ついに来た!避けては通れない課題を学ぶ時☆1-2 | チキチキ☆トレイン

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笑いあり☆涙あり☆チキチキあり☆
チキチキ列車に乗りながら
行こうよ愛の終着点

昨年から学びたいスクールがあった。

それは
私に欠けているもので、
そして
私の人生でもっとも「苦手な課題」を克服しなければ
それを得ることは出来ないものでもあったのだ   

今まで私はそれをパス して来たのだけど;;;

どうにもこうにも避けられない…というか、
おそらく、自分がその問題を「クリア出来る時期」に
差し掛かったのだと思う。。 

思えばそのスクールに「引き寄せられた」というか、
「引き寄せた」というか。。
そのスクールとの出逢いには、
今まで学んで来た数々のセミナーとは全く違った
不思議な感覚があったのだ

そのスクールは、私が学ばせて頂いた
シータヒーリングの先生が考案された
心身のトリートメントのスクールなのだが。。

これは…

単に技術や手技というものでもなく。。

内側から大きく自分が成長していく
宇宙のような。。壮大なものであるような
気がする…

人生の大きなテーマである

「愛」

ただそれだけでアプローチしていくもののように
感じたのだ 

私が初めてそのアプローチを先生から受けたとき…

殆ど触れられていないのに
触れられた気持ちよさと安心感。。
そして確実に心身の深い緊張が解れているのだ

触れられないアプローチは
他でも受けたことが何度かあり、
確かに触れていないのに解れているのだけど、
当然、触れられている気持ちよさが無かったり、
必ず何か一つが欠けているものだけど。。

「愛」のスパイスがこんなにも大きいとは
今回の一回目のワークで
私の中で決定的な衝撃となったのだ☆

私が練習で組んだ看護士さんは
ボディケアやトリートメントのテクニックが
全く無いのにも関わらず、
身体の知識と「愛のエッセンスだけ」で
私を心身から「癒し」、確実に「解して」いたのだ…。

彼女は私の身体に手をあてがっただけ…

なのに彼女を通して出る「宇宙=愛」のエネルギーが
私の「治癒力」を目覚めさせ、
引き出してくれたように感じたのだ。。

それはものすごく大きな温かさで
私を包んでいるのを感じて。。
私は彼女に安心して身をゆだね。。爆睡してしまった

人は…強制的なものには癒されないものだ。。
強制的なものには身体は自然と反発的な反応を示してしまう。。

それはここ最近、特によく感じていて
何かにつけて枠にはめられるような
上から押し付けられるような。。違和感を感じることがある。

心身の様々なトラブルはどんな資格や力を持った人でも
他人が解決するものではないと感じる。

私は慢性関節リウマチを二十歳で発症して
一時は起き上がって立つことも不自由だった時期がある。

発症当初は死に関連する方のリウマチかも知れないと
誤診を言い渡されたこともあるけれど;;;

それでもけして一度も
「どうして私が?!!」と思ったことはない。

「私だからなった」のだ。と思った。

どんな形の結末であっても
(たとえ治らなくても)
「それを乗り越えられる自分だからなった」と思う。

自分に起った問題は無駄ではなく、
キレイ事に聞こえるかも知れないが、
必ずそこには「気づき」があるものだと思う。

人は気づくことで成長する。。

成長する為に人生があるのだと思う。。

私にとって、
今起っている問題は成長の肥やしなのだと思う。

だから他人が私の変わりになんてなれない。

現実に人の変わりになれることはできない。

だけど。。

人は完璧ではないから

一人では解決できないとき。。
心が折れてしまいそうなときがある。。

そんなとき
ただそばに寄り添っていてくれる存在があれば
いいと思う


出すぎてしまうと
ただのお節介になって双方が疲れてしまうし
途中放棄になりかねない
(お節介無責任とバンバンは呼んでいる


特に私たち癒し家は治療家ではない。


高い技術や知識、
スピリチュアルな力を持ち始めると陥りやすいのは

「私がなんとかしなければ!!

と相手の心身の治癒力を
軽んじてしまうこと。。
(自分もついつい真剣になり「過ぎ」て
押し付けがましくなっているような…気がする

私は…それが
自分という、いち人間の存在を
認められていない気がするのを感じて
違和感を覚え始めたのだ…

「お母さん!
私はもう一人前の大人なんだから
そろそろ認めてよ!!>0<」

そんな感情と似たような感覚がある。。


とはいえ。。

「だからと言って無視しないでよ!!>0<」

という我がままもいいところなのだけど


手伝う程度に少し手を貸してくれたり。。
そっと寄り添って私を「信じて」
見守ってくれる。。

そうすることで
ようやく自分というものが認められ
受け入れ始め。。安心し
身体の底から愛されていることを実感し
心身の深いところから開放され


癒される気がする。。
(私はね^^)


人を癒すことに
高度な技術や特別な力は
必要ないのだと感じたのだ。。


(ついに来た!避けては通れない課題を学ぶ時☆2-2へ続く)

バンバン☆