【ドラッカーは、文筆家兼学徒だった!】Vol.771 | philosophia(philos愛好する+sophia知)→学問愛のブログ

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おはようございます、philosophiaですキャップ



今朝は、今年の初めから毎朝少しずつ読み進めてきて


まもなく読了する『ドラッカー全集(5分冊)1972年初版



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「日本版への序文」の中で、自身のことや著作に対して


唯一語っている部分をご紹介します。




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「長年にわたって多くの人が、私を適当な位置にすえようとして


あるときは、“経済学者”、またある時は“歴史学者”、


さらには“社会学者”等々と呼んできた。


これらのレッテルは、どれも当てはまらない。最初からわたしは、


自分としては、“社会生態学者”とでも呼びたいものであったと思う。」




ドラッカー博士は、人間社会の環境というものを政治的・経済的・技術的


多面的な側面、つまり学際的なアプローチで著作活動を始めている。


実際、最初の著作は『経済人の終わり』のなかでナチシズム(全体主義)の


解明を行っている。



自身は、自分のことを「文筆家兼学徒」とも言っている。


それは、ゲーテ『ファウスト』に出てくる物見の役リュンケウスに


自身をなぞらえて、「傍観者」という表現も使っている。



ここでの「傍観者」意味は、


「見るために生まれ、物見の役を仰せつけられ」ということで、


変化を見つけ、知らせるという役割としての傍観者の意味で、


それを文筆家(ライター)として著作に著わすドラッカーである。




ドラッカー的な表現だと「知覚する」ということ。


見えないものを見ること(変化の前兆)こそが、


ドラッカー著作の真骨頂と言える。



最後にバリバリ頃のドラッカー博士



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(1970年 61歳当時 ニューヨーク大学にて講義中)





challenge→change→chanceの精神で!




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