時期を逃した記事
なにこの訪問者数!
この一貫性のない
カテゴリがわけわからない
書庫の使い方もなってない
自己完結ばっかりで
チンケな
ボロブログに
こんなにたくさんの人が来るなんて…
おかしい…
なんということでしょう…(サザエさんの声で)
怖くなりました
ドキがムネムネです(20年ほど時を経て今なお流行ってます)
午前0時をまわって通常運営にもどってました
ほっ
あーびっくらこいた
2005年7月8日(金)AM:10:52に上げた記事です。
いまや存在すら忘れていたランダムブログの話です。
これを知ってから写真を使うのを極力避けています。だってなんかやなんだもん。
のちにブログとはなんぞやという疑問にとりつかれる時期がありますが
記事は新着に載らないように非公開で一度上げて修正、ランダムにかからないよう写真は使わない
新しく新天地を探さない。どうもそういう人は一般的ブログ論では「チラ裏行け!」的存在のようです。
いや、色々細かく望みがあるんだよ…。ちょっと人とは違って変だけどさ。
まあ公の場であることを忘れなきゃいーでしょ。
ちなみに「ぎょっ!」今も流行ってます。バリバリです。はっきり言って。ムネがドキドキ。
あ、間違えた、ドキがムネムネだった(笑)ムネがドキドキって。普通じゃん。
とりあえず、すべていまだに好きなフレーズです。むふ。
またまたリベンジ「なにこれ?」
とてもキモチ悪いものに見えます
ウチのぷんさん(猫・オス・14歳)の抜け毛です
昨日掃除しようと 娘の綿毛布をどけたら…
そこにコイツめが
ぎょっ!!
ナナフシ!?
ムカデ!?
げじげじ!?
体長は20cmくらいあります
ぐしゃぐしゃの足のようなものを入れると
幅もたっぷり5cmあります
めちゃビビったとです…(まだ抜けない)
ビビりのあまり1mほど後ろに飛びのきました
動きません
…虫じゃない?
あっ!!げるげだ!(ウチではぷんの抜け毛をげるげと呼びます)
なーんだ…
とちょっと待て!
何このげるげは?
尋常じゃないわ!
いやぁ尋常じゃない抜け毛なんですが
ウチのぷんさんはメインクーンという長毛猫がお父さんなせいか
ダブルコートなのです
綿毛のように細かくふわふわのアンダーコートに
少し長くてしっかりした毛質のトップコート
一緒に抜けるとすごいんです
毎年この時期は一番抜けます
本人も暑いのかブラシをかけてもかけても自分でも抜こうとしています
掃除機をかけた直後にげるげがふわ~…
あそこにも、ここにも
ふわ~
アレルギー持ちの私には辛いです
必死でブラッシングしてますが、追いつきません
ああ…
今日もここにも、あそこにも
ふわ~…
ちなみに3枚目の写真はそんなげるげが
あまりにも大量なのでげるげボールにしてみました
コレがめちゃくちゃ弾むんです
ぷんさんに放ったら
大喜びで追い掛け回しています
大ハッスルです
今朝もハッスル!ハッスル!
うるさいなー…(笑)
あっ!またげるげが!
2005年7月8日(金)AM:10:38に上げた記事です。
これまたどうでもいい記事なのですが、写す基準もないので全部写すことにします。
しかもこちらでは写真を載せていないので何のことやらさっぱりわからないと思いますが
本部で載せていた写真は「飼い猫の抜け毛」写真と「抜け毛で作った毛玉ボール」の写真です。
今年も毛玉ボール第1弾が出来ました。毎日必死でブラッシングしています。
出産してからアレルギーがひどくなり抜け毛が舞うと辛いので頑張っています。猫も。
悪いね、人の都合でブラッシングが増えて。せめて心地よいようにつとめます。
カテゴリでは「14歳」のぷんさんも今年7月に15歳になります。長生きしてね。
リベンジ
昼間から全然画像が載せられない!
きーっ!
また投稿した記事が消えるっ!
んも~~~っ!
こんちくしょうっ!
こんにゃろ、こんにゃろ!
