☆空飛ぶ もとちくれった 出張所☆ -17ページ目

ああ…

今日は最悪の一日でした。

いわれの無いことで一日中、責められ、今の自分が幸福だからというだけで反論され

日曜日の一日を外で過ごし、お昼も食べられず、ずーっとずーっと

いたくもない人たちと過ごしました。

そしてやっと開放され、家で夫と娘と食事をし

少しのんびりしようと思ったら

いったんあげたものを返せ、とか言われました。

凄い言われようで。

なんなんでしょうか。

一体私は何か悪いことでもしたのでしょうか。

なんだってこんなにヒドい一日だったのでしょう。

責められつづけて、ぐったりと、そして気持ちがネジくれた一日の締めにふさわしい終わりです。

一つだけ言いたい。

今日あったことは、どちらも私にはまったく関係ないことだ。

ふざけるな。




2005年11月6日(日)PM:10:49に上げた記事です。

は~、読み返したらこの日の怒りを思い出してしまいました。
すげーやな日だったな~…。まったくもって不愉快ここに極まれり。
でもこんなことがあった後、ブログに書いたら、やさしく慰めてもらえて本当にありがたいです。

みなさん、あの時のやさしい言葉の数々、本当にどうもありがとう。
あの時の言葉の数々が、目をふさごうとする自分の手をどけてくれました。感謝しています。

出来た!出来た~!

先日から、ずっと気になっていたこと。
他社ブログのお気に入り。
説明書きを流し見していたせいか、どうやって登録するのか、全然わからなかったのと
基本的に私はブラウザのお気に入りを使うので、ブログのお気に入りは出してなかったのだけれど…。

昨日、色々調べてみたら結構簡単にやり方がわかった。
最初からちゃんと調べなさい。…はい、すみません(笑)
ということでお気に入り、記念に出してみました~!!
ばんざーい!
しばらくして使わなかったら、またしまっちゃうかもしれないけど
多分、これを見て、突っ込みたくなる人がいると思うので一応出しておきます。

さて、次は書庫整理かなぁ~。
心、と毎日のこと、っていう書庫が異常に記事数が多いので
この2つを重点的にわけたいような。
悩みどころとしては、その時しか使えないような名前の書庫にしてしまいそう
というのと、いまひとつまとまりがない、ということ。
う~ん…。まあ、徐々に分けていけたらいいな、と思っております。

私の記事の書き方って中身がめちゃくちゃで自己完結しているのはともかく
一日に何個もあげたり、一日飛んだり、とこれもめちゃくちゃなので
せっかく書いた記事、読む読まないは別として書いたことくらいは、わかるようにしておこうか、と(笑)

このこと考えてて、ふと気が付いたことが。
文章にも良く書いていますが、思考を誰かと共有したくないとか
世間に訴えたいと思わない、とか書いていて、確かにそれは、変わりないんだけれど…。
ものによっては、かなり限定されているけれど
読んでみて欲しいなぁ…と思うこともあるのだ、と気付きました。

本当に少ないんだけれど、ぜひ一考に加えて、思ったこと、感じたことを聞かせて欲しい。
そう思う記事を厳選し、そうと意識して書く。
そうすること、と他の記事との差異を出すために昨日の書庫を作りました。

「コメント人気無シリーズ」
という名の通り、このシリーズ人気ないんです。
前からいくつか書いている、今184つの記事がある中で
両手で充分足りる程度だけれど、ここに加わる記事もあります。
後々、もう一度読み返し、自分でもこの書庫に入れていいかどうか
再検討し、新しく書く記事についても、これに入れるような文章か、よく考えながら書きたいな、と思っとります。
よろしくです。


なんか、ちょっと急いで書いたからいつもにもまして酷い文章になってしまった…。
後で書き直しちゃうかも。






2005年11月5日(土)PM:0:10に上げた記事です。

使わないものを出しておくのが非常に苦手です。
部屋もなんでもかんでもしまってしまいます。
娘が、起きて食事を終えて、一息つくとすべてのオモチャを出す(主に出すだけ)のですが
持って遊んでいるもの以外を、ちゃかちゃかと片付けてしまいます。
で、キレられます。
娘的にはオモチャを出して、とっ散らかしておくことに意義があるようで…(笑)

やっとこさっとこ ~シリーズお知らせ~

はい、これも語感が気に入っています。
「やっとこさっとこ」
妙に昭和の匂いが漂う表現です。

例文)ええ、やっとこさっとこ新しい書庫が出来ました。

と、言うお知らせです。芋シリーズもこちらに入れるかどうか迷うところです。
多分、後々ここに移すことになるかと思います。
このシリーズは私の備忘録でもあり、かなりコメントしづらいと評判なので
「読んで!」とは言えないのですが、正直言って
このシリーズなくしてブログは続きません(笑)
はっきり言って(まだ気に入っている)目玉商品です。

完全にニーズ無視。上等です(笑)ちょっちぷんらしいです。
と、いうことで、新しい書庫ちゃん、その名も


「コメント人気皆無シリーズ」


に決定。どうだ。参ったか。
タイムボカンシリーズ、を意識してみました。
どこが(笑)
しかーし!反論受け付けず!!夜露詩苦!!

