振り子時計ばかり見てる
友達に悩みを聞いたり、本を読んだり映画を見たり。ニュースを見たり電車に乗ったり。
そのたびに色んな事を考える。
時には冷静に、時にはアツくなって。
人に対しての考察を行う時、私はそんなに筋道は誤っていないと思える。
私なりにだけれど。
なのに…
どうして自分のこととなるとこうも目が曇ってしまうのだ。
どう色んな理由をつけても、自分を慰めても、偽っても、こんなのおかしいじゃない。
何故我慢するの?
何故間違ってるとはっきり言えないの?
私にどんな言い訳をするのだろう。
こんな風に待ち構えていても、結局は空回り。
どうしてそれをあいまいに受け入れたような態度をとってしまうのだろう。
本当は全然納得なんかしていないのに。
いつか理解してくれると思っている?
それとも憐れんでいるのかしら、自分を。
耐えることが美徳なんて、そんなつもりはないのだけれど。
そしてそのくり返し、繰り返し、々…。
もう携帯なんか見たくもない。
くるのはメールマガジンだけ。
なのに窓の小さい画面が光るたび
「どうせ違うよね」とつぶやきながらも
私は携帯をひらいてしまうんだ。
わからない。
もう私の糸も、切れかかってる。
だからどうせならこのまま、もう寂しいからって甘えないで欲しい。
そのたびに色んな事を考える。
時には冷静に、時にはアツくなって。
人に対しての考察を行う時、私はそんなに筋道は誤っていないと思える。
私なりにだけれど。
なのに…
どうして自分のこととなるとこうも目が曇ってしまうのだ。
どう色んな理由をつけても、自分を慰めても、偽っても、こんなのおかしいじゃない。
何故我慢するの?
何故間違ってるとはっきり言えないの?
私にどんな言い訳をするのだろう。
こんな風に待ち構えていても、結局は空回り。
どうしてそれをあいまいに受け入れたような態度をとってしまうのだろう。
本当は全然納得なんかしていないのに。
いつか理解してくれると思っている?
それとも憐れんでいるのかしら、自分を。
耐えることが美徳なんて、そんなつもりはないのだけれど。
そしてそのくり返し、繰り返し、々…。
もう携帯なんか見たくもない。
くるのはメールマガジンだけ。
なのに窓の小さい画面が光るたび
「どうせ違うよね」とつぶやきながらも
私は携帯をひらいてしまうんだ。
わからない。
もう私の糸も、切れかかってる。
だからどうせならこのまま、もう寂しいからって甘えないで欲しい。
「black ice」批評を読んで
なるほど、と、自分のもやもやをはっきり文章にしてくれたようなページがあったので載せておく。
What Dance Sais to Me「芸術監督に拍手、振付家には小言」
やはり、私が最後に感じた重苦しさは金森さんのプレッシャーみたいなものだったのかなあ。光に押しつぶされるように消えていったあの演出は、彼自身の心だったのかも…
2部を誉めている人は多かった。
私の読んでいるdom_on_webでも誉められていた。
確かに…バレエの美しさを下敷きにした上での個々の動きには目を奪われたし振付が生きていることからも、3部のように変に演劇的表現に走るのではなく、ストイックに追求していったほうがいいのかもしれない。
作品として面白くしよう、という試みが3部だとしたら…私はあまり好みではなかった。
最後に中西理の大阪日記。
そこまで求めたくなる振付家だということでもあるかもしれない。
そう!!
どの文章にも将来への期待が込められている。
多分…この舞台がわりと「まっさら」だったからじゃないだろうか?
ダンサーたちがバレエの基礎があってこれからどこにでも向かえるように、きっと作品を創る側にも。今はまだがちがちになっているように思える。でも掌を目から外し、周りを見渡したら…ひょっとしてとてつもなく化けるかもしれない。
これだけの力を持っているひとだもの。
次回作品は是非観に行こう。
次は『nomadic project』だろうか?
