「先生はすごいですね☆」
と言われて一瞬
「誰のこと? 」
と思い、話を聞いているうちに
私のことだと気づいてビックリした
先生・・・ですか?
私が?
なんだか気恥ずかしいというより、
申し訳ないというより、
滅相もない・・・という感じで・・・
「あの・・・愛ちゃんでいいですよ」
と言ってみるも、
歳を考えると「愛ちゃん 」という
ガラでもないのか?
と思い直し、
「愛さんでお願いしますぅ~^^;」
と言ってみた。
実際、先生でもなんでもいいのだけど;
「先生」「先生」と呼ばれて
自分も常に学ぶべき存在であることを
忘れてしまいそうで、
どこか抵抗があるのだけど・・・というより!!
そもそも、私が人を先生と呼ぶときには、
教えて頂くことへの「感謝」を表すときに
使う気がする・・・
お客様たちは「感謝」を表してくれていると思うと、
ありがたくその言葉、「気持ち」を
受け取るべきなのだろうけど・・・^^
(なのでありがたく受け取ってはいますけどね^^)
でも・・・
きっと私の中で「教えている」という
気や感覚がないのだと思う。
何故なら、お客様や相手を通して自分を見つめ、
自己への気づきを促されているだけなので・・・
(それらをテクニックやコミュ二ケーションでシェアしているだけ。)
(治療でもないし、教えているわけでもないのでね^^;)
逆にこちらが「先生」と呼びたい気さえしてくる^^;
「先生」は「自信」や「誇り」にもなり、
相手への「信頼」にも繋がると思うので、、
悪いものでもないのだけど、、
これは個々の価値観(真我)の問題で、
やはり私には「先生」は似合わない
私のお店では常に相手と同じ目線で
共に学び合う仲間でいることが
とても心地よい空間
仕事には誇りを持って
今持つ120%の最高の気持ちよさを提供出来るよう
させて頂いているけれど、、、
私は完璧ではないけれど常にベストの状態であるよう、
自分が裸の王様になって
自分の姿を見失うことがないよう、
お客様へのアドバイスは、自身への気づきであるよう、
謙虚さを持ちながら
常に進化していきたいと思います。
そこでお客様たちにお願いが・・・
私が裸の王様ならぬ、
「裸のおばちゃん」になっていたら、
「愛さん、裸のおばさんになってるよ 」
と、そっと教えて下さい^^;
※それゆえ、お客様たちには
私の話を100%鵜呑みになさらないようにお願い致します。
「それは違う」と思えばそれでいいのだと思います。
私のセラピーは依存型セラピーではなく、
自立型セラピーです。
お客様自身が自分で感じたことを自身で考え判断する力、
「観自在」であることを知っていくセラピーだからです
例えば「こんな感じ」に
真我に基づいてワクワク生きていけるセラピーです^^
・・・あぁ「先生」も観自在にただ受け取ればいいのか
おバカね;私って;;;(ねー☆先生ではないでしょー^^;)
経験豊かな普通のおばちゃんになりたいセラピスト愛