…ごめんなさい、どうぞよろしくお願い申し上げますです、はい。
しかも、こんなエバり(注・威張るの意)くさった記事書いてなんですが
書庫名が2行になってました。
とっても気に入りません。しくしく。
「皆」の字を削りましょうか。
それしかないな。うん。
それでは改めてご紹介いたします。


「コメント人気無シリーズ」


これでタイムボカンシリーズから更に遠くなりましたが、1行で収まるはず!
以後お見知りおきを!




2005年11月4日(金)PM:2:32に上げた記事です。

コメントでりヴぁぷんに「半角カナにしたら全部入るよ」と教えてもらったけれど
直すのをわすれたまま今に至ります。
まあ、皆無ではないものもあるので、このまま行こうかなと思っております。
りヴぁぷん、ありがとうね!

犬と魚

あちこちのブログへ遊びに行って、近い話題が出るたびにコメントしてしまうもの。
それがブルドッグソースとはんぺん。

私はこの二つが大好きなのです。
小さいころ、ブルドッグソースをご飯にかけて食べるのが夢でした。
母は調味料などに、こだわりがあったようで
手作りのものや、それに近いものを使っていたようです。覚えてないけど。

卵かけご飯や、ねこまんまは食の細かった私は禁じられていたので
めちゃくちゃ憧れていました。
そしてそれは今も変わらず続いているわけです。

はんぺんは禁じられていませんでしたが、あまりレパートリーに組み込まれることがなく
おでんかフライでしか出会っていないはずなのですが
おでんのときは、はんぺんがいくつ食べられるか、かなり深刻な問題だったと記憶しています(笑)
フライは衣がすきではなかったですが、大好きなはんぺんに
大好きなブルドッグソースをかけられるので、かなり大好きなメニューでした。

はんぺんも、今も大好きで、おでんにもモチロン、バターで焼いたもの
お味噌汁の具、親子丼の具、サラダの具、フライ、と
しょっちゅうメニューに組み込まれています。

とにかく大好きなわけです。とっても。
…それがですね、夫の実家に行った時のことなのですが


ブルドッグソースが売ってないのです。


更に…


はんぺんも


ない。


がーん!!大ショックです。
何故なのぉ~~~!?と思いましたが、地域性なのでしょうね。
そこから調査は始まりました。
いったいどこの地方には、あって、どこにはないのか。
日本地図を東京あたりでチョップして割ると(これもっと良い表現はないのだろうか…)
右側の地域に住む友人や知り合いに聞いたところ
北海道、青森、新潟、右か微妙ですが長野、福島、それに加え関東の県は
両方ある、と聞きました。

てことは左側なのか。
沖縄、広島、大阪、神戸、奈良、滋賀、鹿児島は両方ともない、もしくは知らない
売っているとしてもかなりマイナーなため見つけるのが困難、という感じです。
がーん!夫は西日本出身です!!大変!
いつかそちらに住むことになったら、私のブルドッグソースとはんぺんは
どこで求めればいいのでしょうか。
その二つがないところに住むなんて、寂しいです。
いっそ知らなければ良かった…!(うそです)

好きなものが、全国区である、と思っていたのがマヌケと言えばマヌケですが
大好きゆえに気になってたまらない情報になりました。
みなさんの住むところでは、ブルドッグソースはありますか?
そしてはんぺんはマイナーでしょうか?
情報お待ちしております。






2005年11月4日(金)AM:11:40に上げた記事です。

どうも、HPM&BSMちょっちぷんです。娘がガジラ(ガッちゃん)に似ているのが悩みです。
めちゃくちゃお気に入りのタイトルです。
何が大ショックかって、ブルドッソースだと思っていたら、正しくはブルドッソースだったと言う事です。
以前の職場では関わりがないとは言えないのに。深い関わりは部署的にないのですが。
最近はんぺん食べていません。
ここ数ヶ月で1番好きなはんぺんの食べ方は、マヨネーズを油&味付けかわりにフライパンで加熱し
そこで焼いて、七味をかけて三つ葉と一緒にいただくというものです。うまいんだ、これが。
私は下戸なのですが、お酒のつまみのような食べ物が好きです。エイヒレとかも好きラブラブ
(ちょっと絵文字使ってみた・笑)

テラ・インコグニタに出会う ~シリーズ2~

シリーズに組み込ませることにしましたが、
これは先日、テラ・インコグニタたちと出会ったときに感じたことがベースになっています。
テラ・インコグニタとはコメント欄で、(私とchargeupさんで盛り上がっています)
書いたように「未知の大地」「未開の地」という意味です。
比喩として使われていたこと、語感のよさが気に入って覚えているのですが、
これをタイトルにつけたのは、その言葉を知ったときの表現が
「人はみなテラ・インコグニタである」というもので、
今も初めての人に出会うときに、いつも思い出すため、そうしました。

