姐の部屋 -85ページ目

死んだ男が残したものは(谷川俊太郎 × 武満徹)  song by 石川セリ



死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
捩れた足と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
壊れた銃と歪んだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない


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業界により異なるキャラの特性…

IT屋さんは仕事がら、
大変に合理的思考の持ち主が多いので
その意味ではつきあうのは面倒くさくはない…ということを最近よく思う。 
 
どんなことでもYES、NOのどちらかに突き詰めて分析するのは当たり前の世界 
問題の本質を分析してそれを「解決」することがお仕事なので
そういう姿勢は仕事以外の日常生活でも適用されるわけ。 

私は何十年もそういう人々とつきあっているうちに
馴染んでしまったから何とも思わないけれど
仕事にあぶれて楽器の練習に埋没して2年近くたった最近、
ふと それまでいた彼等の世界との違いを強く感じることが多くなった。

去年までは師匠とその家族、お弟子さんの一部しか音楽関係の付き合いがなかったけど
今年になって自分でどんどんプロアマ関係なく音楽関係の色々な人と接する機会を増やしていった結果、そう感じるようになったのかも。
 

まだ分析してるわけじゃないから
ぼーっと感じてるだけだけどね。
 

ひとつ言えることは、
IT業界、それも私の周りに多かった、ベンチャー系の若い会社の
飛ぶ取り落とす勢いの技術者たちは
「歴史」がない荒野にゼロから新しいものを作り上げていく人たち。
会社も新しく、因習に縛られることもない。
 
年代も若い。
時期的にも日本オラクル(今や押しも押されぬ大企業になったが歴史は浅い。)などが立ち上がったITベンチャー創世記に、US製品の移植などのコアな部分から参加した技術者というのは、昭和40年代生まれ以降が多い。
 
前例がないところに開拓していくんだから、
アグレッシブで個人主義で、自由。
学歴社会もない実力主義。
 

論理思考は大前提なので、切れ味の良いナイフで捌いてゆくように、
無駄のないアルゴリズムで現実すら処理してゆくような感じ。 

 
たたき上げ系も多い。
 
NECや東芝や日立といった大企業のサラリーマンとは明らかに人種が違う。
良くも悪くも。
 
たたき上げなんで技術はあるけど一般教養や文化教養については期待できない人は多い。
BACHをバッハと読めない人だっている。
ヴィスコンティ? マルセル・カルネ? 何それ?
詩? 一生縁がないね。
純文学も読んだことないし そんなの読むより技術書を読むことを選ぶね。

 
…まぁ、そんなのはゴロゴロ。 
NTTデータだの大企業系は違うけどさ。
 

…で 音楽系、とくにクラシックなんかをやってる人々は
プロでもアマでも育った環境とか人種が全然違うんだよねえ。
考えてみればお金のかかる代物だから当然なのだが。
 

私の家は別に金持ちではなかった。
いわゆる文化教養度だけは高い家庭だったと思うけれど、裕福ではないとおもう。
公団賃貸の狭い団地サイズの3DKに親子5人なんだから金持ちなわけはないよね。 
でも食べるに困ったわけではない。
少なくとも、私の音楽教育にお金をつぎ込めるぐらいではあったんだよねえ。
今思えばチェロ、ピアノ、作曲科の先生の3種類のレッスン代だけでも随分使ってたはず。
楽器も買って。楽譜や消耗品も買って。
レッスンにつきそうのに、よくタクシーも使ってた覚えがあるもん。
 
たぶん芸術・文化に溢れた環境ではあった。

 
楽器やめたあとも進学コースに乗って学歴社会で生きられる程度の学校は出た。
で、上場企業のOLになった。
ただ、配属先が新しく立ち上げたばかりの特殊な部門だった。
会社には歴史があるけど、自分の部署には歴史がない。 
4大卒女子ばかり10人。上司がわりは1期先輩社員。
学生の延長みたいなもの。
 
