アマヤドリ -291ページ目

2005年 ヘアショー

ショーの本番が終わりました。


今回は白いはねとレースのふりふりドレスと、白網タイツ、白ブーツに白いかつら、という可愛らしい衣装。

ヘアショーなのにかつら?と思うかもしれないけれど、これは、もう仕込みの段階で髪の色を赤く染めているので、カットの時にはじめてそれをみせてインパクトを与えるという演出のため。

白いかつらはあごラインを包むようなおかっぱで、しばらく髪を伸ばしていない私にはとても違和感。なんだかニューハーフのお姉さんみたいだ。

しかも化粧が濃いから余計に。


舞台にはカットした髪の毛を処理するために薄いビニールが敷き詰められていた。

これが、予想の10倍くらい滑る。ぴんと張ってあるわけじゃなくて遊びがあるから、しかも薄くてビニール自体に全く重みがないから、全部ヒールにくっついてきてしまう。

これには参った…けれども、そこは意地。

何度か滑りそうになりながらも楽しく踊ることが出来た。


ショーのボスは世界各国でショーをし、高い評価を得ている人。

いつもはセクハラまがいの冗談ばっかり言っているけれど、目の奥はあたたかい。

そして熱い。

厳しいひと。

礼儀を守れない人は本番直前でも外すという。

現に、前回の上海公演ではゲネプロ後外されたモデルがいたらしい。

でもこれは当たり前の事。

時間を守れなかったり、マナーを守れなかったり。

そういう人がひとりでもいると全部がそのひとりのために迷惑を受ける。

全員がちゃんとプロの意識をもって、同じ方向に、熱意や希望や思いやりをもっていないといいものなんてできないのだ。

ボスはイジワルで人を切ったりするわけじゃない。当然のことを、心をそろえてできなかったらそれはごめんなさい、一緒にはお仕事できません、と、そういうこと。

そしてそういうことは、ちゃんと信じているスタッフがいるからできること。

だって急に人を切ってその穴を埋めることがどんなに大変か、ボスはちゃんと知っているのだ。

でも臨機応変にできる腕が自分の周りにあると信じている。

そうして、ふざけた事ばかり言っているみたいで、本当に仕事は素晴らしい。

あっという間に4人のモデルの頭を仕上げる。

今回は作り物を頭に載せるのが2人、カットが2人。


作り手とモデルが、それからボスと振付師が何度も何度もミーティングしたり直接会って作りこんだりができるわけではない。でもお互い最小限の時間でお互いの意思を読み取り、それを持ち帰って練りこむ。

現にボスは前髪だけでも何とおりものパターンを用意していた。

そして本当に美しいのだ。出来上がりが。

髪の毛ってこんな風になるの…と、信じられないくらい。



で、私の髪型といえば、予告どおりのソフトモヒカンにはならなかった。

アンシンメトリーだけれど普通の髪型に近い。

左から見ると幼い感じで、右から見るとちょっとヴィジュアル系だ。

うん。かわいい。よかった。


担当してくれたアーティストさんともっと打ち解けたかったな。



そう、それで思い出したのだけれど。

やっぱり私は引っ込み思案なのだなあ。

ダンサーに引っ込み思案ってすごく致命的だと思うんだけれど。

作り手ならいいよ。

黙っていても誰もほっとかないくらいの素晴らしい踊り手だったら、それでもいいかもしれない。

でも。

自分を売り込んだり新しい事にちゃんとぽん、と前向きのエネルギーをもって飛び込めなきゃいけない。そうしてチャンスを掴んだり、それから自分を広げてゆかなくてはいけない。


私はどこかで足踏みをしていて、私はそれでもいいんだ、これが私なんだ、と言い訳をしているかもしれない。

にこにこしていてもなにも向こうからはやってこない。

にこにこは大事だけれど、それがゼロでスタートじゃないといけない。


多分今までの数あるチャンスを、私はそうして見過ごしてきた。

踊りのこともだし、友達のこともだし、たぶん恋の事も。



あああ、やっぱり、踊りの課題も人生の課題も、おんなじ。


自分に自信をもてるまで頑張らなきゃ。



踊りにウツツを抜かしつつ

勉強不足なことがいっぱいある。知らないことだらけだ。
こうして忙しくしているといろんなことを知りたいと思う。本を読みたい。あるひとつのことを追求してみたい。
それはテスト前に、勉強をしなきゃいけないのに違うことに急に興味がでてしまうのに似ている。
あれはテストから逃げようとしていたのではなくてもしかしたら、テスト勉強を忙しくしている自分だったら、他の何事かにも打ち込めるんじゃないか、ということに気付いたというだけなのかもしれない。
こんなに大人になった今、ふとそんなことに気付いた。