初めて足を踏み入れた場所で、今まで育つ過程で培ったことが役に立つことも
あると思いますが、熱帯雨林で育った人が北極へ行くこともある。
その場所が似ているところかどうかは、わかりません。
だからこそ、その著者は「人はみなテラ・インコグニタである」と表したのでしょう。
素敵な表現だとおもいませんか?私はとっても気にいっているのです。

私はブログにおいても実生活においても、啓蒙的なことをするのは好きではありません。
啓蒙的、というか世間に訴え、意識の改革を促すような形が好きではない、と言った方がいいでしょうか。
しつこいようですが、このことについては考えとして、今は発展途上ではあるのですが、
今のところは、自分以外のこと、例えば政治や、病気、人の在り方、人との関わり方、
趣味嗜好、世の中で起こる事件、そういうものごとに対し
自分なりの見識、思考は持っているものの、それを他者に呼びかけ、支持を得たり、
議論や知識で正しい形を模索する、そういうのは好きではないのです。

でも、マジョリティーのコミュニケーションとは「違う」ということが
受け入れを阻み、マジョリティーとはかくあるべし、世界とはかくあるべしと
押さえつけられるだけの社会で生きねばならない形のコミュニケーションを持つ人がいるのは
マジョリティーとしても、そこで生きるものとしても、誠実なのか
今一度、誰かとではなく自分自身の心に棲む幼い自分と対話することが大事だなぁと
改めて、思ったので、このシリーズに組み込んだのです。

私は世の中の大多数に含まれる人間ですし、それほど生き難いと感じてはいません。
それでも、抽象的ですが心の中で砂を噛むような、口の中が血でいっぱいになるような気持ちに
なったことは過去に幾度もあります。

先日お会いした方たちは、自分と違うもの、違う見方、違う感覚を持っている方たちですが
あえて言うなら、共にあることは十分できる「違い」です。
それは弱者を守るとか、障害にたいする大仰な努力とかそういうものですらなく
自分自身の中に棲んでいる幼い自分と向き合い、尊重することとは何なのか、
他者を突き飛ばすことなく出来ることがなんなのかを誰かとではなく
自分と向き合い思考することが出来たら、
自分以外の何かを犠牲にすることなく共にあることが出来ると思いました。

保護者の方とも色々お話したのですが、みなさんが仰っていたこと
不安や日々の辛さ、様々な心を織り成す出来事、それらを作っているのは
やはり「世間とは、人とは、社会とはかくあるべし」的
大多数の人の生きる社会に潜む、「絶対的唯一の真理」にみせかけた
決まりごとのようでした。

そういうことを、世間に訴え、声を上げることはとても大切だと思います。
しかしそれは実際に経験し、苦しむからこそリアルに、そして重く心に響くのかな、とも思います。
私の個人的見解なので、それを他者に「どう思いますか?」と聞くこともしませんが
私は受け取る側、受信する側が出来ることがあるとしたら、それは
自分自身の中にある、世間の目や一般常識を一度はずし、自分の中にある
持って生まれた、赤ん坊のままの感覚、要求と
真剣に誠実に向き合うことなのではないかな、と思っています。

それを知ること、意識することで、いかに社会性というものが大多数に則していて
それが効率の良い、秩序立ったものであることも、それらに則って生きることだけが
正しいこと、善きことではない、のだという認識に繋がるのではないか、と思っています。

それを認識し、「個」であることの重要性が一人一人高まることによって
必ず形はもっと良いものへを変化をし始めるだろうと思うのです。
変化の中には停滞し、再度同じ時期も含まれるでしょう。
そして「そういうことを守れない、他者を侵す行為をする人がいるから定義や秩序が必要」と
言う声もあるでしょう。それは当然だろうし、大切だとも思っています。
けれど、難しいから、守らない人がいるから、だから定義を、
というだけでは、結局マジョリティーであるかないか、に終始してしまうような気がするのです。

出来る出来ない以前に、私は「みんなで出来ること」より「まずは自分自身と向き合う」ことをしたい。
そのことによって、大多数が「足並みを揃える」ことを目的とせずに
変わっていくように思うのです。
人に「してあげる」ではなく、自分に必要だから「する」
それが、きちんと心に根付く大きな理由に思えるのです。

親としても、誰かの子供として生まれた自分としても、生きる権利、人としての権利とは何か
それは他者を侵さないこと、そして侵さないことの線引きは、まず「個人」で確立し
「個人」が則って生きる、それが出来てはじめて、外へ向かって声を上げたい。
そういうことは短期間でゴールへは行き着きませんよね。
きっと死ぬまでずっと「個」で確立させる作業に終始してしまうくらい
長い間のことだと思います。
だからこそ、他者を侵すことがなくなっていくのではないかと思っているのです。