あっ!隊長!(誰?)
ライガーを発見しました!
わーい!
2005年7月7日PM:8:50に上げた記事です。
またしても写さなくても良いような記事。しかも写真は省略。
本家ではこの記事に、プロレス運送のトラック写真が載っています。
最近プロレス運送のCM見かけませんが、まだ頑張っているのでしょうか。
プロレス、大好きなので業界にも頑張って欲しいです。
もしも引っ越す際にはプロレス運送を頼みます。
ライガー頑張れ~!
悪意がある 悪意がない
何かを知らないこと自体は決して悪いことじゃないと思っている
だけどそれが他人に向けられたら悪になることがあるとも思う
私にとっては悪気のない人の方が怖い
それは私にとって押し付けに近いから
こうしてあげている
普通はこう
そういうことを言われることがひどく窮屈で理不尽に感じて
私の中にいる悪意がむくむく育つ
育ってしまった悪意の私は
相手が傷つくとわかっていて傷つける言葉を投げる
そして相手が傷つくのを見て
更に傷つく
極端な話
わかっていて悪意を投げつけられたら
投げ返せる
だけど
「悪気はないのよ」と言われたら
傷ついた気持ちの置き場がなくなり、ますます辛くなる
しかもそれを第三者から告げられたら
憤死しそうだ
私は対等でいたい
常に対等を求めてしまう
私が求めることを与えて欲しいんじゃない
相手が私に求めるものを私も要求してしまう
ギブアンドテイク
なんでだろう
でも与えるだけで続いていくのかな?
もらうだけで続いていくのかな?
理想を言えば
何も求めず与え続けることの出来る状態に
なりたいけれど
2005年7月6日(水)PM:2:45に上げた記事です。
「悪気はないの、あなたを思って言っただけなの」
むかつきます。きらいです。とことん、追求してどのへんが私のためなのか知りたくなります。
追求して、質問を繰り返すと、いつの間にか自分がトラブルメーカーになっていたりします。
納得いかねーよなー。
最近もねちねちこういうことを考えます。
空と霞とゴンドラと
25階からゴンドラで降りる風景を携帯から送ってきた
あまりキレイな画像じゃないけど載せてみよう
むひょ~!!
周りが霞んでるよ~!
ビルがレゴブロックみたいだよ~!
怖いよ~!
高いところなんて全然怖くない
むしろ気持ちいいから好き
と言う夫
その夫でも25階からゴンドラでぶら下がると
「ケツがむずむずする~」
らしい
そこにいると考えるだけの私もむずむずする
○○と煙は高いところが好きとか言う
夫は煙ではない
てことは…
○○…?
いえ!
そんなことはありません!
夫はマヌケですが○○では決してありません
ただ野生児のようなだけです!
私は自分のことを単純でマヌケだと思っているけれど
夫と一緒にいると
単純っていうのはこういうことか
とつくづく思います
マヌケ度は似たりよったりですが
夫は人に期待しません
人に何かを求めません
理解も求めません
深くは考えません
感じたことを感じるままに
喜怒哀楽は
楽が一番大きく哀は一番小さく
怒も小さく喜は中くらい
本当にそのまんまの人です
そんな夫が太陽のように見えます
ゴンドラから落ちないでおくれ、と願う雨の水曜日
2005年7月6日(水)AM:11:48に上げた記事です。
なんていうか、夫はすげえなぁと心から思うのです。
確かに夫はなーんにも考えてないし、野生児だし、格闘家だけど
でかい人間だなぁと思うのです。格闘家として小柄なほうですが。
人からの評価を必要としない、自分自身のための自信を持った人です。
サバイバルにも強いし。何やっても生きていける。
夫を見ていると、夫のようになりたい、と強く強く思うのです。
今も夫が大好きです。
ゲットだぜ!(古)
やったーーーーーーっ!!!
やった、やった、やったぁ~~!
なんと夫に
個人スポンサーがつきました!
