥歯の欠け、ものすごく気になる。。。
痛みはないのだけれど、もしかすると詰め物しなきゃならない?
詰め物に金属を使うことになったりして…。
「いい歯の日」を前に歯が欠けてしまうなんて、
なんていい?タイミングなんだろうあせる

歯科治療、あなどりがたし。ですね。ガーン


↓入れ歯がどっさり!

$ちょこボラ!しよう-入れ歯
ホールケーキ1ピース分を途上国の食糧支援に寄付する
「ラブケーキプロジェクト」。ケーキ

国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)が昨年から開始した取り組みです。

現在、全国から約80のケーキ屋さんが参加を予定。
本日WVJのウェブサイトに参加するお店一覧がアップされましたので、
みなさん、ぜひごらんください!

もしもお友だちにパティシェがいるなら、
この取り組みのことをぜひ伝えてください。
ラブケーキプロジェクトの輪を広げましょう!ニコニコ

今年のウチのクリスマスケーキは「ラブケーキプロジェクト」で決まりですっ!ラブラブ

(「ラブケーキプロジェクト」http://www.worldvision.jp/involve/lovecake/)


$ちょこボラ!しよう-ラブケーキ2

(写真提供元:ワールド・ビジョン・ジャパン)
単行本『女の子の育て方』のゲラ校正が終わった。

著者は明治大学教授で人気心理カウンセラーの諸富祥彦先生。
本書では、先生から聴き取りをした重要ポイントにそって本文を作成する「執筆協力」として関わらせていただいた。メモ

執筆協力の仕事は、専門的な話題を読みやすい文章にまとめるだけでなく、
読者の方々が共感しやすい身近で具体的なケーススタディをあげる。
ケーススタディは、友人や知人などから聞いた何気ない話題が元ネタになっているが、
本書のなかでは、ほかでもない自分自身の体験もネタにしている。

ちなみに自分の体験ネタは、「母と娘のむずかしい関係」を扱った章で登場する。
距離が近すぎるがゆえに娘を支配してしまう母親の心理について述べた内容なのだが、
本書のなかでは、もっとも重たいケーススタディになった。
「あまり重たい本にはしたくない」という担当編集者から修正を指示されるかもと思ったが、
意外にも「このケーススタディがいちばんおもしろかった」と言ってもらえた。
ほっとすると同時に、うれしくもあり、複雑な心境にもなった。得意げ

時計

親の愛情を得たくて、娘は必死に母親の期待にこたえようと努力する。
支配されても、あるいは逆に無関心にされても、
親を慕い、親を喜ばせようといっしょうけんめいがんばる。
しかし、親のほうはそんな娘の気持ちをつゆも知らない。
「親なのだから慕われて当然」と思ったり、
「親としての任務を果たしさえすればよい」と義務的に考え、
娘の心に寄り添うということをしない。
現実に、子を愛さない、愛せない親は少なくない。
しかし皮肉なことに、
親を愛せない子は、この世に一人としていない。
ののしられてもなぐられても、子どもは親を愛し続けるものなのだ。

ところが、この悲しき子の愛情は、やがて憎しみに変わることがる。
「これほどがんばっているのに、なぜ自分を認めない」
そんな思いがマグマのようにたまりにたまって、
爆発したりドロドロと流れ出したりする。
この「爆発」「噴出」「流出」のきっかけのひとつが、
ほかでもない「介護」ではないだろうか?
介護するうちに虐待に及んでしまう裏側には、
長年にわたる親子関係の愛憎があるのではないだろうか?

老親を虐待してしまう奥には、復讐の怨念が隠されてる。
私にはそう思えてならない。
もちろん、密室化しやすい自宅介護では、
強い怨念がなくとも虐待に及ぶ可能性が高いのかもしれないが、
親子関係を見つめ直し怨念の存在に気づくことは、
虐待をなくすための重要な作業ではないかと思う。

救われるべきは介護される人よりむしろ、介護する人なのだ。ブーケ1

時計

※『女の子の育て方』(諸富祥彦著)はWAVE出版より発売予定。
現在ベストセラーになっている『男の子の育て方』の姉妹本です。

















近頃、母親がめっきり老け込んできた。
見た目はそれほどでもない。
でも、老いの兆候が顕著にあらわれはじめている。

体力や判断力、記憶力の衰え。
そして何よりもはっきり出始めているのが性格の微妙な変化。
人一倍他人への遠慮が強かったのに、明らかにずうずうしくなっている。
長年の一人暮らしのせいか、コミュニケーションの力も衰え出しているかのようだ。