今日書いた文章は、常識、モラル、人権、等の言葉に置き換えられる箇所がいくつもありますが
自分が今まで得た情報の中で、それらの言葉は届かなかった。
だからあえて使わず違った形で表現したいと思って書きました。
そして今日のシリーズ2から「議論・批判」をテーマにするつもりのシリーズ3へ続く…予定(笑)
変更の可能性は低くはないですが。




2005年11月4日(金)AM:11:11に上げた記事です。

うーん。この記事シリーズものだけど、書庫を変えてあるのです。うーん。それはいかがなものか。
でも、書いた性質としてこの書庫の分け方がいいと思うんだけど。うーん。ま、いいか。

さて、読まれても読まれなくても良い、というスタンスではあるけれど、読まれることを想定して書きます。
そこで生まれる「読んで欲しい」のか、という自己疑問。実はよくわかりません。
ないとは思いませんが、強くはありません。ならばなぜここで読まれることを想定して書くのか。
私はアクセスアップということや訪問者の数に重きをおいていないのですが
読んでほしくないわけではありません。いらしていただくことは、とてもありがたいです。
誰に読まれ、どんな感想を持ち、意図とずれた解釈であっても一向にかまいません。
意図とずれた解釈をコメントで突きつけられたとしたら、いえこういう意味です。とは言いますが。
いや、こういう風にしか読めません、と言われれば、それはそれで仕方ないというか。
面倒な投影による他者攻撃に転じなければ別段かまいません。批判も同じくです。
では何故なのか、と考えると、やっぱり所信表明に近いのかな、と思います。
私はこう考えている、という現時点での状態を、別な視点からも確認できるようにしておくことで
いたずらに自分を正当化しないように、という意思の弱さゆえの行為かもしれません。
そういうことは自分ひとりで心の中でできればいいのでしょうが、無意識に抑圧する力が備わっているので
知らないうちに自己保身で、そういうことをしそうなのは結構な恐怖です。
説教族を嫌悪する気持ちは、そっくりそのまま自分にも当てはまる行動がないとは言えない。
そのあたりをできるだけ意思的にコントロールしたいのです。
私は青臭い言い方、というか考え方ですが、公平でありたいし誠実でありたい。自分へも、他者へも。
それは、それが美しいとか正しいとかいうことでなく、そうすることで自分自身が納得出来るからです。

で、1番この記事への追記で言いたいことは「また何か書くとか言って尻きれトンボですよ」ということです。
すみません…(笑)

テラ・インコグニタ

昨日のことをちょっと書きます。
シチュエーションとか、そこに至る理由などは色々まずいことがありそうなので
割愛いたしますが、昨日はちょっと用があり、発達障害のある方たちとお会いしました。

成人の方2名と小学生7名に就学前の子が2名。
それに加え我々案件持ち組が5名と、彼らの付き添いさんが3名に
専門の心理士、医者が1名ずつの結構な大所帯となりました。

お会いする前にメールや電話、面談等でドクターと心理士さんと色々お話させてもらいましたが
いくつかの注意点を心に留めてくださいとのことと、発達障害について、いくつかの知識をいただきました。

突発的な素早い動きや、会話に夢中になり声のトーンが上がること、じっと見つめることなどは
出来るだけ避けてください。
彼らに何かを無理やりやらせないでください。
彼らのコミュニケーションを尊重してください。
大きくはこんなかんじでしょうか。

自閉症の方、アスペルガー症候群の方、学習障害の方、ウィリアムズ症候群の方、
知的障害のある方、ない方、軽度の方も重度の方も、「傾向」のある方も、おられました。
お子さんを含めて、かなり落ち着いて見えましたが、明らかに慣れぬ人がいることで
落ち着かず、不安そうな子もいました。

まずは座りたい方は座り、遊びたい子は遊び、自由にしてもらい
来てくれた方たちに、わかりやすい形で進行予定を知ってもらうために
ホワイトボードを使って、我々のみでしている形での簡単な打ち合わせをその場でしました。
ここへ集まってもらった主旨、自分達の属する形、知りたいこと、
出来たら加わって欲しい会話…などを箇条書き、フローチャート、等の形で書き
良かったら見てください、というかんじで締めました。

成人の方や小学生の高学年、中学年の子供たちは、じっと見つめる方もいれば
そっと様子を伺う子もいたり、それぞれに注意を向けてくれましたが
小学校の低学年の子供や就学前の子供たちは、さすがに注意は向かなかったようです。

もの珍しそうに次々と矢継ぎ早に、色々なことを質問する子もいました。
なるべく丁寧に、簡潔に、率直に答えを出すように心がけましたが
なかなか難しかったです。

「なぜ今日はみんなが集まるの?」
「あなたたちは誰?」

簡単な質問なのですが、大人の政治的な理由など必要としない子供への答えはいささか難しく、
ちょっと考えながら話していると、そばで微笑みながら聞いていたクライアントの女性に
「なんで笑っているの?」と聞いています。

クライアントの女性は、とても困っていました。
多分意味などないからでしょうね。
私たちは普段生活している際に、表情や態度などでセルフプロデュースしています。
特に笑うべきところでなくとも、微笑んでいる人もいますし
それほど考え込まずとも…というところで眉間にしわを寄せ難しい顔をしている人もいます。

