アマヤドリ -106ページ目

2007年 隅田川花火大会


ヘリコプターは2回目。
一度目はおととしNちゃんと行ったグアムで。
あれも本当に素敵な体験だった。空と海と緑とがあおくて。
リンクさせようかと思ったけどびっくりするほどなよなよした日記だったから、やめておく。

今回は夜のヘリコプター。

え?ここ?ここで合ってる?というくらい、ヘリコプターが発着しなそうな普通の倉庫。係の人がいてくれなかったらちょっと入れなかったかもしれない。
待合室には浴衣の女の子や、ホストみたいな感じの男の人や、お父さんお母さんくらいの年齢の人も。子供はひとりもいなかったなあ。
扉に貼ってある色んなヘリコプターの紹介を見たり、わりと大きな車の模型をひっくりかえしてみたり、全然落ち着かない。

グアムで飛んだときはかなり風が強くて、飛ぶ前に心配だった。私はジェットコースターがとても苦手で(落ちる感覚がだめ)、飛行機がエアポケットに入るときみたいにぐんと落ちることが多いんじゃないかと思っていたから。あとは、宙返りとか、頼んでもいないのにやるんじゃないか?とか、そういう心配。
だけど上下動はほとんどなくてすごく楽しかったのを覚えていたから、怖いなあ、というのは全然なかった。
一緒に乗る子はかなりびくびくしていて、夕飯の時にやたらとビールを飲んでいたけど。
酔っちゃうかもよ、と私が言うと、「怖いから酔っておく」とか言ってた。

ヘリコプターに乗って羽根が強く回りだすと私も少し恐くなる。
無口になる友達。

だけど結局は恐いことは何もなくて、いつのまにかぐんと高いところまで昇ってしまった。

私はかなりビデオを撮ることに必死になっていた。
この光の川はなんなのだ、と思う。
私が眺めているこの景色は、なんなの?
誰もわたしが見ていることを知らない。
この視界の中にはどれだけのひとがいて、そのひとたちが自分のくらしをしている。自分の頭のなかでいろんなことを考えている。

TV中継のヘリと違ってずうっとうろうろしてくれるわけじゃないから、花火を見られたのは一瞬だった。
小さな噴火口みたい。

あらしとあらしのあいだ


最近やたらとねむたい。
春先にねむたいならわかるんだけど、どういう仕組みでこんなにねむたいのか。
大きくなるんだろうか。
栄養をとらなくては。

8月から本格的に次の舞台の準備。3つの舞台がほぼ同時期に重なることは初めてなので少し不安…になるべきところなんだけど、やっぱりわくわくしちゃう。追い詰められたり土壇場に立たされることが自分を強くしてくれることを知っているから…なのかな?だからいつもぎりぎりまでなにもやらないのかしら。
だけど、自分をぎりぎりのところに置くことと、それでだらしなくなってしまうこととはまったく別。反省しなきゃ。


8月だ。
夏。

TVの砂漠状態だった1年間を経てここ数年で得た縁や手応えを、大事に思っている。
かたちにしたいという想いもたくさんあって、だけど一時期の焦燥から解放された今。
安穏としてばかりではいけないな。私は基本的に、内面でたたかうひとなのだ。たたかって、そのうえでやさしくありたいのだ。
なのになのに。

きちんと掘り出そう。
目移りや眠気も味方にできるはず。

まあるい花火



正解は!

ヘリコプターでした。


花火よりずっと高いところから花火をみました。

ほんの一瞬だったけれど。


ひとのつくるひかりは、味気ないものだと何年かまえまで思っていた。
だけど街のひかりも、車のひかりも花火も、目にちゃんと染みる。


ヘリコプターのなかでみんなは大興奮でした。
おじちゃんもおばちゃんも、浴衣の巻き毛の女の子も、ポロシャツの男の子も。
旋回するはねの音に負けないくらい。

花火を眺めに

今日は隅田川の花火大会。

前から友達が、28日は面白いことをやるから空けておいてねと言うので、きっと屋形船をみんなで予約して遊ぼうということなんだろうと思っていた。
屋形船、一回乗ってみたかったんだ!
浴衣でも大丈夫かなあ?
でも船酔いしやすいから心配だ…。
と、ちょっとわくわくや心配もしていた。

そしたら…
待ち合わせは船着場ではありませんでした。

さて。
一体私はどこにいくんでしょう。


お楽しみに。

冷えた月は、逆に。

あーあ、おうち遠いな、と電車に揺られていたら、窓のそとにとつぜん橙色の月。
なんとなく紅い月を不吉なもののように感じていたけれど外国ではそれはよい兆しなのだということを知ってから、ざわざわ以外のものを感じるようになった。
青白くて清廉潔白みたいな月とは違う貌。
見守る月じゃなくて、どこか孤高の存在じゃなくて、息をした、わたし、な月。

金曜の夜の人込みにごつごつぶつかりながら、空想のメッセージ。
わたしとそのひとの関係はその月に相応しい。

紫か、
と新鮮なイメージを楽しみながら帰ってきたおうちのドアの色が深い紫色だったことにはじめて気付いたような気がした。