アマヤドリ -206ページ目

お茶漬け

今日は仕事先に社長が来た。

とっても大きな会社なのでほかにも本部長やら支店長やら全部で20人くらいくっついてくる。
このために何日も前から準備が大変だったのだけれど、その準備や打ち合せも虚しくやはりばたばただった。
ばたばたには私は慣れている。臨機応変に動かなきゃいけないことは今までのバイトや舞台を通してたーくさん経験してきたから結構どんなアクシデントも恐くない。段取り悪いのには慣れてる。自分も段取り悪いから。
しかも、相手は偉くたって人間なんだし。
…と思えるのは私が気楽なバイトくんだからだろうな。

私はこともあろうに社長の係だったのでお茶やお弁当を出したりお出迎えをしたり。
私がいざという本番に強いのは練習があるからなんですよ、リハーサルもなしのぶっつけじゃ何をしでかすか自分でもわかりませんからね、と念を押す。
でもそのために衣裳代(きちんとしたズボン。いつも適当な格好で働いているから)までくれたからちょっとラッキーだと思う。



お疲れさま、ということで夜はまたも会社の部署の飲み会に参加してしまう。
行くとは言っていないのにいつのまにかメンバーに入っている。
でもまあ、私の親分は本当にたぶん日本でも指折りのせっかちさんだから、食事も早い。飲み会が2時間続くことはまずないので、潔くていい。


今日最後にみんなで鶏のスープと、私は焼きおにぎり、新入生2人がお茶漬けを頼んだ。
すると親分が、この業界にいる間は俺はお茶漬けは絶対に食べないことに決めている、と言う。俺が引退した次の日の夜、いくらや鮭やたくさん具の載ったお茶漬けを食べるんだ、と。
建築業界にはたくさんのタブーがあるのだけれどお茶漬けもそのひとつみたい。
理由は「山を崩す」から。
お茶漬けの、ごはんや具の山にお茶をかけてそれを崩して食べるその様子が嫌われる所以らしい。
ちなみにトンネル工事などの山に女の人を入れることを嫌うのは山の神さまが女の神さまだから。嫉妬されるのを恐れるみたい。

親分はもうそういった土木工事には関わらないのだけれどやはり知り合いや、自分の育てたひとや仲の良い業者のひとたちが山に関わっている以上、絶対にお茶漬けは食べないらしい。


へー、
と感心する。
だっておお真面目なのだ。

このひとの仕事に対する緩急の付け方と真摯さにはいつもはっとさせられる。

メキシコ料理

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原宿にあるメキシコ料理のお店に。駅からちょっと歩くんだけどとても素敵なお店。メキシコ人だらけで、テーブルをカルテットが回ってくれる楽しみもある。
食事もおいしい。

初めてサボテンを食べた。
おかひじきに味が似ていると思った。
あと、やはりなんとかコラーダ、という飲み物が好きだ。昨日飲んだのはピニャ(パイン)じゃなくてストロベリーコラーダだった。


ドイツで住むところを貸してくれたひとを紹介してくれた友達と。
ドイツの冒険話をたくさんした。

ふたりと逢ったんだけど、ふたりとも何か国語も話せるから、英語を学ぶことをさらに真剣に考えさせられた。


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光っているのは太陽のマークの銅っぽい飾り。



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FONDA DE LA MADRUGADA

蛍/蛍の光

本当は友達が調べてくれた、旅館から少し離れた名所に行くつもりだったんだけれど、旅館のご主人がこの近くの沢でもたまに見えることがありますよと教えてくれたのでまずはそこを見にゆく。
さっきご飯の前に登ったほうにも行ってみたけれど本当の闇みたいになっていてこれ以上は無理だね、と引き返し別のちゃんと舗装されている道を行く。

どんな明るさで蛍の光は見えるのかということを私はよくわからなかったから、とても集中して闇を見ていた。ちょっとでも光を反射しているものは全て蛍のような気がした。雨の名残の露とか、葉のつるつるしたところとか。

不意に、規則正しく強く光りながら蛍が私たちの方に飛んできた。
蛍は光っているときにははばたいていないのだろうか?少し高度が落ちる。見えないうちにまた少し高さを持ちなおして、またやや落ちながら、光る。それを繰り返しながらゆうゆうと私たちの頭上を通り過ぎていった。
音もなく、夢みたいな変な時間の感覚を残して。
何だ、すごい!
と感動はしたけれどそれはいつもの押し寄せる、心臓を揺さ振るような感動じゃなくてもっとしめやかなものだった。線香花火みたい。お葬式の夢みたい。
うまく表現できないけれど、しいんとした、小さな波紋みたいな。