自然に出たものでも、セルフプロデュースのためのものでも説明するのはとても難しいです。
クライアントの女性が言葉につまり、もごもごしていると、ふいに興味が移ったのか私に
「ねえ銀歯ある?」と聞いてきます。
1本だけあるよ、と答えたら見せて、と言われます。
見せようとすると「僕もあるよ」と見せてくれたり。
結局質問の答えはせずじまいで、質問された女性は明らかにほっとしていました。

言葉で言い表すと、ごく(あえてこう書きますが)「普通」のお子さんです。
喜怒哀楽のふり幅はそれぞれですが、快、不快は、持って生まれたものの差はあまり感じませんでした。
これらを成長の過程で追うことの出来ない部分を持っているがゆえの生き難さなのかな、と思いました。
繰り返しますが、快、不快の持って生まれたものの差異はほとんど感じません。
充分理解できる範囲内のものです。
ならば後天的に加えられたものを持つ私と、加えられずに手付かずのものを持っている彼らが、
共にあることは十分可能なはずだと改めて思いました。

知的障害のある方とは絵本を一緒に読んだり、ボールを使って遊んだりしました。
ウィリアムズ症候群の方は、まだ幼い、就学前の子でした。
しかし、予備知識として知った音楽的資質が高い、という特徴は如実で
ちょっと小難しいリズムでドラムを叩くのを見せると、すぐさま同じことが出来ます。
まだ幼いので動きはたどたどしいものの、同じ音を出す、それは簡単に出来るようでした。
特徴的な顔立ちで、巻き毛の目が大きい、表情豊かな子でした。
妖精、と表する人がいるのも頷けます。ニコニコくるくる動く姿がとても可愛いです。
今日、我々と会えて嬉しいという気持ちの歌、とか、晴れている日、という曲を即興で作り、歌ってくれました。

曲自体の完成度はなかなか高く、Aメロ、Bメロ、サビ、という形のわかりやすい曲、
転調ありの訴えかける曲、商業的に使える形には充分なりえます。
これは本当に驚きました。
 ※普段から作曲はしているそうで、いくつか聞いたことのあるメロディーを再利用している
  と親御さんがおっしゃっていました。

ギターに触れたことはないそうですが、基本的な音の出し方、いくつかのコードを教えてあげると
夢中になって弾いていましたが、とても初めてとは思えませんでした。
 ※指先を動かす、ということに問題はないようです
しかし空間認知力が低いという、特徴なのか、よく色々なものにぶつかっていました。
 ※テーブルをよけて曲がる際に必ず角に腰をぶつけていました。
目を合わせてくる(ように感じる)のですが、実際に目を合わせてみると
実はこちらを見ていないような感じもしました。

成人のアスペルガーの方は男性で、知的な雰囲気のもの静かな方でした。
この方は前もっていくつか質問したいこと、疑問に思うこと、ご自分が抱える困難、
それに対し求めたいこと、などを文書にしてきてくれたのでとても参考になりました。

そしてそのほとんどは、私が仲良くしてもらっているchargeupさんの感じていることと、驚くほど似ていました。
直接はあまりお話しませんでしたが、
我々のしている(しようとしていることは)興味深い、とおっしゃっていました。

日本で暮らすことの、あまりの困難さに今はほとんど海外をベースに生活しているそうですが
そちらは比較的暮らしやすいとおっしゃっていました。
ただ、やはり困難は困難であるとも言っていました。
思っていたよりは楽ではないそうです。偏見や思い込みに苦しむことも多いそうです。
それでも、「個」というものに対する、根付いた感覚は自分には合っているし
日本ではそれが望めないであろうと思っている、とも言っていました。
これには我々も同じ思いでしたので、このことを少しお話しました。

今回、こういう場を持っていただいた理由は詳しくは書きませんが
「障害」ということに対する何かではなく、「違い」についての心理的側面の
マーケティングの一環としてのものでした。

発達障害にはたくさんの名前があり、少しずつ違った形をしています。
専門家ではないですしにわか知識でもありますので、ここで発達障害についても
詳しく述べることは出来ませんが、異文化コミュニケーションが出来るのですから
異型コミュニケーションだって出来るはずだ、と改めて強く思いました。

今日のことはあまり感じたことを挟まず、なるべく事実だけを書くようにしたのですが
普段、日々の出来事を書いたり、日記を書いたり、事実を記述することに
慣れていないせいか、とりとめなくなってしまいました。
本当はテラ・インコグニタではなく、青い鳥はそこにいた、という非常に抽象的な比喩で終わります。

※一度非公開で上げて、見てみたら…なんじゃこりゃーー!!なっげえぇ~!!びっくりした。




2005年11月2日(水)PM:0:28に上げた記事です。

この後、個別にこの時会った方と連絡を取りました。
中継役としてですが、メールや手紙、電話、直接お会いしたりして様々な話が出来ました。
この経験は私の思考法に新たな、そして大いなる気付きと糧を与えてくれました。
生きている間に、この道を通ることが出来て本当に良かったと心からおもいます。
テラ・インコグニタ、本当に魅力的な場所でした。

