アマヤドリ -245ページ目

ネロリ

不思議だな。
今とても優しい気持ち。
誰かにちゃんと受け入れてもらって優しい評価を聞く。それだけで、私はこんなに満たされちゃうんだ…
なんだか、化学反応だなぁって思う。ぱぁっと、暖かいきらめきに染まる。色が私から外にそとに広がって、でもあたしの胸はぎゅうっと引き絞られる。天に向かう準備みたいに。

逆境に強いはずなのに、
順風はこんなに私をおおきくしてくれる。


今のこの感謝の気持ちを忘れたくないな。
ありがとう。

今はこの気持ちを、明日の舞台でみんなと分かち合いたい。
楽しく踊ろうね。
楽しく。

踊り場

鈴夢さんにいただいたことば。


“「丁寧に」動くのは最初は大変なストレス。そのストレスすら楽しめる人間が階段を登れます”

そうだなぁ。
まさにそう。


バレエを始めた頃はもうぎちぎちのかちかちで、いらいらし通しだった。
ジャズダンサーの私にはちっとも楽しくなくていらぬ筋肉ばかりついてる気がして、もっと爆発したみたいにあたしは踊りたいんだよ、バレエとかそういうちょこちょこしたことは性に合わないんだよ。チュチュとか冠とか着たくないし!…と心の中で八つ当りをしていた。

でも我慢してレッスンを続けているうちに面白くなった。
体が毎日変わってゆくこと。
意識がどんどん深くなってゆくこと。
知らなかった体の隅々、知らなかった動きの軌跡。
それからバレエが楽しくなった。バレエじゃない踊りにもそれはもちろん通ずることで、自分の中のなにかがぐんと底上げされたのを感じた。


今でもバレエには窮屈さを感じる。体にも心にも。それはバレエがまだへたくそだからなのだけれど。でもそこで得られるものを知っているから。まだまだあるな、って思うから。バレエは楽しい。


で、この“ストレス”みたいなものはそういう前段階の稽古にだけじゃなくて、たぶん本番での動きに関しても言えることなのかもしれない。
これはつい最近初めて体感したことなのでまだ自分の中で整理がついていないこと。なんとなく感じただけで、まだこの手に掴んでいない。ほっといたら忘れちゃうくらいのこと。

でもこの鈴夢さんのことばで、もしかして、っていう何かまたひとつが手に感じられそうだ。

舞台の上で、200%です!みたいに楽しく弾けてほとばしることだけでは、駄目。それもまたいいけれど、その先へ行きたいから。
丁寧に、
そこで自分を少しでも冷静に感じよう。
これが客観視なのかな。

押さえることの先に、もしかしたら200%以上のものがあるかもな、という気がした。
まだわからない。
わからないけど。

表層と真相

ひとにどう見られているのかわからないのは、自分で自分のことが分からないからなのだろう。
自分の客観視の不得意さはよくわかっている。自分の思い込みの激しさもよくわかっている。分かっているのはすべてをわかっていない、ということだけかも。
…だからこんがらがっていっちゃうばかり。


もしかして自分の認識と周りの私像との間にはかなりずれがあるんじゃないか、と(その可能性は色んな方向に伸びている)いう気はしていた。
そしたらやっぱりそうなのかも。


・お酒は強そう(全く飲めない)
・ジェットコースター嬉々として乗りそう(恐い)
・恋愛は男の子も女の子もいけるくち(女の子は今のところ親友まで!)
・超右脳人間(それはそうかも)
・人見知りしない(すっごくする)
・恐いもの無し(まぁ、そうかも)
・いっつも笑顔(そうありたい)
・元気だけど繊細(元気だなぁ)
・行動が面白い(面白いことはできない)
・天然(違うと思いたいんだけど。天然ってどんなひとを指すのだろう。周りご迷惑をかけたりしてないか心配になる)
・大胆(…という考え無しでかがさつなだけ。すごく小心者)



よく言われるのはこんな感じかなぁ…。

私は自分のことごくごくつまらないおとなしい人間だと思っていてそれがちょっと淋しかったりひとと接するときに気後れの原因になったりする。だから何だかぱあっと明るい人間のように言われると本当の私はそんなんじゃないのにな、と思ったり、いや、やっぱり私は自分で自分がつかめないだけなのかな、と思ったりする。
あたしは何年生きてきてるんだ。とつっこみたいくらい、わけがわかってない。
わかんないよ、って甘えてるだけなのかな。


