HIROのホリスティックヘルス探究記 -15ページ目

HIROのホリスティックヘルス探究記

人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

ゴールデンウィークに実家、浜松に帰った時、父はまだ癌だとはっきりは分かりませんでした。
その後の検査で、膀胱から始まり、腎臓、肝臓、肺、骨髄、脳・・・とにかく全身に転移のある癌であり、余命も数カ月であることが、ここ1~2週間の間で分かりました。
父、と言っても、87歳のおじいちゃんです。
考えようによっては、健康診断も何もやらずに87まで元気に生きてきたのは凄い事です。
最後の1~2年は病魔に襲われているのを気付かずに過ごしていた事になりますが・・・。

これが私の父と母です。
恐らく最後に二人で写った写真になるでしょう。
母も元気ではありません。父がこんな事になってしまったので、何とか気丈に振舞っているという感じです。
もし、両親が人生の最後を迎える時がきたら、出来たら病院ではなく、家で迎えさせてあげたい、とかねてから思ってきましたが、痛みが強く苦しいし、歩く事もままならなくなり、尿も漏れてしまうし、母もそんな父を介護するだけの体力が無いし、という状態で、実際には家で最後を過ごすということがとても難しい事なのだなと思いました。

浜松から出て、東京の大学に行く時に、父と大喧嘩をした事を思い出します。
父は、私に、「この家も不動産も、家の財産は全てやるから、大学が終わったら浜松に戻ってきて、この家を継げ」 と言いました。
当然私は「自分の人生は自分で決める。私の人生を勝手に決めないでくれ。そんなこと言うならば、この家から出ていく。財産なんかいらない。」と、2人で大声で怒鳴り合いをしました。

家に戻りたくない、家から離れたかった理由は、「兄」でした。
兄は、強迫神経症という精神の病気で、私が小学校1年生の時に発症しました。
両親はその事は私には内緒にしよう、と、こっそり話していました。その言葉をちらっと聞いてしまった小1の私は、当時は頭の回転がよかったようで、たったそれだけの会話の内容から、全ての状況を把握してしまいました。そして、内緒にしようと言っているのだから、私は知らない事にしないといけないのだな、という事まで瞬時に理解しました。
だから、近所のおばちゃんたちに色々聞かれても、大人のようにうまく話をごまかすなんて事も覚えてしまいました。
最初から知っていたよ、というのを打ち明けたのは、大学に行く直前だったように記憶しています。

発症時、大学生で東京に出ていた兄は、大学に行かなくなり引きこもり、そのうち家に戻ってきて、そして・・・家に置いておける状態ではなくなり、精神病院に何度も、何年間も入院していました。
どういう状態かというと、イライラして物を壊したり、大声で叫んだり・・・。私が小学校から帰ったら家の窓ガラスが全部割れていたり、茶碗やお皿が台所の床一面に割れて散乱していたり、父親の顔を真っ赤に腫れあがるまで殴ったり・・・色々ありました。
兄と姉は歳が近いので、姉は幸い大学生で岐阜に住んでいたので、そんな状態を見ることなく過ごすことが出来ましたが、1人年の離れた私は小学1年生から高校3年生までの12年間、こんな状態を見て過ごしてきました。それでも大学に入る頃には兄も少し落ち着いてきていましたが、とにかく家から離れたい、その一心でしたから、「家を継げ」なんて、とんでもない話でした。
少なくとも兄の病気に私は何の関係もないわけです。
家に戻る=兄もついてくる わけですから。

その後も父には何度も「お兄ちゃんは今後どうするの?」「あの人の見の振り方はどうするの?」と聞いてきましたが、その度父は「どうにかするよ」とか「どうにかしないといけないけど、どうにもならんだぁ。まあそのうち何とかなるらぁ(方言)」と言いました。

時は経ち、そんな兄も58歳。
いまだに病気は治っていませんが、以前のように暴れることはなくなりました。
私は家には戻らない人生を選び、現在埼玉で暮らしていますが、時々浜松に遊びに行った時に兄を見ては、随分病状は落ち着いてきているなと思うようになっていました。

そして先週末、浜松に戻った時に、父に言いました。
何度もお父さんには「お兄ちゃんをどうするの?」って聞いたけど、「そのうち何とかなるらぁ」って言うだけで、結局何ともならないうちに病気になってしまったね。
あん時(大学に出る前に喧嘩をした時の事)さ、家には戻らないって言って喧嘩したけど、結局は私がこの家の全責任を総括して受け持つしかないね。名字は変わったけど、ほらね、こうやってちゃんと戻ってきたでしょう?
お兄ちゃんも私が何とかするから、もうお父さんは安心していいよ。

父はそれを口にすることはありませんでしたが、やはり私を頼りにしていたようで、そう言ったら黙ってうなずいていました。そしてそれがあたりまであるかのようにすんなりとバトンを渡してくれました。

