初詣/芸能の神様
場所柄か、若い人が多い。
花園神社は芸能の神様ということで有名。…なんだと思う。芸能人もお忍びで参拝にくるそうだ。
地元だから誰かに会うかなあとも思ったけれどそんなこともなく、もつ煮とたこ焼きを買い新年を待つ。
「お祭りみたいで楽しいね」と、二人で空を見上げる。「絶対来年はいい年にしたいもんね。でもなんかいい予感がするよ!」
来てよかったなあと思う。こんなに大勢の、知らない人だけれど新年を楽しみにしている人たちとこの時間を共有できるなんて。そしてAちゃんと一緒にこの時を過ごせて。
いきなり、わあっという完成があがり、舞台で太鼓などが始まる。
新年だ!
煙草の煙をずうっと目で追う。暗い空にとけてゆくまで。
甘酒を買って参拝の列に並ぶ。すごいひとだからなかなか進まないけれどくだらない話をずうっとして大笑いしている。Aちゃんとはいつもしょうもない話をしているな。新年早々、笑いすぎだなあっていうくらい笑った。
「足が冷たいよー」とか、「前の男の人、鳥類系だね」とか言いつつ、焚かれた火の粉を遠目に見つつ、ついに私の番。いつもお祈りすることはそんなに大きく違わないのだけれど、多分今年はいつもとその深みが違ったと思う。何も知らずに祈っていたその言葉が、どんなに重いか。それは去年私が痛感したことだったから。でもだからきっと、この祈りはちょっと神様に届いたんじゃないかな。神様も、やっとか、って思ったかもしれない。
お祈りをしてから自分とお家にお守りを買った。それからくじ引き。
くじっていつも書いてあることが面白いから楽しみだ。だから今回も楽しく読んだんだけれど…。
ひどい!Aちゃんは小吉で私は中吉だったのに明らかに私のほうが悪い内容なんだもの。
待ち人はこないし、探し物はなかなか出てこない。転居は今動くべきじゃないらしいし、商売は損もなく得もなく(とんとんってこと?それって商売になるの?)。ドイツに行こうとしているのに旅行は南に行けと書いてあるし…
良いのはひとつ、「安産」だけだった。
あたし、間違ったかなあ。今年はドイツに行くべきじゃなく、子供を生むべき年だったのかもしれない。
Aちゃんに大笑いされつつくじを結ぶ。こりゃあ、困難な年になりそうだわ。
でも勉強のところに、「怠ればおちぶれる」みたいなことが書いてあって、きっと厳しいけれども頑張れ、そのくらい甘くないことなんだぞ、って言いたいんだなあと思うことにした。
それから、くじの後ろに「外国にはない日本のよさがある」みたいな句も書いてあって、それって外国に行かずとも日本でも得られるものがあるってことかもよってAちゃんがまた笑う。違うもん。外国に行っても日本人たるよさが私を救ってくれるってことだもん!と反発する。
ああ!神様。おみくじって、面白すぎます。
ショックの渦の中にいながら、本編である芸能の神様にお参り。謙虚にお願いをしてきた。
何かをつかめますように。そして、とっても大きな何かを、って付け加えた。素敵なダンサーになれますように。
おみくじのことで大笑いしたのにいっこうに身体が温まらず、震えつつ歩いて先ほどの蕎麦屋へ。もう2時なのに、開いてる。二人で野菜天麩羅蕎麦を食べてまた笑った。
思いがけず私の乗る電車は運転していなくて(大晦日くらい全部運転していると思っていたのに!)Aちゃんのおうちに寄らせてもらう。
始発で帰ってちょっとふらふらだったけど、本当に楽しい初詣ができた。
ありがとう、Aちゃん。
よい年になりますように。
宮崎料理/込みあった部屋
昨日の宮崎料理屋さんはとっても美味しかった!鳥南蛮が美味しいよ~ってYちゃんがつれていってくれたんだけど他のものも美味しくて。楽しかった。
最近美味しいものたくさん食べてるなぁ…一昨日は世界の山ちゃんでぴり辛手羽先だし、その前の日は新橋の源さんで沖縄料理。27日はお餅をたくさん。その前はクリスマスケーキ。
食べてばかり。
でも幸せだな。みんなでご飯を囲んでたわいもない話をするのも楽しい。
もっと聞き上手になりたいな。ついいきなり変な話とかしちゃうから。
その場をしぃんとさせるのがたまに得意だったりする。空気を読めよ、私!
