アマヤドリ -9ページ目

シャガールの天使


天使が飛んでいる、
シャガールの絵っぽい。

同じところに同じ濃度で浮かんでいるちぎれちぎれの雲なのに
ももいろに染まっているところとそうでないところとがあるのは
どうしてだろう?

山の夕日 その3


青かったのに、いつのまにこんなに赤くなったのかな、と思う間にもどんどん雲があかくなっていく。


燃えてるみたい。

今までたいせつな夕日はたくさんあるけれど、今日の夕日もそこに加わった。


夕日を見ると、一日が終わるんだ、って思う。
おわりと、刻々と続く変化と。


もう寒い!
風邪ひいちゃうから帰ろ!
という声についに耳を貸し、車に詰め込まれる。

一度くらくなりはじめると闇はあっという間…と思っていたのに山では夕方が長かった。
どんどん山を登っているのなら道理がわかるけれど、ずんずん下っていたのにどうしてだろう。


また霧につつまれる。


運転をしてくれているひとが一緒に景色をみられないのは残念。
いつもそう思う。

いらっしゃいと、カフェ人間関係。

200810191117000.jpg

朝8時に待ち合わせ。
夜行バスではるばるやってきたお友達とホテルのブレックファストとお話。

初めて逢うひととどういう温度で話したらいいのか、そういうことを読み取るのがたぶん私はあまり上手じゃない。そのことをよく感じているから緊張してしまう。
逢えて嬉しい、ということだけでいいのに。
なのにうかがってしまう。
うかがうのに急にずばりと芯の話を持ち出したりして、
また遠ざかってみたり。
自分のなかのどの部分で接したらいいのか、計るのって難しい。
あたしはこうよ、という確固たるものが稀薄なのかもしれない。
それとも、みんなそうなのかな。

けれどこうして日記を読んでくれているひとと逢うのは少し安心感が違う。
そんなところに甘えていいのか分からないけど、私の一番素直なところを知ってくれているように思うから。少し間違ったことを言ってもちゃんと訂正するゆとりがあると思えるだけで思い切ったことも話せるしそれほどに自分のイメージをここで固めなくてもいい(というかもう遅い、という楽な諦めもあるし)。

自分が臆病なのか豪胆なのか。
そのどっちもなんだろうけど、その表しどころや量への感覚が掴めず、これは私にとって永遠のテーマになってゆくんだろう。

でも逢えて良かった。
もっと先になったとしてもいつか逢いたいひとだったから、嬉しいな。
東京を楽しんでくれたらいいな。


そして午後の11月の舞台の打ち合せまで少し時間があるのでカフェ人間関係へ。
渋谷は苦手だけれどここは落ち着く。
こういう好きな場所が増えたらこの街のことも好きになれるんだろう。
原宿がそうだったように。


どんな話が聞けるんだろう。
金曜日にリハーサルに参加してコンセプトをきいたらイメージがたくさんわいてきた。
前回も話を聞いた時には風景みたいなものがたくさん盛り込めるってわくわくしたのだけれど、結局はその、自分が抱くものとそれを実際かたちに置き換えることがストレートにはできず(自分の問題でもあり、自分だけでやることではないので創り手との感覚の違いももちろんあり)一致しないもやもやが実は残ってしまった。
私が抱く世界のようなものがもしあるとしたらそれをどうしたら具体化するのかという難問をつきつけられたし、いまだそれは解決できないまま。
今回は。
どうなるかな。

山の夕日 その2


霧が峰からの夕日。


みるみるうちに霧がおちてきて視界を覆う。

霧に包まれた景色を見たかった。
霧に覆われた川面、霧にけむるくさはら。
靄の向こうの岩、吐く息も靄に混ざって濃い。
だからすごく寒くても平気で、ずっと車に戻りたくなかった。


白かった月に電気がついたみたいに輝き始めた。

あらゆる青を見た。


完全に陽がおちた。

『A/R』

友達の写真展を見に行きました。
彼が大好きでしょうがないエストニアの女の子、ラウラのポートレイト。

半年前に見せてもらった写真は、彼女のつぶやきは彼女自身がしっかりと握って託さないような距離があった。
写真の色のせいかそこに混じる光にはなにかしら層みたいな空気の隙間みたいなものがあって、跳ね返ってきてしまう視線が撮影している友人のちいさな孤独を照らしているように感じられた。
でもそれでも彼女を包み放さないように注ぐ目はあたたかで、おき火のように辛抱強かったけど。
なんであんな色が出るの?

今回の展示の題名は、Aller/Retour(いく/かえる)からきているんだって。
実際彼がエストニアに足を運ぶこと、彼女に送ることばとかえって来る視線、もしかしたら彼の写真観の変遷もその行き来に含まれる、のかな。

いくつか前の日記にも書いたけれど今回はDMの写真を見た瞬間から二人のなかに前よりもずっと親密な関係を見ることができた。
相変わらず彼女はなんだか不思議なくらいに光に満ち溢れていて「すごいなーって思いながら撮った」と彼は言うけどそれはあなたが彼女をそういうふうに見ているからなのでは、と思う。

ラウラが笑いかける先にはちゃんと友人がいて、その微笑みはほんとうに可愛かった。
かがんで彼女の視線を真っすぐ受けとめてみると私もにやけちゃった、くらいに。

優しいんだなぁ、と思う。
色に対しても作品に対しても、ひとにももちろん。

去りがたくて何度も行き来しながら見ていたら展示していない作品もいくつか見せてくれた。
ああ、やっぱりいい。
写真ってこころをどこかにぴゅーんと飛ばす。

写真を前にして私もラウラと一緒にその光を浴びる。
遠い日本からやってきた男の子が(しかも何回も)自分の一瞬いっしゅんをとどめ、色の中に馴染ませ収められる。
どんな気持ちがするだろう?
そしてその色のかおりをこうして私が吸い込んでいる。
そのことを彼女は想像したことがあるかな。
ラウラのことを半年前から聞いていて彼女のいろんな表情も見ていてちょっと大人びたんじゃない?ということまで知っているのに、ラウラが私をまるで知らないということがすごく変な気がした。
これも私の、一方通行の旅。

いつかラウラの旅のはなしを聞ける日が来るといい。


帰りに街の谷間から。