この辺から今にいたる「素地」は作られていったんだろうけど、
なにしろ坂を転げ落ちるように、それまでの対極みたいな世界の住人になっていったわけだよねえ。
 
音楽、文学、美術などの会話をする高学歴系の人たちの世界から
たたき上げで、情緒では会話せず、論理で会話する人たち、
デジタルなことしか話さないひとたちの中に。
 
 
で 再び 元居た側に戻りつつあるんだけど。
 

イマイチうまくいかない!
ときどき調子が狂う、というかとても場違いな気分になるときがある
勝手に「あらら、なんかうまく喋れてない気がするよ、自分」って思ってるだけかもしれないけど、
参ったなぁ、って感じ。
いつの間にか、すっかり染まっちゃったんだなぁ。
 
あっちの世界で普通な振る舞いをすると、
こっちでは多分びっくりされちゃいそうだよなぁ。
 
パキパキパキって、さっさと物事を切り分けて、
感情抜きでパパっと分析しちゃうクセがついちゃってるからなぁ。
身も蓋もない純・理屈が「常識」で通る世界。
非常識が常識みたいな。 
    
あ~ わけわからんぐだぐだ。
 

なんか自分、あちこち寄り道人生をしているうちに
やたらとカバー範囲が広がりすぎてしまった。
 
だって、怪しげでヤクザな相場師のオヤジとか
BACHをバックって読んじゃう個人事業主とか、
CODD博士の名は知っていても、ショスタコを知らない超優秀技術者とか
はたまた地べたで昼から焼酎をあおる土方のおじさんとか
 
…そういうのも、今や、平気でお友達なんだもん。
 
 
対して、クラシックやって一定の品質を出している方々って
教養高いお嬢様お坊ちゃまのことが多いじゃない?
お品のない「土方モード」には縁がなかったりもするのよね。
だって私だって大学の頃は無縁だったし。

 
両方に足を突っ込んできたから、今はどっちも応対できるんだけど
相手はどっちか片方しか対応できないことが多いわけで
こちらがうっかり対応モードを切り替え損ねると、どん引きされそうで要注意。
これがちょっと疲れる。
  

たたき上げ業界モードと、ハイソ?な業界モード、
なんていったら極端でしょうかね。
 


まあ 面白いことは面白いですけどね。
 

でも 今みたいに中途半端で、
どっちにも安住できない状態は正直言って疲れるし、困るわ。
 
早いとこ適応したいけど、考えてみたら自分の今の夫っていうのが筋金入りのIT業界人間。
その理屈の身も蓋もなさといったら…。
フツーの人からは「あり得ない」非人間的理屈でも言ってのける人だからねえ。
 
そこが問題なのだ。


何が面倒って、自分のこういう心の動きが一番めんどうくさい!
夫みたいな性格ならぐだぐだ感じないんだけどなぁ。
理屈100%、論理のみで現実に対処するからさ。


私は元の環境と、あとから身についた処方とのGAPが大きすぎて、それが諸悪の根源!
 
めんどくさい~…



 



 

ソーシャルメディア。

生息地域が「IT業界」だから新しいITメディアに接するのはパンピーより早いのは当然といえば当然… 

今でこそブログはポピュラーになり「国産」のブログサイトが各種整備されたけど、最初はUSのしかなかった。当然全て英語。で当然ながら何かとセルフサービス。
日本みたくお節介は焼いてくれないから。
 
新しいネタに最初に飛びつく友人は何人もいて、座っていても情報は耳に入ってくるわけです。 

何年前でしょう?
あちゃらのブログサイトを試しにさわってみたの。5~6年前?随分前です。
(今はアカウント放置したままですが)
 
次に業界仲間から勧誘メールがきて登録してみたのがMIXIでした。
これも古い。
「友達の友達は自分の友達、っていう新しいコンセプトのソーシャルネットワークだよ」という誘い文句で。で、使ってみて「なるほど~」と感心。
 