実際私にそんな力があるのかどうかは分かりません。
でも、人生っておもしろい、そう思えるようになりました。
父親の死を目前にしておもしろいとは何事だ!という感じですが、本当に面白く感じています。
人生に「たら」「れば」は、あり得ませんが、あの時父親の言う事を受け入れ、大学が終わったらすぐに浜松に戻るような私だったら、こんなセリフは言えなかったし、実際にどうしていけばよいのか分からずに困っていたのではないかと思います。
浜松に戻らずに、色んな人と出会い、別れ、ヨガに触れ、ブッダを読み、色々な縁が生まれ・・・そんなことが巡り巡って、今やっと私に任せて、と言える「私」になったんだなぁと、自分で実感しています。
無駄なようでも無駄ではないし、回り道に思える事も一つ一つ大事なことだったし、それは今後もきっと同じだし、「今」現在も同じだな、と。
そんな事に気がついてくると、全てが大事だし、全てが楽しいし、これがどんな風に今後に繋がるのだろうと思うと、わくわくしてしまうのです。
兄も1人の人間です。でも今まで人間ではなく物のようにみんなに扱われていたように思います。大変な事もあるとは思うけれど、そこから得るものもあるはずです。さあどうなるのか?逃げずに頑張ってみます。

父に対しての願いはたった一つ。
痛みだけは感じさせないようにしてあげたい。
肉体はもうボロボロになってしまったから、この辺で自然界に戻す時が来たのだろうと思います。
でも、大事な大事なその中のものは、ずっと私の中で生き続けますから。

生、死。
過去、現在、未来。
出会い、別れ、縁。
そんなものが今、私の中でぐるぐると渦巻いています。
何か大事なことが分かりそうで・・・まだ分かりません。
でも凄く単純な事のように思います。

それが分かるまで、私はとにかく「今」を一生懸命に生きなくてはいけないな、という事だけは分かりました。

もう残りが少ないから。
父との「今」も、一瞬一瞬、大事に過ごしていこうと思います。
父は、この瞬間という「今」の大事さを、身をもって最後に私に教えてくれたように思います。

父の日までは生きてくれるかな・・・。
ありがとう、お父さん。

とても久しぶりにブログを書いています。
色々と感銘を受けることはあったのですが、文にすることが出来ずにいました。

今回は生まれ育った町、浜松に帰省したので、その時ののどかな様子をレポートしようと思います。

現在は浜松市ですが、私が住んでいたころは、浜名郡可美村という「村」でした。
家の周囲は田んぼや畑で囲まれていて、家が無いところの方が多かったです。
春にはつくし、蓮華、クローバーが咲き、梅雨の頃にはカエルが合唱
夏にはせみがうるさいほど鳴き、秋にはいなごの大群が見られました。

今はもう、そんなところも埋め立てられ、随分家やマンションが増えました。

それでも、実家の目の前は、田んぼを埋め立て、浜松市立のドデカイ公園になっているので、人工的ではあるけれど、埼玉と比べたら、ず~っと緑は多いし、昔のままの野草も残っていたりして、のどかに時間を過ごせる空間が広がっています。

実家の本当に目と鼻の先から公園は始まります。
こんな風に見渡す限りの公園地帯です。

少し歩くとネットが張ってあるグランドもいくつか見えてきます。
奥の方には体育館や弓道場もあります。

ちょっとした遊具も備え付けられています。

ほら。
このクローバーは昔からず~っとここに代々生えているクローバーです。

もっと歩くと夏にはスライダーも使えるようなプールもありますし、テニスコートもあります。

中学、高校の色んな部活の大会などでよく利用されている施設になっているようです。

ちなみにこれを撮影したのはGWの真っ最中。
なのに、人がほとんどいない

あははは

これが都会だったら、バーベキューだのなんだので混んでいるのでしょうね。

家から出て近所のスーパーやコンビニに行くまでも、だぁ~れにも会わずに行けたりしちゃいます。
人通りも少なく、時間の流れが本当に緩やかなのを、普段都会とは言い切れない埼玉に住んでいてさえ、感じます。

