アマヤドリ -250ページ目

コンフューズ

自分の身体がいつもいかに嘘で動いているかを、最近とっても感じる。
どうしても振付られないと(または自分で振付を決めちゃわないと)動けない。途端に体ががちがちになってしまう。見えなくなる。
自由に動いてみようとか、こんなイメージかな、って、とらわれない部分でやりたいのだけれどどうしても自分の出来ることでしかそれができない。踊りじゃなくて動きだよ、って思っているのに変に格好つけたりしちゃう。もどかしい。けど、そこからまだ抜け出すことが出来ない。どうやってこの壁をばあん!ってぶち破っていいのかまだ分からない。

つくづく訓練不足を感じる。もっと見るべきものや学ぶべきものはたくさんあるのにな。

こんなんでドイツにいって大丈夫だろうか、って心配になる。

けれど、それはそれでいい。心配になってもそれはいいんだ。心配は心配のまま。だってすぐサボるから。
でも必要以上に心配することもない。別に完成された私で行くって思ってたわけじゃないんだものね。まっさらでいいと思ってるわけでもないけれど。自分の土俵と全く違うところなんだ、ということをものすごく意識する。

今、多分すごく悩まなきゃいけない時期。こんなままで舞台にのせられないもの。なんとかもがかなきゃ。ちょっと余裕のなかった12月だったけれどお正月は珍しくのんびりだから。
考えよう。ノートいっぱい書くくらいに。



珍しくお正月に家にいるから、母は楽しそうだ。片付けしなきゃなあ。

昨日友達と話していて面白かったのだけれど、私もそうだけれど友達も結構ずぼらだ。でも、そのずぼらさを何とかしなきゃ、って自己嫌悪に陥ってしまう(なら何とかしたらいいのに)私に対して、その子は、意思をもって部屋を汚くしている。
全て、自分にとっては合理的なんだそうだ。どうせ洗濯物もまた着るんだから畳まない。カーテンもまた開けるから纏めない。「だって無駄じゃん!」って言い切る様は清々しかった…かも。そうだ、私も、反省するくらいだったら改めればいいし、そうできないなら、もういいや、これが私!って居直ろうかな。

…だめか。
はい。片付けます。



でも本当に、部屋を片付けることは重要なことのような気がする。そういう基本的なことをちゃんとできないから私は…という部分が悪い呪縛となっている私にとっては尚更。
これを機会に片付けよう。

整理できた部屋で、踊りのことも整理しよう。

これからのことも。

お餅、忘年会の帰り道

今日はバイト先の餅つき大会。昨日の夕方くらいからもう気持ちがお餅に向かってしまってちっとも集中できなかった。
お昼過ぎから大量のもち米をいくつかに分けて職人さんたちがついてくれる。お客さんや社員のひと、女の子たち、みんなでつきたての温かくて柔らかいお餅を食べる。
とっても幸せ。
こんなふうにずっとにこにこしていたいなぁ。

夕方までやっぱりお餅がおなかにどっしり、仕事なんて半分もできなかった。今日はもういいや、と、いつもなかなかできないその他のことをやる。インデックス作ったりパソコンの中整理したり。
ここを去るまで絶対に気を抜くまいと思っていたけれど今日と明日は駄目だ。気持ちは忘年会に向かってる。


他グループの忘年会に呼んでもらってその帰り、事務の女の子に「いつ旅立つの?」と聞かれた。知っていると思わなかったから驚いたけれど、できるだけ丁寧に気持ちを話す。何だか少し泣きそうになった。淋しいなぁ。
でもいいんだ。この淋しさを持っていくけれどこの温かさも私から消えないのだもの。
みんなも、私がいることで気軽に外国にきてくれたらいいなと思う。本当に。こんな気持ちは、親元にずっといた私にとっては初めてのことだった。
転校をよくしたから慣れていると思っていたのに。子供の頃に自然に別れを迎えることとは全然違う。

私がいなくなってもあんまり悲しくないかなぁって、そういう風に考えていた。でもそれは逆に失礼な考えなのかもしれない。


世界に友達ができるんだよ。
だから淋しくない。
絶対、今考えているよりも容易で、そして困難なんだろうな。

翼としゃぼん玉

この間稽古の合間に友達に軽く整体のようなことをしてもらったのだけれど、終わったらやっぱり周りの景色の色が、とても鮮やかに見えるようになった。どうしてだろう。不思議。気のせいなのかな。

色に関することを考えることが、もしかしたら多いかもしれない。

色盲検査のときにも時間がかかるし(ぷつぷつに色んな数字や模様が見えちゃうからどれを言っていいか分からなかった)、文字には色が決まっているし、夢も色つき。好きな絵もなんとなく虹色な作品が多い。