以前見たものとはダンサーが違う。このカンパニーとして、どんな風に踊ってくれるのか…楽しみ。
What Dance Sais to Me「芸術監督に拍手、振付家には小言」
やはり、私が最後に感じた重苦しさは金森さんのプレッシャーみたいなものだったのかなあ。光に押しつぶされるように消えていったあの演出は、彼自身の心だったのかも…
2部を誉めている人は多かった。
私の読んでいるdom_on_webでも誉められていた。
確かに…バレエの美しさを下敷きにした上での個々の動きには目を奪われたし振付が生きていることからも、3部のように変に演劇的表現に走るのではなく、ストイックに追求していったほうがいいのかもしれない。
作品として面白くしよう、という試みが3部だとしたら…私はあまり好みではなかった。
最後に中西理の大阪日記。
そこまで求めたくなる振付家だということでもあるかもしれない。
そう!!
どの文章にも将来への期待が込められている。
多分…この舞台がわりと「まっさら」だったからじゃないだろうか?
ダンサーたちがバレエの基礎があってこれからどこにでも向かえるように、きっと作品を創る側にも。今はまだがちがちになっているように思える。でも掌を目から外し、周りを見渡したら…ひょっとしてとてつもなく化けるかもしれない。
これだけの力を持っているひとだもの。
次回作品は是非観に行こう。
次は『nomadic project』だろうか?
以前見たものとはダンサーが違う。このカンパニーとして、どんな風に踊ってくれるのか…楽しみ。
あと半分の壁
今日帰りに女子更衣室に入ろうとしたらそちらの方から社員の男の人がでてきた。
一瞬別に何とも思わなかったのだが彼が急に「いや、こちらからだと現場がよく見えると思って…」と明るく言い出したのでやっと、そっか、言い訳をしてるんだ、と思って少し微笑ましかった。
いつもあんまり話さないのに少し説明してくれたりして。
疑ったりしてないのに…と少し可愛らしいと思ってしまった。
とっさの時に私は必要以上に慌てたり顔が赤くなっちゃうので変に思われないかといつも心配だ。
そう思うば思うほど落ち着けない。
それかゼロになってとまってしまうか。
動物っぽい、と言われるのはこんなところなのだろうか。
一瞬別に何とも思わなかったのだが彼が急に「いや、こちらからだと現場がよく見えると思って…」と明るく言い出したのでやっと、そっか、言い訳をしてるんだ、と思って少し微笑ましかった。
いつもあんまり話さないのに少し説明してくれたりして。
疑ったりしてないのに…と少し可愛らしいと思ってしまった。
とっさの時に私は必要以上に慌てたり顔が赤くなっちゃうので変に思われないかといつも心配だ。
そう思うば思うほど落ち着けない。
それかゼロになってとまってしまうか。
動物っぽい、と言われるのはこんなところなのだろうか。
牛乳プリン
ずうっと好きな一品。これ、大学時代くらいから食べ続けている。いちご味やコーヒー味もあったがこの素のが一番すき。
大きいし←大事
TRACKBACK
▼他にも色んな顔 が!!
←Yumikoit!?さん の日記より。
▼プリン好きはここにも!!