政治のことも環境のことも世界の人々のことも、今私が生きているこの世界の中のこと。まさに今、波紋を及ぼしあいながら一緒に生きているひとたちがいる。
私の近くに友達がいるのと同じようにその延長でみんなが生きている。
私にはこんな風に日記を書いたり舞台にでたりする余裕があるけれど、そんなことまったく考えられずただ生きるというそのことだけに必死なひとも。
動物なら遠くの仲間のことを思いやったりはするまいが、私たちはどうやらそうではない。

人間が地球をだめにしたり動物を絶滅させたりできるほどの力をもっているとすれば、その逆もきっとできるはずで、そのことを考えられるのは余裕のある私たちなんだ。

私はこの先誰かのために、とか地球や貧困のために、大きななにかをすることはないかもしれない。今はやっぱり踊りをやりたいし。
いや…こんな風なことを考えるといつも冷や汗をかいてしまう。3秒にひとり飢餓で亡くなっているというその世界を知りつつ「踊りたいし」って…。もう全然、口籠もらざるをえない。
自分で勝ち取ったわけでもないのにね、この生活を。

かといって踊りを通してそういうことを訴えるような、そんな難しい作品を創れるかもわからないし。余程すばらしいアイデアが浮かばないかぎりそういうはっきりとしたテーマのものは創るつもりもない…。
一時友達と舞台をうってそのお金をユニセフに寄付するということを企画していたけれど…うん、私にできる一番近いことはこれかも。

でもそういう直截ななにか、ではなく今はやはり知ること。そこからはじめたい。

なにをいまさら。
当たり前のことばっかり。
だけど素直に今はそう思う。

知って、自分にできる何かをやろう。
ちゃんと選挙にいくとか(いつもあまり勉強せずに当日を迎える)、沖縄のジュゴンやサンゴの危機のこととか、世界のあらそいのこととか。
恥ずかしいくらい知らなくて私はただ心配だけしている。
知らなきゃ。


一緒に生きてるんだものね。
いまさらだけど、ホント。

明日、ショウ本番

ヘアーショウの最後のリハが終わって明日は本番。
台風が来ているからお客さんが心配だ。
あと朝の入りにちゃんと間に合わせなきゃ。

本番はいつも緊張しない。けれども明日の舞台はスタッフ自体が踊りの舞台のスタッフじゃないから何があるかわからない。何にでも対処できるように視界を開いておかないと。
衣裳も初なので、ちょっと心配。
羽や髪の毛でヒールが滑るんだろう。怪我しないようにしないと。


ということで本当にソフトモヒカンみたいになりませんように。

アメフリ

雨降りの傘の下で、傘にぽつぽつ当たる雨の手ごたえが伝わってくる。

その飛沫が空気に漂って、街を白くくすませる。

霞をかき分けながら進み、ちょっと重たい空気を思い切り吸い込む。

そのかおりが好き。

私の周りのすべてに降り注ぐほんのかすかな雨粒の音は、ざわざわ、普段の街の騒音にとってかわる。

ざわざわだけれど、ひそひそ。

とてもそれは静かなざわめき。


少しだけ頭をたれて歩くのは、空がひくくなっているから。

うん、そうだ。
雨の日には空が近くにある。

街に漂う雨のにおいは雲のにおい。



見上げると、ほら、私の真上から雨は世界に広がってるみたいにみえる。



裾をまくって。

少し遠くまで歩こう。

生まれ変わるまいにち

今日は夜までリハーサル。
昨日目に映したことを、体で再現できるだろうか。

レッスンってなんなんだろうかと思う。
体を作ることはたぶんバレエのレッスンである程度こと足りる。ジャズ用の動きに慣れることはもちろん重要だけれど。
あとはやっぱりイメージなのだろう。昨日みたいに舞台を見て感じること。動きの質に憧れたり体に移すこと。


踊りはセンスだよってよく言うけれど本当にその通りだ。
そういう風に言うと、厳しいとか私にはセンスがないからとがっかりしちゃうひともいると思う。
でも受け取る側のセンスも色々。
そもそも美しいものって何?ひとがどうかんじるかなんて計算できない。
その日によっても違う感覚。同じものを見てもなんとも感じないことだってある。変なの、とはすに見ていたことにある日震えたりもする。
だからそこあるのは無限。決まりや定義はない。だから手探りしても手探りしても底がなくって、だからおもしろい。
うん、ひたすら。

私はそんな風に思う。



昨日は久しぶりに元の生徒にあったんだけれど、まだ私をちゃんと待っていてくれてる。

その時まで。
たくさん磨いていて。
私も毎日削ぎ落としたり、余分を張りつけたり、また垢をおとしたり。
しているからさ。