急激な眠り、ちいさいおじさん
ばたばたと風がカーテンを揺らしていたから目が覚めた。
どこかで雨が降っているのかな、と風の匂いを嗅いだけれどわからない。かわりに影絵のような遅い夕焼けと長くなびく雲が見えた。
いつのまにか本は手元に閉じられ、携帯の電池も切れていた。
なにか夢を見たような気がする。
途切られたように眠ってしまってこうして時間を飛び越えてぽかんとする、けれどその間に見たものの残り香に胸のなかがかすかに震えてる。なんだっけ、まったく覚えていないのに。
携帯を見ると同じく眠りから醒めた友人からのメッセージ。
彼は幸福な夢をみただろうか、もういちど深呼吸をしてから眠りについただろうか。
ちいさいおじさんの話がmixiニュースに出ていた。
それで思い出した友人が体験した話。
中学生の頃、部屋のラジカセのうえに350ml缶くらいの大きさの、真っ黒でぷよぷよしたかたちのものが立ってた。金属みたいだし粘土とかタールみたいだし、あまり見たことのない素材だった。形も缶みたいな形なんだけどもう少し端っこが手や足みたいにやや突き出てて、やわらかい。
顔も何もないのだけれど目が合ったみたいに感じた瞬間そいつはものすごく焦って、いそいそとラジカセの裏に隠れたらしい。
その慌てぶりは可哀想なくらいで、たぶん人間に見つかったらダメだったんだろうなと思って友人はもうそれ以上見ないであげたんだって。
その友人はいろんな不思議なものを見ていて、話を聞くとその全部がこんなふうに見たことのない質感のもの、だった。
皆さんは今まで正体がわからなかった存在を見たことがありますか?
私は絶対に夢ではない、と確信できるような状態で不思議な体験をしたことがない。
目を開けているのに夢かもしれないようなことはたまに訪れる。すごく疲れてるときとか、すごくリラックスしているとき。脳みそのぴりぴり感がいつもと違うとき。
あるひとに、私はとても霊感が強いのだと言われたことがある。でも守るものがそれ以上に強いから見ないようにしているような感じがする、と。
本当のところは私にもわからないけど、うちにはいっぱい不思議な話があります。
でもちいさいおじさんはないなぁ…。
ShugoArts 展示のお知らせ
友人の展示です。
私もまだ見に行ってないのだけれど、素敵な絵なので是非足を運んでください。
前回の個展の感想をこちら に書いています。
シュウゴアーツショー
池田光弘
小林正人
中平卓馬
日時:2008年9月6日-10月4日
12時~19時開廊(日・月・祝日は休み)
場所:ShugoArts
東京都江東区清澄1-3-2 5F
※半蔵門線/大江戸線「清澄白河」下車A3番出口より7分*map *
http://www.shugoarts.com/jp/
私もまだ見に行ってないのだけれど、素敵な絵なので是非足を運んでください。
前回の個展の感想をこちら に書いています。
シュウゴアーツショー
池田光弘
小林正人
中平卓馬
日時:2008年9月6日-10月4日
12時~19時開廊(日・月・祝日は休み)
場所:ShugoArts
東京都江東区清澄1-3-2 5F
※半蔵門線/大江戸線「清澄白河」下車A3番出口より7分*map *
http://www.shugoarts.com/jp/
すいか割りとかかき氷とか
リハーサル2日目。
今日はダンサーだけのパート練習。
振付家のマリアはイメージをどちらかというとことばで伝えるタイプみたいだ。直接それが伝わらないことは歯がゆいだろうな。
イタリア語は一時期少しだけ勉強してみようかなと参考書を開いたことがあるのとイタリア映画のおかげでほんの時々、何を言いたいのかが分かる。
お昼は出演者のみんなと楽屋食堂でご飯。
ドイツで@miに連れて行ってもらったカンティーンを思い出す。
おかずが2種類入った小鉢を2つとお味噌汁とご飯。小鉢は友達とシェアしたからおかずを8種類食べたことになる。それに、デザートのミルクプリン。
たっぷり食べて一息ついて、後半は男性と組むパート。
私は持ち上げられるの楽しいけれど男性の腰が心配。
私のパートナーはリフト経験者なのでいいけれど慣れていなかったら辛いリフトだと思う。
スケジュール的には大変だけれど真剣に舞台が創られてゆく過程が好き。
それにダンサーにはマネージャーさんがついてくれていて、その方がとてもいいひと。
細かいところまでフォローしてくれて心強いし、何よりこの仕事を愛しているんだろうなあって感じるから、信頼できる。
*
家に帰ってみたらいつもは遅くても10時には寝るちゅんが起きていた。
あれ、まだ起きてたの?