一つ、明言しておきたいのは、私は特にボランティアや善としての行為として、この障害を持つ人たちと
関わりたい、または関わらねばならないとは思っているわけではないということです。
人としてかくあるべし、ということではなく、ただ、魅力ある人と出会ったことで
この障害への知識も得ることが出来た、ということです。
そして、その知識を活かせる自我(意識的自己)を育てたいと思っているだけです。
知らねばならぬ、ではなく出会いによって自己を育てる、互いにとって負担が少なく
自然に尊重し合える関係性は、楽しむことが1番なのかな、と思っています。
もちろん、最大公約数的知識や理解もあればなお良いと思いますが、義務感や
守るもの的な感覚で、それを駆使しようとするのは互いにとって本当に有益なのだろうか、と思うのです。

…がーん

一生懸命書いた記事が消えた…。
もう書けない…。書く気力がない…。
一気にやる気がそがれた。

は~…。

違うこと書こう。
久しぶりに夫のこと。
うちの夫は、私が仲良しの猫と似ている。なんか、同類の生き物ってかんじ。
そしてそれは昨日書いた「猪木」にも通じている。
生きることを楽しむのが上手。
ルールなんて大嫌い!

そんな夫は、道の真中を歩きたがる。
ベビーカーを押していても車が来なけりゃいいじゃん、とか言って。
良くねーよっ!
車来たら、っぷっぷーーー!!アブねえなっ!!ばかやろー!とか言われるじゃん!
キミ一人ならいいよ。キミは自分の動きに絶対の自信を持ってる。
確かにキミ一人なら一般人が事故に遭うより軽くて済むだろうし、確率もものすごい低いだろうね。
でもさ、ベビーカー押してるんだぜ、しかもそれ空じゃないよ?
我々の子供が乗ってるのよ?危ないべ?どう考えても。

そう言いつつ、ぐいぐいと端に押し込む私。
今では夫はすっかりその道が嫌いに。
そしてなるべく車の入らない小道を選び、そこの真中を歩く夫…。
「この道狭苦しいから嫌い」と言う、その道は2車線ですよ。

そんな夫なもので、どこかへでかけたついでに買い物とか頼むのが心配。
出来れば頼みたくない。
出来るだけ頼まず、後で一緒に行くようにしているのだけれど、
夫は私を思いやって「買い物してくるよ!」と張り切る。
「いや、いいよ、後で一緒に行こうよ、時間ないし慌てるとろくなことないよ」
「大丈夫、絶対間に合うよ、2箇所も行くの大変だから」
いや、だってもう時間の30分前だしさ…。と思うが、言い張るので任せた。

その日、ちょっとした約束があって、夫から電話のあった30分後には
家を出なければいけなかったので、それを済ませてから買い物に行きたかったのだけど
「時間がむだになるから行ってくる」と言い張るので、じゃあそうすればと言いました。
ぎりぎり3分前に、はぁはぁしながらもどって来た夫。

「ごめん走ってたら卵われちゃった☆へへ」
「あとね、バター買うの忘れた☆」

ほら~~~!!だから言ったじゃんかぁ~~~!!!
…とは思っても言ってはいけません。これは我が家のルール。
やる気の芽を若いうちに摘んではなりませぬ(笑)
結局その後、卵を買いなおし、バターも買わなければならず
2箇所、買い物に行きました。

その日夫は
「…はぁ、どうして俺はいつもいつもちょっちぷんの言う通りのことしちゃうんだろう」
「ちょっちぷんの言うこと聞けば良かったよ…」と
言いながら、パンツを後ろ前に穿いていました…。
買い物はいいけどさ、そのパンツ穿くとき、どうしていつも後ろ前なの…?
それは覚えてくれぃ…、と思うちょっちぷんでありました。

夫のことは大好きです。尊敬してます。だけどマヌケです。
私たちは本当に正反対の生き物です(笑)






2005年10月31日(月)AM:11:14に上げた記事です。

最近、問題のパンツを穿くとき間違えずに穿いています(笑)
「こっちが前だな…」とか言って。子供ですか(笑)

この時書こうとしていた記事、とても長くて結構熱が入っていたのです。
地域性についてなのですが、後々考えると揉め要素満点なので、書くのはやめました。
「東京で生まれ育った人にはわからないよ」と言われること
「ちょっちぷんは都会ッ子だからね」と言われること
そりゃそうだ、最もだ。だけど卑下する必要がどこにあるのかわからないんだよ。
それに東京に比べる必要もどこにあるのかわからないんだよ。
勝手に憤慨して、勝手にライバル視されるのはかないません。
東京には東京のよさが、それ以外にはそれ以外のよさがあるし
生まれて育った街に愛を持つのは、それはとても素敵じゃないか。
そしてその愛を他の地域と比べなくて良いとおもうんだよ。
その場所はそこにしかないんだから、比べられないと思うんだよ。