やったね、見たね。
と話しながらもう少しすすむと、脇の草むらにたくさんの蛍が光っていた。
まるでクリスマスの飾りみたいだった。ちっちゃい豆電球みたいなきらきらした光。近づいても全然逃げない。それどころじゃないのかな。手に乗せても少し困惑したような動きは見せても、静かに歩き回るだけで逃げはしなかった。
邪魔してごめんね、と降ろしてあげてしばらく見とれる。
蛍はおしりの先端が光るんじゃなくてお腹がわのやわらかそうなところが光ってるんだ、と知る。

蝉とか蛍とかってさ、何年も全然違う姿で土の中とかで堪え忍んで、子供を作るためにきれいな姿になったはいいけどすぐに死んじゃうんだよね、と友達が言う。
そうだよね、と私も言う。
生きていくことって本当はなんなんだろうね。
蝉とか蛍とか、もしかしたら人間も、生きている意味は個にはないのかもしれないよね、蝉なら蝉全部、がひとつの生きもので、それを存続させることが生きる意味なのかもしれない。
人間は蝉と違っていろんな趣味や目的があるように見えるけれど結局のところそれは子供を残すということに付随することであって(たぶんそこからの逸脱もたくさんあるわけだけれど)やっぱり人間が何世紀も生き延びることに意味があるんじゃないか、
というようなことを話す。
それとも、
意味なんてまったくないのかもしれないし、
生物に最終的な目的なんか特にないのよね、というふうに落ち着く。
だってなんかそれじゃあナウシカの世界が誰かによって操られていたみたいに、この世界に何かの意志が働いているみたいだもの。そんなことあまり考えられない。
…やはりうまく言えないけれど。


蛍の光は思ったよりも強いものだった。
でもこれで勉強はできないよね、と言う。



★    ★    ★




葉っぱが二枚しかついてない?と思ったけど、全部そろってこういう形で可愛かった花。



アジサイの向こうに、熱帯の木みたいのがある。

あんまり写ってないけど。

バナナ?と思うような葉の大きさ。



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▼getter123さん『孤独な蛍』

▼kazekさん『蛍』

 すごくきれいな蛍の光の写真があります。

蛍/紫陽花、岩に生える茸

山道の突き当たりに旅館はあった。
ずいぶん古い感じで、友達によれば100年くらい前の部分もありそこは人が泊まることはできず保存をされているのだという。

ぱたぱたと子供が走り出てきて私たちに気付き、はたと立ち止まり手を腿の前にきちんと揃え「いらっしゃいませ」と元気良くはにかみ気味に声をかけてくれる。「こんにちは」と私たちも元気に返す。7歳くらいの女の子だったけれどきっと自分の立場をちゃんと自覚しているのだろうね、と話す。
私の親戚のうちも旅館をやっていてそこの子のお客さんやたまに遊びにいく私への感じを思い出した。
たくさんの人が入れ代わり立ち代わりするところをみるって、どんな気持ちなんだろう。

旅館の旦那さんはとても気持ちのいい人で、今日は蒸し暑いし蛍が見えるかも知れません、と言ってくれる。
蛍は雨が降ったりして気温が下がると出てこないのだという。

ご飯まで間があったから付近を散歩。私は食いしん坊だから遅いお昼だったにもかかわらず腹ぺこだったが友達は小食だからお腹が減ってないらしい。
付近の沢を登る。恐いくらい暗いから友達を気遣いつつ。雨のあとだからちょっと滑りそうで恐かったけれど旅館に借りた草履は滑らないようになっていたから大丈夫だった。

静かに水が流れていてとても不思議な気持ちになった。
東京に住んでいると木や動物や虫たちは人間にどこかに追いやられているように感じる。でもここには人間なんか目じゃないくらいたくさんそいつらが生きていて、本当は人間なんて些細な存在にすぎないんだろうと感じる。人間が自然を壊している、とか保護しなきゃ、なんて実は人間のためのことなんだろうね、と話す。
霧がかかっていて髪の毛がどんどんしっとりしてくる。髪がくりくりだよ、と言われる。



夕ご飯。
日本の、ちょっとずつ出てくる食事の意味が昔はわからなかった、と友達が言う。でもお酒を飲むようになってこれはつまみの感覚なんだと思った、と言った。
私はもっと別の、日本の文化からみるとこのちょこちょこ出しにはあまり違和感がなかったし友達とは違う見解があったのだけれど、うまく言えなそうだったから、しかもそういう見方も面白いとも思ったので何も言わなかった。