と、今はたわしくらいまでに伸びた頭の羽根をごしごししてやった。
でも何か空気が変。
時計を見たら19時だった。
いつも家に帰るのが真夜中だから今日も遅いもんだとすっかり勘違い。劇場につめてたせいもあると思うけど。
本当にびっくりした。
一緒にご飯を食べていたら隣の町の花火が始まった。
ベランダに椅子を持っていって、アイスを食べながらお父さんとお母さんと花火を見る。
今年ちゃんと花火を見られなかったな、ともう一度思う。
なにひとつ夏らしいことができなかった。
このまま夏が終わっちゃうのかなあ、と少しだけ淋しかったのだけれど、不思議なことにちょっと満足した。
今の大きかったねーとか花火の向こうの雷に笑ったり、ちゅんはやっぱり花火は好きじゃないみたいだ、とか、そんな他愛ないことをぽつぽつ口に出しただけだったんだけど。
アイスも変な、ソーダみたいなやつだし。
でも夏を締めくくれたような気がした。
ささやかに。
大所帯
オペラのリハーサルが始まりました。
私は大きなミュージカルに出た経験もなかったのでこの大所帯(舞台にあがるひとだけで100人以上います)で舞台を作ってゆくということがどんな感じなのか知らなかったのですが…。
びっくり。
全員でいちからやるのです。
ダンスはダンス、歌は歌…とパートごとに稽古をして中ごろに合わせるのだとばかり思っていたのだけれど。
総勢100人以上にスタッフさんも30人くらい、指揮者もピアノもいる(他のオーケストラはさすがにまだ)。
それを総動員して舞台を練ってゆく。
…大変な作業だ…。
そしてすなわち、リハーサルの間、いつでも出られるように待機していなければいけなくて、毎日拘束の予定たたずの意味がやっとわかりました。
しかも14時から21時と聞いていたのに、10時からとのこと…もう会社に少しもいけないかもしれません。
でも初めて身近で聞いたオペラ歌手のかたの声は、まだ全然本気を出していないにもかかわらず鳥肌がたつくらいにびしびしと響いてきました。
あれがひとの声なのか…。
自分とは分野の少し違う、キャリアのあるかたたちと仕事ができる、勉強ができるのはやはり幸せなこと。
ぶつぶつ言わず頑張ろう。
かなり色とりどりの幕開けでおもしろそうです。
舞台上に本物のアイスクリームやさんとか、お菓子屋さんとかが並ぶので、きっと毎日終わったら食べていいんだと思うと楽しみ。
私は大きなミュージカルに出た経験もなかったのでこの大所帯(舞台にあがるひとだけで100人以上います)で舞台を作ってゆくということがどんな感じなのか知らなかったのですが…。
びっくり。
全員でいちからやるのです。
ダンスはダンス、歌は歌…とパートごとに稽古をして中ごろに合わせるのだとばかり思っていたのだけれど。
総勢100人以上にスタッフさんも30人くらい、指揮者もピアノもいる(他のオーケストラはさすがにまだ)。
それを総動員して舞台を練ってゆく。
…大変な作業だ…。
そしてすなわち、リハーサルの間、いつでも出られるように待機していなければいけなくて、毎日拘束の予定たたずの意味がやっとわかりました。
しかも14時から21時と聞いていたのに、10時からとのこと…もう会社に少しもいけないかもしれません。
でも初めて身近で聞いたオペラ歌手のかたの声は、まだ全然本気を出していないにもかかわらず鳥肌がたつくらいにびしびしと響いてきました。
あれがひとの声なのか…。
自分とは分野の少し違う、キャリアのあるかたたちと仕事ができる、勉強ができるのはやはり幸せなこと。
ぶつぶつ言わず頑張ろう。
かなり色とりどりの幕開けでおもしろそうです。
舞台上に本物のアイスクリームやさんとか、お菓子屋さんとかが並ぶので、きっと毎日終わったら食べていいんだと思うと楽しみ。
『海のふた』よしもとばなな
よしもとばなななんていつ以来かな。
高校生の時か。大学生のときか。
胸をきりきりさせながら読んで、彼女の影響でスティーブン・キングも好きになったのにいつのまにかすっかりそこから抜け出てしまった。
あまりにも甘く、直截的でセンチメンタルにすぎる。だんだんそう感じるようになった。
明治神宮に見に行った版画の展示会でこの本をみつけた。
版画を見て私のこころはくにゃくにゃにやわらかく、きらきらしたものを求めていた。
なんでもしみ込んできそうなそのこころに海のふた、というタイトルがやけにしみた。
海のふた。
よしもとばななの文章は懐かしかった。
やっぱり甘くて直截的でセンチメンタルにすぎた。
でも夏が終わるのがなんとなく惜しくて、けれどまだ完全におわったわけじゃない。そんな時だから、ちょうどよかった。
ある田舎に住むほねぶとの女の子のところに訳ありの都会の女の子がやってきてひと夏を一緒にすごし、なんだかすごく深いところで仲良くなり…という、これまたよしもとばななぽい話。
でもそれでもよかった。
私はいつもこんな、夏の友達に憧れているから。
色濃くて過ぎていったそのあとにも風ににおいがかおる、そんな夏の性格が好きだから。
一緒にこの本を買った友達はフランスから1ヵ月だけ日本に帰ってきていた。
あの本読んだ?っていう話になったときに、もう泣いてしまって読めなかったよ、と言っていた。