猪木的生き方の人生

ずっと気になっていた(今も気になっている)のですが、ワタクシめの ブログは書庫がおかしいです。
書庫が書庫の役割を担っていないと言うか、ナンと言うか。
そもそも書いてることがカテゴリ分けできそうでできないような、
してもごちゃごちゃしていると言うか。どないやねん。

自分が過去の文章を読むにしても、もうちょっと読みやすくしたいのですが
わけるにわけられません。いつかきっとわけてやる、と燃えてはいるのですが
葉巻のように、ちょっと気を抜くと火が消えてしまいます。

今ある書庫も一向に更新されないところが出てきて、気になっていますが
書庫に合うことを考えていないので、記事も一向に増えません。
小学生男子にいたっては最近声すら聞きません。
男子たちはどこで遊んでいるのでしょう。

タイトルの猪木的生き方ですが、素敵そうです。
プロレスが大好きなちょっちぷんは、当然のようにアントニオ猪木が大好きです。
やっぱり猪木。
馬場さんは、いつでもファンからも「馬場さん」と呼ばれますが
猪木は「猪木」です。
なんて言うか、そういうところが大好きなのですが。

プロレス的観点から猪木を語るのはマニアの方に怒られそうなのでやめておきますが
猪木は一般的な社会に置き換えても、かなりイケてる生き方をしています。
借金だらけになろうが、栄養を摂りすぎて死にかけようが
明らかに楽しんで生きています。

猪木については、かなりおもしろいエピソードが盛りだくさんなのですが
いくつかご紹介すると、一つは若手レスラーのころ
何を思ったのか、一日に(無理やり)15000カロリーも摂っていたため、
一般的な人の基礎代謝、生きているだけで消費するカロリーが諸説ありますが、
1200から1800くらい、どんなにハードなスポーツでも
一日に15000はありえませんから、当然栄養過多になり、死にかけています。

その他に、確かブラジルでコーヒー農場(だったか忘れました)を持ち、失敗。
タバスコを日本に初めて持ってきて、商売しようとして失敗。
この時なんらかの措置をとっておけば、良い商売になったでしょうし
借金も返せた挙句、独自の興行も楽にうてたでしょうが、
猪木は基本的に、お金を得て楽な人生、安定した人生を送りたいと考えていないのでしょう。

人の話はまったく聞く耳は持たないそうです。
そして保身を知らず、念のためだとか、長いスパンで考えるとか
そういった思考は皆無で、とりあえずその時したいと思ったことを、
もうけよう、とか思わず(思っていると思えません)したいようにして
面倒になったら放り投げているようです。

そんな猪木が毎回「ダァーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」と共にやる
パフォーマンスに詩を読むのですが、その詩を読む前フリとして
「元気ですかーーーーーッ!元気があれば何でも出来る」
「元気があれば、借金も返せる」
等、その時の猪木の状況をおもしろおかしく言い、猪木作、と言われる詩を読みます。

猪木に対してはたくさんの人が、様々なことを言い、そのどれもがイケていますが
とにかく「迷惑な人」的言われようも多いです。
でも、猪木はつまらないことをしたり、適当なことをしたり
思いつきを行き当たりばったりでやりますが、基本的に借金も自分で背負い
何を言われても気にせず、わが道を歩みまくっています。

私はそんな猪木が大好きなのですが、実際にあの人が父親だったりしたら
本当に迷惑だろうな、とも思います。
だけど、アントニオ猪木は迷惑な人かもしれませんが、押し付けがましくありません。

「バカになれ」
「好きにしろ」
「自由になれ」
「恐れるな」
「転んだら自分で立てばいい」

そういう言葉を何気なく聞くと、とってもワクワクして楽しいです。
猪木が来る興行で、「元気があれば…」と始まると本当に楽しい。
それだけで、カードが最悪でも許せてしまいます。
自然に笑みを浮かばせる猪木には、いつまでもはちゃめちゃでいて欲しいと思います。

猪木大好き!!






2005年10月30日(日)PM:3:43に上げた記事です。

猪木は多分ろくすっぽ考えるということをしていないのではないかと思います。
好きなことをしている、ということすら考えてないような気がする。
感覚で生きてるとしか思えません。
だから、だから猪木はめちゃくちゃカッコイイ魅力あるオヤジなのです。
そんな猪木を担いで一儲けしてやろうと、意のままにあやつろうとするから失敗するんだ、きっと。
猪木は猪木の感覚だけで突っ走っているからおもしろいのに。
そう言えば、最近あのオヤジ大人しいな(笑)
パラオにでも引きこもっているのでしょうか。さびしいな。

しかし、ここでも書いておきますが、身近にいたら本当に大変そうです。

不思議な現象

昨日、お休みの前日だったのでちょっぴり夜更かししていた際の出来事なのですが。
不思議なことが!
履歴を開けて、そこからみなさんちへ行こうとしていたときです。
あれ!?双子!?