…はーすっごい嬉しい。
企業スポンサーは乗る舞台(リング)さえあれば広告的要素を担うことにより
比較的簡単につくけど、スポンサードしてくれる額によって縛り付けも厳しい
しかもそう多額ではないし
その点個人スポンサーは、いわばタニマチ的要素が強く
本人を、もしくは格闘技を好きでいてくれることが多い
下世話だけど額だって企業に負けず劣らずの場合だってある
格闘家に求められているのは「清貧」というやつらしい
親を捨て、恋人を捨て、何もかもを捨て
闘うためだけに、勝つためだけに練習をつむ…
何それっ!!バッカじゃないの!?
と主婦の私は思う
格闘技の練習のみに全てを注ぎこんで
エンターテインメントが出来るか!
ガチだろうがなんだろうが人にお金払ってもらって
見てもらうんだ
ショーはショーだ
One for the money
Two for the show
こういうこと言うとガチマニアから余計嫌われます
でも、赤貧イモをあらうがごとし生活を強いないであげて!
格闘家だって毎日を自分が楽しんで過ごすことによって
スリリングでトリッキーでソリッドで
それでいて胸にくる試合が出来るんです
まあ、黙ってたって
赤貧芋を洗うが如し生活の人ばっかりですけどね
そんな生活もそろそろ卒業の気配が農耕否濃厚です
今年中にトレーニングジムを用意していただけるそうな…
まさに超常現象!…ありがたや、ありがたや(←うかれ中)
2005年7月5日(日)PM:4:30に上げた記事です。
おかげさまで、継続しています。
小学生男子その2
ない頭で一生懸命考えごとをしていた土曜日
雨が降り出した
外では小学生男子がわーわーぎゃーぎゃー遊んでる
その向こうの道路では選挙カーが目白押しだった
その時 私の耳に入ってきた言葉…
「やべぇ!雨降ってきたよ!作戦やろうぜ!」
作戦?
何それ!知りたい!
どんな作戦で何に対してなのか
「行くぞ!作戦1だぞ!わかってんだろ!」
もう作戦会議済みか 用紙周到だな
「わかってるよ!」
ふむふむ準備も万端のようだ
で?
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」
「う~~~ ジョイナー!!」×∞
「う~~~ ジョイナー!!」
段々声が小さくなって彼らは行ってしまった
どんな作戦だったんだろう…
すごく知りたかった…
覗いていればよかった…
2005年7月4日(月)PM:0:20に上げた記事です。
ジョイナー作戦の謎はこのまま解けることなく1年近く経ちました。
何日か後で、買い物に出かけたとき、再度ジョイナー作戦を決行している声を聞きましたが
やっぱり作戦そのものは見ることは出来ませんでした。
残念。
知りたい 聞きたい 話したい
「無知の知」という言葉を知ったのはいつだったろう? おそらく高校の授業で倫理社会の時間に聞いたのが初めてだったと思う。哲学者ソクラテスにまつわるエピソードにある言葉。初めて聞いたときから、かれこれ何年もの間、この言葉は私の思考の大きなテーマとなっている。
ソクラテスの友達の一人が神殿に行き「ソクラテスより賢い男がいるか」と聞いたのに対し巫女が「ソクラテスより偉い男は誰もいない」という神託を告げる。ソクラテスは、神託の意味を理解しようと有名な政治家や軍人、詩人などを訪ね彼らと問答をする。実際に自分より賢い人を探し、事実をもって神託を反駁しようとした。ところが、これらの人びとは自分では智恵があると思っていながら、もっとも大切なことについて何も知らないということを暴露する。彼らは自分が属するものは知っているが、最も大切なこと、すなわち『自分の心』については何も知らないということがわかった。彼らは、それを知らないにもかかわらず、自分では知っているつもりになっている。しかしソクラテスは「自分がそのもっとも大切なことを知らない」ということを知っている、という点で、ソクラテスの方がより賢いという神託が下ったのであろう。
最終的に彼は死刑になるのだが、何故「知らないということを知っている」そんなことを言ってのけられる人間が死刑になどなるのか、自分が知らないということを知り、あくまでその気持ちに忠実に行動した結果なのか。