もっと落ち着いて話を聞いて。細かいことを見逃さないように。
感覚に頼ってきたこと、感覚に甘えてきたことのしっぺ返しが今きている。
でもそれはただものごとの裏を見ているだけであって、その表にはちゃんと良いことがくっついてる。たまたま今その悪いことに私が思いを巡らしているというだけで、全てを否定しているわけではないから。
だからこれはただ、今後の課題。だから書き記そうと思う。忘れちゃうんだもの、お調子者だから。
もっとことばを大事にしたい。上手に操るとかそういうことじゃなくて。うまく伝えることだけではなくて、大切なのはやっぱり何を伝えたいのかということ。
何を伝えたいのかを焦らず受け取ること。
うんうん、と頷いて聞くけれどそれは理解しているわけではなく話を促しているだけ。その「うんうん」に、たまに自分も騙されちゃう。わかったような気になる。
でもそれもいけないわけじゃなくて、ちゃんと持ちかえってあとから気付くことがあっても別に遅くはない。そんなこと隠し立てしたってしょうがないんだもの。
やっと分かったね、って素直に認めてみてもいいんだ。誤魔化しちゃいけない。そうだ、自分を誤魔化さないこと。逃げないでもいいんだということ。
ものごとには表と裏がかならずあって、自分の目の前にはいつもそれがからくり屋敷の扉みたいにぱたぱた翻っている。だから迷う。ことばを口にするときにも、だから相殺されてしまう。焦って全く意図しないことを口走って余計に汗をかいたり。
私は変に真面目なんだろうな。
今の私の真実を、ちゃんと伝えなきゃと思ってしまう。だから重い。
今すぐ確信に辿り着けなくたって構わないんだ。
楽に、楽に。
雑然としたこの頭のなかを落ち着かせてクリアに。
でも心はいつも複雑で多重構成で、カオスで、いい。
★ ★ ★
今日の宮崎料理屋さんは、新宿歌舞伎町の
でした。
お誕生日の人のためにお客さんの中からランダムにバースデーソングを歌ってもらおう!
という、なんともフレンドリーなお店。
とってもおいしく、とっても楽しいひと時でした。
イノベーション
ひとと接することって…
きっと一生の課題なんだろうなぁ。
今肝に銘じたはずのことできっとまた見失うこともあるし…こうして失敗して考えて、の繰り返しで、少しは素敵なひとになっていけるといいな、と思うのだけれど。
つい私は自分のことばかり考えちゃう。わがままで甘やかされてここまで来たんだって本当に痛感した。
いや、私くらいのわがままや甘ったれはたくさんいると思うけれど、私はもっと自分のことましな人間だと思ってたのかもしれない。傲慢に。もっとやさしくて思いやりもあっていくぶんかは賢いと思っていた。
でもそれは買いかぶりだった。
全然自分を知らないし言い訳ばかりしていたのかもしれない。
それを事あるごとに感じていたからひとと接することに自信がもてなかったりしていたんだろう。たぶん。
いまになってようやく少しわかってきた。
やっぱり悩むことって無駄じゃない。対人のことで悩むってきっと一生離れられないことなんだろうけど…無駄どころかここを通らなかったら私はいつか本当にすごいダメージをくらうところかもしれなかった。
一方通行であることを恐れずに。
だってすべてを理解するなんて無理。すべてのひとに理解されるなんて無理。それって、必要なこと?と自分に問うてみる。
理解が遅れてもいい。わかったらまた明日お話したらいい。
手遅れなんてないから。訂正することはいつでもできる。それは自分のことも。
この気持ちはとても素敵なものだったけれどもっと輝くなにかに生まれかえさせなければ。
またあなたに出会えたその時のためにも。
今はちゃんと生まれ変わろう。
今年最後の活動日