※ヤフーでは訪問者履歴というログインした状態で訪れると、足跡を記録する部分があります。
  この前日、その履歴表示にバグがあり、同IDが2つ表示されており、その写真を載せておりましたが
  こちらでは割愛しております。


なんでしょうか!!カッタウェイさんとchargeupさんが二人!?
カーソルを合わせて出るアドレスは猫んちのものでしたが
何故か表示では猫ではなく、その前にいらしていただいたお二人のお名前です。
摩訶不思議!!



なんかおもしろかったので携帯で写真を撮ってみました。



☆10月29日のちょっちぷん一口メモ☆
  今日は猫が遊びに来ています。






2005年10月29日(土)PM:5:36に上げた記事です。

本当に写す意味のなさそうな記事が多いですが、意地でも全部写してやるぅ~!
この記事のコメント欄ではドッペルゲンガーと呼ばれておりました。

つまらない記事なので、ちょっと追記を多めに書きます。
ついこの間、ちょっとした縁で、とある脳障害のある男の子が書いたと言われる本を手にしました。
正直、かなり驚いたのであれこれ調べてみると、その子が書いたかどうかは本当のところ
わからないし、怪しいと言われていました。

その子が書いたのなら素晴らしく、仮に周りにいる大人が書いたのであれば
書いた人は、とても深く傷ついたことのある人なのだなぁと思います。
書いてある、人や社会との接し方は、とても共感できますし、素晴らしいです。
ただし、その本の骨子として組み込まれている、脳障害の子供へのリハビリプログラムに関しては
正直胡散臭く、一目見て「あやすぃ~!」と思ってしまいましたが。

そのリハビリプログラムがあったから、その子が優れた人間になったわけではないだろうなぁ、と
思いながら、その子が書いた、と思いながら読んだり、周りの大人が書いた、と思いながら読んでいます。

夢か妄想か

暗いことばっかり書いてると本当に暗くなっちゃうから違うことも書いておこう。
あのね、おとといの晩かなぁ、久しぶりに夢を見たのです。
娘に拒否られて、さめざめと泣いていたら夫がむっくり起きて
「どどどどうしたの?」と言うので
「娘が夫じゃなきゃやだって言うから、もう寝る」と
まだ朦朧としている夫に娘をたくしフテ寝した日のことです。

べそべそしながら寝てしまったちょっちぷんが見た夢…。

chargeupさんコミュニティの常連さま方が何故か我が家にいらしていました。
そらさんとカッタウェイさんが紅茶の入れ方とカップ&ソーサーについて、にこにこと話しています。
chargeupさんはパソコンの前に座り何かを見ながら、わたりとりさんとなにやら話し込んでいます…。


……?


わ、わたりとりさん!!宝田明みたいです!!!
だ、男性だったのですか!性別は不明であられる、わたりとりさんは男性だった!!!
私は何故か大パニックで改めて準備したコーヒーをこぼし、一人てんやわんや。

chargeupさんが「ちょっちぷんさん、何をそんなに驚いているのですか」と
片付けを手伝いに来てくれます。
「い、いや、わたりとりさんが男性だったと知って驚いてしまったんです~」と
あわあわ答える私に
「?でもそれはブログに昨日書かれた記事の中で明かされています」
と冷静なchargeupさん。
あれ?わたりとりさんち、毎日うかがっているのになんで見落としたんだろう?
急いでパソコンへ向かう私にchargeupさんが「ほら」と見せてくれた画面。

栞でほっと一息第○弾。今日は真実のわたりとりの姿に迫ります。
実は僕は…


ぼ、僕って書いてある!!ホントだ!!わたりとりさんは男性だったんだ~!!
…その記事に何が書かれていたのか、今となってはもうわかりませんが
なんか衝撃的だったような気がします。
その後みんなでケーキを食べて、釣りの話をしました。
楽しかったです。

起きてすぐ、わたりとりさんちを確認したのは言うまでもありません(笑)
もちろん、そんな記事はなく、わたりとりさんは今も謎に包まれています。
良かった、宝田明じゃなくて(笑)
それじゃウチのパパンだよ。

ちなみに、そらさんは小柄でほんわかした雰囲気の可愛らしい若き娘さんで
カッタウェイさんは想像通り、背が高くてインテリジェンス溢れるお洒落な男性。優しげでした。
我らのアイドルchargeupさんは、細くて小さく、お人形みたいでした。





2005年10月26日(水)PM:1:31に上げた記事です。

あー、この夢、楽しかったなぁ(笑)思わず顔がにんまりと緩みます。
ネッ友の集いです。楽しそうだ^^
しかし、なにゆえ宝田明だったのかはなぞです。
しかも、わたりとりさん、宝田明知らないし(笑)
勝手な想像ですが、わたりとりさんはタレントとか歌手とか全然知らなさそうです。興味なくて。
映画とか観て、ストーリーとか心理描写とかものすごい覚えてるのに、何故か主演を忘れるイメージです(笑)