そこに住んでいる時には感じなかったけれど、こんなにいい街が故郷で良かったな、と、しみじみ感じるこの頃です。

こんなのどかなところを歩きながら、人の「死」について考えていました。

今回帰省したのは、父が病気になってしまったからです。
父と言っても、年の離れた兄姉がいるので、大正生まれのおじいさんですけど。

気付いた時にはもう末期の、あちこち転移のある癌でした。

現在まだ闘病中ですが・・・。

死とは。生とは。人生とは。人間とは。お金とは。心とは・・・。

何もかも結論は出ないし、ブログに書くような文にも出来ませんけど、何か凄く大事な事が分かりそうな気だけしています。

きっと最後まで父を見送りながら、もっと深い事に気付けていくような気がしています。

今、書けるのはそれだけです。


何もないけれど、ただただのんびりしたい方は是非訪れてみてくださいね、浜松市立可美公園




恥ずかしい事ですが、ヨガというものに出会う前の私はとても嫉妬深く、独占欲が強い女でした。
例えば好きな人が出来たりすると、その人の言動を監視したかったり、気になって仕方なかったり、携帯を見たがったり、とにかく何でも約束してもらいたがったり、その約束を守れないと怒ったり、おそろいのものをつけている事で安心したり、時には言葉で責めたり脅かしたり泣いてみたり・・・とにかく自分にだけ気持ちを向けてほしくて、つまり相手を縛ることで安心していたわけです。

ここに書いたような事、読み返してみると、とても醜いですよね。

今の私ならそう思えます。

そんな事をしても、結局は人の心は縛ることは出来ません。
縛れば縛るほど、表面的には安心出来るような言葉をもらえたり、行動をしているかのように装っていても、本当の心、純粋な魂は、きっとそうではありません。
そこからは何も生まれないか、生まれるとしたら自分の思い望んでいた結果とは逆のものが生まれるでしょう。
縛っている側も、それに気付きながらもどうする事も出来ないのかもしれません。

以前はそうではなかったのに・・・なぜ変わってしまうの?
そんな事を思うのかもしれません。

人の心は移りゆく風のようなものです。

人の心をあてにして、自分の心を満たしていると、自分の心は乱れます。

約束を守ってくれなかったから悲しい。
メールの返事が来ないから落ち込む。
プレゼントをしてくれないから気持ちを疑う・・・。

どんどん自分というものが無くなります。

そしてひどくなると訴えたくなったり、犯罪に移行したり。(私は犯罪は犯していませんよ!)

過去の私と今の私は別人です。
醜い私にはもう戻りません。
でも、醜い事というものがどういうことなのか、それを知ることができ、それをどう克服すればよいのかが分かった事は人生の宝です。

いや、分かった、わけではないですね。
いまだ分かるための修行中です。

ヨガ、というと、大半の人はポーズをとるヨガを思い浮かべるでしょう。ヨガはスポーツの1つだと思っているでしょう。「ヨガって痩せる?」そう聞かれる事も多いです。
まあ、そんなところからヨガというものに入っていくのが普通だと思います。
例外なく私もそうでした。

でも、本当にヨガにはまっていく人は、もっと深いヨガを知っていきます。

ヨガとは本当に人生そのものなんだと思います。

今の私も落ち込む事も、悲しく思う事も、切なく思う事もあります。
そんな時、誰かを責めたり、誰かを自分の思う通りに動かしたりするのではなく、ただただ静かに自分の中心軸を探し、そこに意識の軸を一致させていきます。いわゆる「瞑想」です。
時には色々考えないようにしようと思っても、頭の中に浮かんできてしまい、上手く瞑想が出来ない事もあります。でも、とにかく瞑想を繰り返します。何日も。

すると、徐々にいろんな思いが薄れてきます。
そして、なんでも許容出来る自分が生まれてきます。待つ事が出来る自分も生まれてきます。風に吹かれるように、流れにゆだねることができる自分も生まれてきます。

今のところ、こんなことの繰り返しの毎日で、偉そうなことを言える段階にまでは至っていませんが、ヨガを通じていろんな出会いもあり、人生も私も変わったなと自分で自覚が出来ています。

人の心は物では縛れません。

ただ私に出来る事。
それは自分の軸を強く太くし動かない軸を作る事だけです。
見えない軸。
でも私にはこれが必要です。
それはとても大きな力を有するものである事が分かったからです。
どんな力なのか?
言うのは簡単ですが、言いません。
自分自身が気付いていく、その段階もとても大事なものだと思うからです。

最初はスポーツ感覚でヨガを始めてもいいと思います。
とにかくやってみる事が1歩ですから。
そこから深くヨガに入れる準備のある方にはきっとその先の動きが生まれてくるはずです。
実を言えばヨガに限ったことではないのです。
自分に関係のある事から言えば、マクロビオティックからそちらの境地に入っていく人もいるし、teateセラピーからそちらに入る人もいます。
私もヨガから始まりteateに通じて、その先のきっかけがあり今に至っているわけです。

大事なことは自分を見つめる事。
それは自己中心的になるのとは全く別の事。
自分の中心軸を見つけてみよう。

他人の心は縛れない。
でも動かない自分を作ることは可能です。
動かないというものまた自己中でもなく我が強いというのでもありません。
動かない自分が出来ると、むしろどんな事も許容出来る柔軟な心が生まれます。

それが何より大事なことではないかと私は思います。(注:私はあくまでまだまだ修行中