朝から寝坊、掃除の時間も間違え、でちょっと出鼻をくじかれる。あぁ、駄目だなぁこんないい加減なことでは…と反省。
来年はもうちょっと注意深くなろう。
秋の舞台のビデオを見た。初めて観たのだけれど…舞台空間の使い方になるほど、と思わせるものがいくつもあった。すごくシンプルなのに通り過ぎたあとにはっとさせられる、みたいな場面があって、さすがだなぁと思う。
自分の動きを追ってみると、自分の想像より小さく踊っていることにはっとした。あれしか動けてなかったの?もっと空間の球が大きいつもりだったのに。
たぶんまたじっくり観る機会はあるだろうけど反省材料が満載。いつもわりと自分は素敵だった!と自画自賛するのだけれどやはり今回はそうはいかないみたいだ。
でも嬉しい。それだけ踊れる人たちと、難しい振付けの舞台にでられたということなんだもの。
もっと勉強できるよね。もっと変われるよね。
って、進んでいくしかない。
忘年会までの空き時間に友達とじっくり話をした。最近私は心の深い部分をひとに積極的に話しているなあと思う。何故かな。
やはり話すことはうまく行かないし自分でも途中で何を言いたいのか分からなくなってしまってちゃんと伝わっているのか疑問だけれど、本音を話すことで相手から返ってくる反応やお話でじわじわ気付くことはたくさんある。
きっと…焦って伝えようとしなくていいのかもしれないな。伝えたいというその意志が見えれば相手はどうにか汲み取ろうとしてくれるし、それにだいたい、意図したことがうまく伝わらなかったからと言ってそんなの大きな問題じゃないのかもしれないとも思う。大事なことはもっとその周辺にあるのかなぁって。
そんな揺れや矛盾や伝わらないことのもどかしさはきっとだれもが経験していること。だから、それを信用して、私は安心して少しずつ話せばいい。
いっぺんに興味を持ってもらおうとするから、下手にショートカットして先が見えなくなってしまうのだ。
行き先を見失ったとしてもその道草のなかで何かを伝えてもいいんじゃないかな?頭かちかちになっちゃわないで。
ことばで何かを伝える。
ちゃんと生の声を受け取って噛み砕く。
そうすることが私には必要なんだろうな。
そうすることでもう少し自分のことがわかってきたらいい。整理したり、それから矛盾は矛盾のままで、認めたり。
今またスタートに立ってるみたいに感じている。
あたし、何を今までやってきたんだろう?この年になってゼロから?と思うことは簡単だ。
でもそうじゃなくて、色々積もった今だからここにたてたんだな、と。
そう思おう。
キヅクこととキズクこと
何だか今は飽和状態で、きっとこの飽和をさっさと雫にしたり拡散させてしまったりしてはいけない気がして。
すぐに後回しにしてしまうことも。
ただ吐き出すだけで置いてきてしまってはいけない。そのくらい大事なこと。そのくらい微妙な、別れ目みたいなこと。
本当にその場面や感情を通り抜けないとわからないことを、ちゃんと私はくぐり抜けたんだと思う。
今必要なのはそれを反芻して醸造すること。
ほんの何滴にしかならないかもしれないけれど。
灰色ってそういうことなのかな。
私は何でも単純な枠にはめ込もうとしていたのかもしれない。なんでも。すべてにそれは繋がる。よい人か悪い人か、って分けて安心するのと同じように。
単純だった。
例え誰かの真似でも、自分で咀嚼してちゃんと頷くことができればそれでいい。本当の理解は必要な場面で得られるのだから。
焦らないで、
自分をゆるそう。
ひとを信じよう。
私はまだほんの第一歩を踏み出したにすぎないことを忘れないようにしよう。
そしてそのこ とでプラスにならない悩み方をするのも、やめよう。