そんな母親を見ていて、小さな不安が頭をよぎった。

「私は母親を介護できるのだろうか?」叫び

介護とはつまり、トイレの世話をしたり抱きかかえたり、
密接なスキンシップをはかるということ。
母親の身体にふれることを想像したとき、
限りなく「嫌悪」に近い違和感を感じたのだ。

母親とは、別に不仲なわけではない。
それなのに、このイヤな感じはいったい何なのか。

そんな話題を、先日久しぶりに会った友人の編集者に話してみた。
彼女は、私の話を興味深く聞いてくれた。
そして、
「似たような不安や悩みを抱えている女性は少なくないかもしれない。
高齢にさしかかった親に不安を抱いている人、
実際の介護でたいへんな思いをしている人、
母子介護を経験して来た人、
そんな人々に取材をしてあなた自身の問題解決をたどる過程を、
本にしてみてはどうだろうか」
と提案してくれた。
「私たちの世代の女性のなかには、
母親との問題を抱えながら生きて来た人が少なくない。
そういう人たちにとって、たいへん役立つのではないか」と。

奇しくも、NHK福祉ネットワークで同じようなテーマを扱っていた。
老いていく親に不安を抱えていたり、
つらい思いをさせられたりしている女性は、
想像以上に多いのかもしれない。
まずは、私の身近にいる女の人たちに、
「老いに向かう母」に対しての思いを聞いてみることにしよう。得意げ






昨日、「著作権」に関するセミナーに参加しました。メモ

物書きとして、出版に携わる者として、
著作権に対しては十分な注意を払わなくてはいけない。
自身と他者の「表現の境界」について、
業界ではどのような常識があるのか。
それを学ぶために参加したのですが。
たいへん勉強になりました。

自分にとって重要な発見もありました。ひらめき電球
参加前は
「他人の著作権を侵害して、
よけいなトラブルを起こさないために
予防的な知識をつけておきたい」
そんな意識が強かったのですが、
話を聴くうちに、
「やむをえずトラブルぎりぎりのことを
しなければならない事態に直面した場合、
どう判断するか、
あるいはどう乗り切っていけばいいか」
ということを考えるようになったのです。

もちろん、著作権の侵害は犯罪だし、
法律に抵触しなくとも誰かを不愉快にする事態は避けるべきなのですが、
そうはいっても本をつくるときには、
「自分が表現したいこと、伝えたいこと」
をやるために、
「誰かに愉快でない気持ち、シブい思いをさせてしまうこと」
も避けがたく起きてくるもの。

そんなときに、
胸をはって自分自身の行動に責任をもつことができるか。
他者を不愉快にさせても
ひるむことなく主張できるほどの説得力を、
自分のつくったものが備えているか。

著作権の勉強を通じて、
本をつくる、文章を書くということの心構えを、
あらためて思い知ったしだいです。えっ
芸工大学文芸学科でお世話になる山川健一さんと、
打ち合わせがてら渋谷でお茶しましたコーヒー

いかにしてこの世界から「文学」が生まれて来たのか。
大衆小説やエンターテインメント小説と文学のちがいとは何か。
そんなことについて、お話ししてもらいました。メモ

そして、打ち合わせの最後に山川さんからいただいた課題。
「30枚くらいでいいから、小説を書いてごらん」

文芸学科で私が担当するのは編集や取材の方法、
そして小説ではない一般的な文章の執筆。
そう心づもりしていたから、
自分が「小説を」という気持ちは
まったくなかったわけですが…………。

いや。
「まったくなかった」というと、、、ウソになる。
というのも、小説を書くという予兆は、
ここ数年、何遍かあったような気がするから。

たとえば、
友だちから「小説は?」と言われたり。
義兄から「そろそろ小説書いたほうがいいでしょう」と言われたり。
仕事で書いた原稿の一部を「まるで小説のように読めた」と担当編集者に言われたり。
「これ、小説なら表現できるのにな」という出来事に出会ったり。

でも、
「書かなければ」という必要性も必然性も、
「書きたい」という気持ちの盛り上がりも感じられず、
長い間、行動に移さずに生きて来てしまった。

それなのに、どういうわけかこういう流れになっているということは、
そろそろですよと何者かに肩をつつかれているのかも。
あるいは、ずっと以前から気づいていたのに、
心の深い部分で大きなバイアスがかかっていたために、
気づかないフリをして今日まで来てしまったのかもしれません。叫び