私もかぼちゃプリン大好きです(* ̄m ̄*)
あやぽんさん はもうひとつ、コーヒー牛乳もトラバしてくださいました。
箱庭
昔は誰にも弱みを見せまいと思っていた。
それは意地やプライドというより、ただいつも元気な私でいたかっただけだ。クヨクヨしない頼れる人だと思われたかった。
誰にも愚痴や弱音を吐かないでも平気だった。何かあっても我慢したり気付かないフリでやり過ごした。「私は元気で前向きだ」と人にアピールすることで本当に自分を組み立ててゆくことができた。
人に弱みを見せない事と本音を言わない事の差が分からなくなったことがあった。私は本当の意味で人に心を開いていないんじゃないか、良い部分ばかり見せて本当は靄が掛かっているのを見せずに本気の付き合いを求めるなんて虫がいいんじゃないか。
相手の弱音だけ聞いて自分の心情を吐露せず…心のどこかで「どうして心を開いていない私にそんな事を相談できるのだろう」と冷たくラインを引いていなかっただろうか。
ニコニコして頼って貰いたいくせにそんな風にマイナスの感情を見せる友人の心情を計りかねていた自分が薄情に思えた。
踊りで仕事をするようになってから、ある時私はふと愚痴を言った。
絶対に隠していようと思った事も悪口のように言ってしまった。
そんなものは驚くくらいするするぽろぽろと私の口からでてきた。人と話していると自分のその悪意は増幅してゆくようだった。知らないことまで流れだしていくように思えたがそれもすべて自分の悪意なのだと思うと愕然とした。
私は逆に苦しくなった。
増幅した悪意は全部自分に跳ね返ってきた。今まで考えもしなかったような愚痴がつい口から零れ黒い感情は私を染めた。
そして出し尽くした頃悪い感情は吐き出しても駄目なのだ、と私は気付いた。
私はまた自分の中の黒い感情に蓋をした。
それは私が結局いい子ちゃんでいたい人間だからかもしれない。見せたい自分でいられなくなることこそがもやもやを蓄めることよりも耐えられないのかもしれない。
口にだして言ってしまうとそれは真実になってしまうんだろうと思う。コトバはそれ自体でいきものなのだ、多分。
私はマイナスの感情を隠すことや誤魔化すことをいけないことだと思っていたが、もしかしたら私はそんな風にしてうまく自分の心をコントロールしていたのかもしれない。
壊してしまってから気付いたから修正には時間がかかる。蓋は曲がってしまったし無理矢理ブタの貯金箱のように壊して開いたものだからまだ破片が見つからず隙間だらけだ。
長い時間をかけて、まだ気付いてゆくことがたくさんある。
それは意地やプライドというより、ただいつも元気な私でいたかっただけだ。クヨクヨしない頼れる人だと思われたかった。
誰にも愚痴や弱音を吐かないでも平気だった。何かあっても我慢したり気付かないフリでやり過ごした。「私は元気で前向きだ」と人にアピールすることで本当に自分を組み立ててゆくことができた。
人に弱みを見せない事と本音を言わない事の差が分からなくなったことがあった。私は本当の意味で人に心を開いていないんじゃないか、良い部分ばかり見せて本当は靄が掛かっているのを見せずに本気の付き合いを求めるなんて虫がいいんじゃないか。
相手の弱音だけ聞いて自分の心情を吐露せず…心のどこかで「どうして心を開いていない私にそんな事を相談できるのだろう」と冷たくラインを引いていなかっただろうか。
ニコニコして頼って貰いたいくせにそんな風にマイナスの感情を見せる友人の心情を計りかねていた自分が薄情に思えた。
踊りで仕事をするようになってから、ある時私はふと愚痴を言った。
絶対に隠していようと思った事も悪口のように言ってしまった。
そんなものは驚くくらいするするぽろぽろと私の口からでてきた。人と話していると自分のその悪意は増幅してゆくようだった。知らないことまで流れだしていくように思えたがそれもすべて自分の悪意なのだと思うと愕然とした。
私は逆に苦しくなった。
増幅した悪意は全部自分に跳ね返ってきた。今まで考えもしなかったような愚痴がつい口から零れ黒い感情は私を染めた。
そして出し尽くした頃悪い感情は吐き出しても駄目なのだ、と私は気付いた。
私はまた自分の中の黒い感情に蓋をした。
それは私が結局いい子ちゃんでいたい人間だからかもしれない。見せたい自分でいられなくなることこそがもやもやを蓄めることよりも耐えられないのかもしれない。
口にだして言ってしまうとそれは真実になってしまうんだろうと思う。コトバはそれ自体でいきものなのだ、多分。
私はマイナスの感情を隠すことや誤魔化すことをいけないことだと思っていたが、もしかしたら私はそんな風にしてうまく自分の心をコントロールしていたのかもしれない。
壊してしまってから気付いたから修正には時間がかかる。蓋は曲がってしまったし無理矢理ブタの貯金箱のように壊して開いたものだからまだ破片が見つからず隙間だらけだ。
長い時間をかけて、まだ気付いてゆくことがたくさんある。