もしかしてハッタリがきいているのかな。
踊りも人生もハッタリは大事。なのでもうちょっとどうどうとしていていいのかな。
…と思ってみたり。



小さい頃からよく私は変な子なんじゃないか、ひとと違うと嫌われちゃうんじゃないかとちょっと恐がりながら周りをうかがってきた。そして周りに合わせることに慣れてしまった。自分の流れでその場を動かしてゆくことができない。余程心を許していたり甘えられる環境なら別だけれど。
内弁慶なのかな。
たまにはちゃんと自分をださなきゃ!と思って言ったことが何だかその場に合わなくて冷や汗をかいてしまったりすることは今でもしょっちゅう。思い出すと「わぁ!」とぎゅっと目をつぶっちゃうくらい恥ずかしいこともたくさんあるし。
緊張しすぎてとち狂っちゃうみたい。
うまくいかない。

変なひと、って思われてるんじゃないかなぁ、変わってるって素敵な場合もあるけれど、眉をひそめられるようなおかしな変り者じゃいけないよなぁ…って今でもすごく気を付けている。
そうしてその逆にそんな自分の毒にもならず薬にもならずの接し方を悲しく思ってみたり。

どうしたいんだよ、と自分に聞きたい。落ち着いて、落ち着いて。どう見られるかなんて、もういいじゃない?何だか今だに子供みたいなことに心を砕いてる。
ただ心をこめて生きたらいいじゃん。しょーもないことにとらわれなくたって、いいじゃん。



今日バイト先から得た評価は何だか嬉しくて、もしかしたらひとと接することに対して私が悩んでることはそんなに無駄じゃないし、一方で、そんなに無駄に悩んだり取り繕ったりしない自然な(ちょっとくらい変わっている)私でいいのかなぁって、少しだけ思えた。

そしてひとの評価など、とも。
大切なことはもっと他の部分で、評価は後ろにくっついてくるものなのだから…直接その声ばかりをうかがっていては、多分、いけない。

丁寧に、心をこめて。

本番を目の前にして今日のレッスンはめちゃくちゃだった。何もかも忘れちゃったのかなぁ。今ゼロでどうする。情けないけれど仕方ないや。ぜーんぶ自分が積んできたことだから。

「丁寧に心をこめて踊ってね」

と、友達のお母さんが言ってくれた。
うん、そうだ。
心をこめて踊ろう。丁寧に、は、ちょっとできる限りはね、っていう感じなのだけれど。

今はちょっと恐いや。
でも本番は楽しいしすべてをかけてやるって知ってるから平気。
みんなもいるから。
どんなに気弱になってもいざとなったら笑い飛ばせるから大丈夫。
舞台大好きだから。だから恐いんだし、これも他のことと同じ。なんにも矛盾しないし、矛盾だとしてもそれをちゃんと引きつれて踊ろう。

じんわりするものたち。

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あいちゃんのクリスマス企画 でいただいたあいちゃん撮影の、ポストカード。

綺麗にうつらないのが残念だあ…

なので、本当はこんな素敵なカードなの!

あいちゃんのページ



 “すすむことは ときどき さみしい”


どれも欲しくて選べないよぅ!と思っていて、このことばとこの青緑と橙色の対比にひかれて選びました。
もう、宝物。


写真に、こうしてことばが添えられるとまた違った感情がわきあがる。


SONNETTEさんが紹介 してくれていた写真、そしてそこで語られてるあいちゃんとSONNETTOさんの言葉を見て、うんうん、そうだ!ってこの記事を書いたんだけれど。)


私なんかけっこうぼんやりして見過ごしちゃいそうなことを、この写真をとったひとはなんて繊細に感じてるんだろう。ってどきどきする。

この写真。

すすむことは、ときどきさみしいけど、でも進むんだよね。

青なんだもん。

寂しいけど、GO!なんだよ。

全部抱えたまま。


それが、今の私の心の一部分をこちょこちょくすぐった。


あいちゃん、ありがとね!

こうしてここでお礼を言うのが遅れちゃってごめんね。



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あいちゃんのX’mas企画

SONNETTEさん