この感覚がもっとはっきり、鋭くなってくれるといい。まだとてもぼんやりとしていて繋がらない。何にも。



色といえば、シャボン玉をずっと観察していたことがある。

シャボン玉はあの薄い表面を色んな色が流れるのだけれど、私が観察したシャボン玉は主に紫系と緑系の色が交互に流れていた。
時間が経つにつれて紫と緑は次第に金色に近づいてゆく。玉虫色みたいな感じで。私が動かなくてもその色がそっと滑る。なぞるように、時に落ちるように。
金色の輝きが増して、銀色に近づいた、と思った瞬間、シャボン玉は割れた。

その瞬間はまるでひびが入った翼のようだった。子供だった私は、白熱しすぎた陶器で出来た翼を思い浮かべたのだ。破片が残らなかったのが不思議だ、と思った。

完璧なあの丸みの中のどこから、翼の発想が出たのか分からない。
単純に軽くて飛ぶものだからかもしれないし、
翼の付け根の羽毛の密集した丸みの、あのすべらかさがそれを連想させたのかもしれない。


tubasa

脱け殻

200512101130000.jpg
少しは大きくなれたのかな
少しは枝がのびたのかな
内側に、ちゃんと繊細に。
知らなかった部分に。

ヒビが入ったとしてもそこにちゃんと空の青さが染みるから大丈夫。
立ち止まったとしても誰かがあたたかい手を肩に置いてくれるから大丈夫。

本当はなにも変わっていない。
ほんとうは、まだその時間のなかに根をおろしていて
甘い痛みとか
光る風景を
あたしは見つめ続けている

そこからからだをばりばり剥がして
先に進むこともあるのだなと
あたしは初めて気付いたのかもしれない。朝日がやってきたみたいに。

もしかしたらそんなことばかりなのかもしれないと
そんなことにも初めて気付いたのかもしれない。夕闇が迫るみたいに。

それを考えると、解決してきていた今までのことの方がずっとずっと特別だったのかもしれない。
たぶん置いてこないことが、今までは最善だった。
きっとそれだけ。



振り向くとそこに私の残像が見える。
頑なな殻を取り払われてあたしはとても透明で澄んだ瞳をしている。
でも私がそこからばりばり剥がして持ってきたものはなにひとつ無駄じゃなくて、



そこにいてね。

ときどき振り返るから、

そして見つめさせて。

コンフューズ

自分の身体がいつもいかに嘘で動いているかを、最近とっても感じる。
どうしても振付られないと(または自分で振付を決めちゃわないと)動けない。途端に体ががちがちになってしまう。見えなくなる。
自由に動いてみようとか、こんなイメージかな、って、とらわれない部分でやりたいのだけれどどうしても自分の出来ることでしかそれができない。踊りじゃなくて動きだよ、って思っているのに変に格好つけたりしちゃう。もどかしい。けど、そこからまだ抜け出すことが出来ない。どうやってこの壁をばあん!ってぶち破っていいのかまだ分からない。

つくづく訓練不足を感じる。もっと見るべきものや学ぶべきものはたくさんあるのにな。

こんなんでドイツにいって大丈夫だろうか、って心配になる。

けれど、それはそれでいい。心配になってもそれはいいんだ。心配は心配のまま。だってすぐサボるから。
でも必要以上に心配することもない。別に完成された私で行くって思ってたわけじゃないんだものね。まっさらでいいと思ってるわけでもないけれど。自分の土俵と全く違うところなんだ、ということをものすごく意識する。

今、多分すごく悩まなきゃいけない時期。こんなままで舞台にのせられないもの。なんとかもがかなきゃ。ちょっと余裕のなかった12月だったけれどお正月は珍しくのんびりだから。
考えよう。ノートいっぱい書くくらいに。



珍しくお正月に家にいるから、母は楽しそうだ。片付けしなきゃなあ。

昨日友達と話していて面白かったのだけれど、私もそうだけれど友達も結構ずぼらだ。でも、そのずぼらさを何とかしなきゃ、って自己嫌悪に陥ってしまう(なら何とかしたらいいのに)私に対して、その子は、意思をもって部屋を汚くしている。
全て、自分にとっては合理的なんだそうだ。どうせ洗濯物もまた着るんだから畳まない。カーテンもまた開けるから纏めない。「だって無駄じゃん!」って言い切る様は清々しかった…かも。そうだ、私も、反省するくらいだったら改めればいいし、そうできないなら、もういいや、これが私!って居直ろうかな。

…だめか。
はい。片付けます。



でも本当に、部屋を片付けることは重要なことのような気がする。そういう基本的なことをちゃんとできないから私は…という部分が悪い呪縛となっている私にとっては尚更。
これを機会に片付けよう。

整理できた部屋で、踊りのことも整理しよう。

これからのことも。