目先にあるものに心を奪われ、それぞれの正義という大義名分を押し付けていても平和や理解は訪れない。人に背を向け、人を理解しようとしないことで自分を維持しつづければ、いつか本当に人が全くわからなくなってしまうと思う。知らないということを知っていれば、それは知る楽しみにつながる。
一般的に知られる社会の常識が、何の上に建っているのか。それは見栄や、損得、簡略化され楽をするためだけに出来たルールではないか、それを知りたい。自分にとって都合の良いことが、目の前の立つ人の都合が良いこととイコールではないのだ。
「外には悪い人がいるから、遅くまで遊んではいけません」何故悪いひとは遅くまで外にいることを許されるのか。理想論かもしれないけれど、子供に何故?と問われたとき私はどう答えようかいつも考えている。
2005年7月4日(月)PM:0:08
ソクラテスが最も好きな哲学者というわけではないけれど、
無邪気ですらあったと言われるソクラテスに結構強い興味を持っています。
哲学者は変人、心理学者は病んだ人、と言われます。
その中で自分なりの真実を求める続ける姿勢は美しく感じます。
ストイックさや勤勉さという、いわゆる善とされやすい行いではなく
知りたいという己の欲求を、我を通すことに美々しさを感じるのです。
アインシュタインに惹かれるのも同じことと理解しています。
他者を損なうことなく、我を通す。
孤独であることが苦痛でないほどの欲求を持ちたかったのかもしれません。
でも相対性理論は理解できていません。えへ。
弱き心と母なるもの
chargeup2003さんのブログの記事「アスペルガー的親子関係」にトラックバックさせていただこうと思ったら失敗しました。主旨がずれているかもしれませんが、許してください。初めてトラックバックなるものにチャレンジ、ドキがムネムネだったのに出来なかった。結構しつこいな私も。
その記事を読み、何故かめちゃくちゃ動揺した私は、なぜ動揺したのか考えてみた。多分、自分が心の中で危惧していたことの一つなのであろう、親子の関わり方の話だったのと、中でも恐れている、親などというのは変えのきく便利な存在であったらどうしよう、という思いから思考が発展したのだと思う。よくよく全文を読めば、大事な存在であることに変わりはないとわかるだろうに。
一つの形に必ずしもくくれるものではないと思ってはいるが、私の中にどこか親子、とくに母子関係を神聖化してしまうところがあるのだろう。私が母を思春期に亡くしているせいもあり、一般的イメージの母親的存在を乞う気持ちが強いこともあると思う。そういう存在でなければ…と気負っているため、子供にもそういう気持ちを持って欲しいと思っているのかもしれない。きっと誰かの「特別」な存在であることを求める気持ちも強いのだろうと思う。
子供を産んだとき、私が驚いたのは、ものすごい独占欲のような気持ちを持ったことだ。とくに不思議と夫の身内に対しては凶暴とさえ言えるほどの敵対心を持った。産んだ子に触れられるのも、「可愛い~」と言われるのも、名前を呼び捨てにされることすらイヤでイヤでたまらなかった。義父に、子供がまだ3ヶ月過ぎたか過ぎないかのころ言われた「今のうちに連れて行って自分が育てれば、自分が一番になる、誰でもいいんだよな」という言葉に私はあやうく縁を切ろうかと思ったほど腹が立って腹が立って仕方がなかった。もしその通りだったら、どうしよう、と恐れていたのだろう。多分自分でもそういう疑問をもっていたのだと思う。育てさえすれば、世話さえすれば一番大事に思ってもらえる、じゃあ子を産む人間は一体何なのだ、と思ったのだろう。それが怖いあまり神聖化したのだと思う。
それもこれもみんな10ヶ月10日の妊娠期間が辛かったこと、辛さを乗り越えるには母性が足りないのかもしれないと思い悩んだこと、毎日毎日お腹の中にもう一人いることについて考えたこと、それが愛着というのか愛情というのかわからないけれど、自分だけが守ることのできる大事なもの、という気持ちを育てたのだろうと思う。妊娠期間や出産、子育ての辛さを何か得ることで乗り切ろうと思っていたのかな。それがなければ子供を生むことすら出来ないのか、と自分が何だか情けなく感じるけれど。