 
MIXIのきっかけはBBS最大手のNiftySERVEがインターネット普及で死に体になり、
そこを居場所にしていた業界仲間のコミュニティが「移民先」としてMIXIを選んだことでした。
  

つぎに2年ぐらい前からTWITTERが仲間内で流行り出した。
1年?遅れてFACEBOOK。
 
今やソーシャルメディアは既存のマスコミ媒体を駆逐する勢いです。
以前は情報を発信できる「特権」を持つ層と、
情報を受け取る側に二分されていたものが、
インターネットというインフラさえ使えれば誰でも情報発信者になれる。

特権階級が崩壊した瞬間です。
 
 
「双方向のコミュニケーションが可能」というのがインターネットのひとつの特徴です。

USTEAMで自分の録画したニュースソースを勝手に発信することもできれば
YouTubeを通じて自分たちのパフォーマンスを全世界に披露することも自由。
インターネット登場の当初は、
発信するには「html言語」などを使いこなせる必要がありましたが、今やそれも不要。

ソーシャルメディアを通じて、
旧時代ならば起こりえなかった出会いが発生する世の中です。
 
人と人との距離感を劇的に変えてしまったのがインターネットとソーシャルメディア。
 
基本的にネット上の人間関係には、年齢や階級、身分の差が存在しない。
それはそのまま「自由」という言葉を思い浮かべさせます。
 
それをすんなり理解する人間と、
未だに旧来の構造から脱却できない人間のGAPはかなり大きい。
 


つくづく面白いと思います。
 
マスコミが特権階級でなくなった、という趣旨のことを書いたけど、
それが最近の時に民放キー局のぐしゃぐしゃぶりを見ていると痛感します。
 

こいつら、こんなどうしようもない人種のくせに、
世の中の多くの人が
「テレビに出る人」とそれにつながる人に媚びを売っていたんだよねえ。
なんで、タレントごときと知り合いだったら「すごい」の? 下らない。

(私?私は今も昔も
 そういう意味での「有名」であることを崇拝する人々に
 全く共感できないので、除外。)
 

ネット時代は実に面白い。
 
まだ過渡期だと思うけれど、確実に世の中の構造が変わってゆきつつある。
 
それを観察することはとても興味深いのです。
 

カオスな状態のソーシャルメディアがどの方向に整理されてゆくかを含め。
 




ちなみに自分はMIXI使用頻度は劇的に下がりました。
しかしMIXIは招待制はやめたとはいえ、
CLOSEDです。
ここでいうCLOSEDとは、コンテンツがGOOGLEなどの検索ではヒットしない壁の中にある、という意味。
FBもTWもその意味でOPENです。
 

MIXIがその特徴を守れば、生き延びられるかもね。
 

利用頻度は下がったながら、
旧来の仲間の一部はいまもMIXIに生息しています。
私も含め皆、TWもFBもアカウントを持っていて、
使い分けているのだと思います。


理由はCLOSEDな中で、マイミクの中から指定したメンバーにだけログを公開するような細かい設定が出来ること。コンテンツがMIXI外に晒されないこと。
 
これらが理由。

気心の知れた仲間内での,気を遣わずに済むコミュニケーションのツールとしては
まだ使い道が残っているMIXI.



・・・・・・・そうなんですよ。
FBは実名で名刺を晒して発言してる場だしお客さんも見るから、オフィシャルモードで、
時には社交辞令も必要となるから、気楽ではない。
発言内容を(これでも)選んで、セーブしてます。 

TWは匿名だけど、検索でヒットするし、色々たどろうとすれば知人から私だと知れる可能性があるんだから、完全に言いたい放題というわけにはいかない。
 

好き勝手書いてるほうだけど、やっぱり気は遣っちゃう。
 

検索エンジンでひっかかるかどうかは大変重要ファクター。


なので、まあ細々とMIXIも見てる、というわけ。




追記:

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担当:DIME編集部