そのことを読みながらずっと思い出していた。
彼女がどんな思いでフランスで暮らし、この夏に日本に帰ってきたか。
どんな描写もそのことにつながってしまって、私も胸がきりきりして涙がにじんで読めなくなった。
ずっと自分のことばかり考えている。
今私は自分の時間を誰にも、なににも分けてあげずに、ぎっちり自分だけに塗り潰してる。
愛情は、自分の時間をどれだけそのひとやものに費やせるかに比例する、ということばを聞いたときから、私はからだの周りをふさがれてしまったように感じた。
私はなににも自分を割いていない。
自分にしか興味がなく、なにも大事にできないのだ、と。
ときどきちゅんが肩に乗ってきてじっとみつめているとすごく悲しくなる。
私はこのこのこと大好きなんだけどな。でも私がこのこに触れている時間はこのこが待っている時間よりもすごく短い。
でも自分のことだけに時間を使うのって、実は全然満たされない。
ぎしぎしと積もるだけ。
もしかしたらそれだけでは満足していないことを、無視しているからかもしれない。
途中夜の海のシーンがあって、この夏に私が体験したことともうほんとうに似ていて、びっくりしてからだがフリーズしてしまった。
この夏にあのひかりを見なかったら私はこの部分になにも感じず、ただ絵本の挿し絵のようなイメージだけを浮かべて通り過ぎただろう。
でも、あの、命そのものみたいなひかり。
打ち寄せるどのひとつも見逃さずその高みにむかって踊るように泳ぎ、砕け散るとまた生まれる。
生まれた喜びは燃えて、ひかりそのものになって、また頂点をめざす。
それはただの月のひかりの反射などではなかった。
海の表面のほんのひとかわ下で終わりなくおきている、生き死にそのものだった。
あんな風景を当たり前にもっている人がいるのだ。
そう思うと、世界は広すぎて、私はそれを好きになるにはちいさすぎる、とまた思う。
海のふた (中公文庫)
高校生の時か。大学生のときか。
胸をきりきりさせながら読んで、彼女の影響でスティーブン・キングも好きになったのにいつのまにかすっかりそこから抜け出てしまった。
あまりにも甘く、直截的でセンチメンタルにすぎる。だんだんそう感じるようになった。
明治神宮に見に行った版画の展示会でこの本をみつけた。
版画を見て私のこころはくにゃくにゃにやわらかく、きらきらしたものを求めていた。
なんでもしみ込んできそうなそのこころに海のふた、というタイトルがやけにしみた。
海のふた。
よしもとばななの文章は懐かしかった。
やっぱり甘くて直截的でセンチメンタルにすぎた。
でも夏が終わるのがなんとなく惜しくて、けれどまだ完全におわったわけじゃない。そんな時だから、ちょうどよかった。
ある田舎に住むほねぶとの女の子のところに訳ありの都会の女の子がやってきてひと夏を一緒にすごし、なんだかすごく深いところで仲良くなり…という、これまたよしもとばななぽい話。
でもそれでもよかった。
私はいつもこんな、夏の友達に憧れているから。
色濃くて過ぎていったそのあとにも風ににおいがかおる、そんな夏の性格が好きだから。
一緒にこの本を買った友達はフランスから1ヵ月だけ日本に帰ってきていた。
あの本読んだ?っていう話になったときに、もう泣いてしまって読めなかったよ、と言っていた。
そのことを読みながらずっと思い出していた。
彼女がどんな思いでフランスで暮らし、この夏に日本に帰ってきたか。
どんな描写もそのことにつながってしまって、私も胸がきりきりして涙がにじんで読めなくなった。
ずっと自分のことばかり考えている。
今私は自分の時間を誰にも、なににも分けてあげずに、ぎっちり自分だけに塗り潰してる。
愛情は、自分の時間をどれだけそのひとやものに費やせるかに比例する、ということばを聞いたときから、私はからだの周りをふさがれてしまったように感じた。
私はなににも自分を割いていない。
自分にしか興味がなく、なにも大事にできないのだ、と。
ときどきちゅんが肩に乗ってきてじっとみつめているとすごく悲しくなる。
私はこのこのこと大好きなんだけどな。でも私がこのこに触れている時間はこのこが待っている時間よりもすごく短い。
でも自分のことだけに時間を使うのって、実は全然満たされない。
ぎしぎしと積もるだけ。
もしかしたらそれだけでは満足していないことを、無視しているからかもしれない。
途中夜の海のシーンがあって、この夏に私が体験したことともうほんとうに似ていて、びっくりしてからだがフリーズしてしまった。
この夏にあのひかりを見なかったら私はこの部分になにも感じず、ただ絵本の挿し絵のようなイメージだけを浮かべて通り過ぎただろう。
でも、あの、命そのものみたいなひかり。
打ち寄せるどのひとつも見逃さずその高みにむかって踊るように泳ぎ、砕け散るとまた生まれる。
生まれた喜びは燃えて、ひかりそのものになって、また頂点をめざす。
それはただの月のひかりの反射などではなかった。
海の表面のほんのひとかわ下で終わりなくおきている、生き死にそのものだった。
あんな風景を当たり前にもっている人がいるのだ。
そう思うと、世界は広すぎて、私はそれを好きになるにはちいさすぎる、とまた思う。
海のふた (中公文庫)