母性は多少なりとも育ったと思うが、所有欲にも似た独占欲も育った。それが今現在の私の気持ちの土台なのかな、と思った。誰でもいいわけない、私の子なんだ、私が一番この子を大切に思っているんだ、私だけがこの子を産むために苦労も痛い思いもしたんだ、そういう気持ちが少しづつ母子のつながりを神聖化していったのだろう。そう思わなければ崩れそうなもろい自信しか持てない私の防衛策だったと思う。しかし、いつしかそれは傲慢な押し付けへと変化しかねないと思い、怖くなったのだろう。
子供が育ってきて、段々と自己主張するようになってきた現在、だんだんと考えることも増えてきた。いつ、こんなにしてあげてるのに、という押し付けに変わるかと思うと怖くてたまらない。本能を忘れて進化したような私には子供を育てるのがとても難しく感じる。何でもかんでも理屈で考えてしまい、ただ泣く赤ん坊に「どうして泣くの?」と自分まで泣く始末。本能の強い夫などは「泣きたいからじゃない?」などと大らかなのに。
それくらいの覚悟もなく子供を産むな、と言う声も良く聞く。でも、いつになったらどんな覚悟をしたら、どんな経験を積んだら親になる資格がもらえるのか。私にはわからなかった。まあ突き詰めて行ったら何故子供を産みたいのか、ということになるのかな。いつかそこも考えてみたい。ただのエゴじゃないといいな、と思う。
きっと依存心が強い私は子供に愛を乞うているのだろう。それがなければ愛を注げない自分を直視したくないんだと思う。よく親子の愛は無償の愛、と聞くけど、それを抱くことが可能なのかわからない。だって、一生懸命、心をくだいて理解をしようと愛情を注いでいる相手がまったく自分には懐かず、お母さん、と呼んでもくれず、何もしてくれない相手をお母さんと呼んで懐いたら、その子を大事に思いつづけることって出来るのかな、と思ってしまう。もしも自分だけではなく、全てのひとにそうだったなら、それが何故なのか理解しようと必死になるだろうけれど。その必死さすら子供に頼ってしまいそうだ。
人は色々な形のたくさんの可能性をもっている。だから知りたい。色んなことを。娘が仮に私をそこにある木のようなものと思ったとしても、出来るものならば、もてるかぎりの愛情を注げるようになりたい。だから様々な親子の関係を知ることが出来るのは、今現在子育て真っ最中の私にとって大きな幸運だと思う。そこから自分の中の「常識」的思考にある傲慢さに気づくことができる。気づいたところから、また改めて自分を見つめなおせる。そういうことを重ねていけば、そして少しでも成長できたら、いつかは自分のことを情けなく思わないで自信を持てるのかな。
…やっぱりいまいちとりとめないな。でも少しづつでもいいから考え続けよう。
2005年7月3日(日)PM:7:21に上げた記事です。
子供を育てていくうえでの大きな気付きとなったchargeupさんの記事「アスペルガー的親子関係」
感情一つでも「…に違いない」という思い込みをしないように。
非常に大きな、中枢部を占める育児指針の一つとなっています。
本当に感謝しています。
この記事に出会ったのち、いくつか親子について書いていますが
ここから発生した思想が色濃く出ています。
むかー!
とうとうブログにまでバカにされたとです…。
投稿したのに反映されません…。
ちょっちぷんです…。
しかしムカつくなぁ。こういうときは。
今カテゴリを分けるのを忘れていたのに気づいて
修正しようとしたら…
修正の権限がありません、と修正を拒否られました…。
私に権限がないとはこれいかに。
誰がこのわけのわからない記事たちのカテゴリを分けてくれるんですか。
あまりの拒否りように、動揺してあちこちを
ぽちっとなしてみたとです…。
履歴も消えているとです…。
普段は色々ぽちっとなしないけど
でもしたいときに出来ないと腹が立つとです…。
2005年7月1日(木)AM:10:31に上げた記事です。
写さなくても良さそうな記事ですが、ま、一応。
1年経っても同じことが起きているとです。
ふと気付けば、お気に入りの他社ブログが消えています。
めんどくせぇなー!