胡桃豆腐とか、鯉のお刺身とか食べたことのないものを食べた。
でも中にひとつ本当に知らないものがあった。きのこ鍋に入っていたのだけれど見かけはまるで大山椒魚の皮。か、薄くて巨大なきくらげ。
もしかしてダシとして魚の皮を入れているのかな、と推測しあった。でも食べてみたらちゃんときのこ類の味がする。何だろうなんだろうと仲居さんに聞いてみたら、高原のさらに高い場所に生きている、岩にはりついているきのこだと教えてくれた。採るのが難しいらしい。岩によじ登って採るとか。
燕の巣みたいだと言うとそこまでは、と恐縮された。
それから紫陽花のてんぷらも食べた。予想外に、ベリーの味がした。ポッキーとかにありそうな分かりやすいベリーの味。それがベリーに似ていると分かるまでずいぶん何度も味わったり鼻に残る香りを確かめたりした。


ご飯がおわってついに蛍を探しに。



★    ★    ★






灯篭の上に、もしゃもしゃ髪の毛みたいに植物が生えてる。

どうしてもこいつはここに生えたかったんだねえ、と可笑しくなる。

蛍/左ハンドル

蛍を見に行った。

車での小旅行は久しぶりだった。友達に車酔い大丈夫?と聞かれたので、車に愛情を持って運転してくれたら大丈夫。と答える。
危なっかしい私のナビで車は進み、だんだん平坦な景色になることが嬉しい。空や雲だと思っていた部分が薄い灰色の山だと気付いてはっとする。
先週の友達といた時もそうなのだけれど、車の中という狭い空間に長い時間一緒に包まれていると少しずつ自分のことを柔らかく解きほぐして見せていけるように思う。大事な会話をしてるわけでもないのだけれど、些細な話題にも自分の色がいつもより余分にのる、ような気がする。
もしかしたら全部を任せているからなのかもしれないなぁ。だとしたらこの感覚は運転を任せている私だけの感覚であって、運転をしている側にはまた別の感覚があるのかもしれない。


地図を見るとやはりお蕎麦が美味しいらしい情報があったので、次に見かけたお蕎麦やさんに立ち寄ろう、と決める。決めた後に一件小さなお店を逃し、次のお店に入る。
かなりのおばあちゃんが出てきて畳の部屋が日差しを避けて心地いいから、と通してくれた。TVも付けて見てくださいね、と言ってくれる。まるでおばあちゃんちに来たみたい、と友達は嬉しそう。
私は鱧とまいたけのてんぷらつきのお蕎麦、友達は胡桃のつゆのお蕎麦を食べた。胡桃のつゆはしっかりした味で、でもしつこくなくて美味しかった。この味は、またいつか思い出して食べたくなるような味だ、と何度も味わっていた。
安っぽい昼ドラマを見たりちょっと畳に寝転んだりして寛ぐ。
私は運転ができないので代わってあげられないことを気にする。
助手席にいるといつも対向車の明かりに目が行ってもし自分が運転したらその明かり目指して進みそうだという話をする。いつも私はそういう、自分がそんな危ないことをしてしまうんじゃないかという恐れを抱いているんだ、と話す。絶対そんなことするわけがないけれど、しちゃうんじゃないかとただ自分を疑うんだ、と。
すると運転を代わってもらおうとは思わない、ときっぱり断られた。
でも、と私は食い下がる。
たぶん私はいつも助手席にいるから左ハンドルの車を運転するといいと思う、と言い張った。そして運転するなら誰にもなめられないどっしりした車がいい。すると友達は以前キャデラックという大きくて燃費ばかりかかる傲慢な女の人みたいな車に乗っていたから次はスマートという小さくて可愛い車に乗りたい、と言った。

キャデラックって、タバコの名前みたいだ。



なかなか山道っぽくならなくてこんな人のたくさんいるところにやつら(蛍のこと)がいるとは思えない、とだんだん不安になってくる。
旅館に着く直前、国道を離れたとたんにものすごい山道になる。決してすれ違ったりUターンしたりできないね、とひやひやしながら(すれ違えたけど)少し霧の流れている林の中を進んだ。
だんだん四川省にいる気がしてくる。蛍にも出会える気がしてくる。



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胡桃のつゆのおそば。

あっさりしたミルクのような味。…よりももうちょっとすっきりした味。