「丁寧」であることがセンスそのもの(HIROのくだらない話2021.4.2) | HIROのホリスティックヘルス探究記

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人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

前回に引き続き、「センス」の話をしようと思います。

前回も書きましたが、大辞泉によると、センスとは

”物事の微妙な感じを悟る心の働き。微妙な感覚。”

 

私の本業は歯科医です。

今は医療も「ビジネス」ですが、私は以前から言っているように、アホらしいですけど、やっぱり医療をしたいです。

技工士さんの腕がよく技工士さんが上手ければ、綺麗な白い歯を入れることができます。

どんなに土台となる歯の削り方が下手くそでも・・・。

そんなところ、患者さんは一切見れませんから、技工士さんではなく、先生の腕がいいと思うはずです。

いいんです、それはそれで。思いこむことも大事ですから。

ただ、私は、見えないところもちゃんとやりたいし、ちゃんとやったからお金を頂く人でありたいと思っている、というだけの話です。

実際に、技工士さんはじめ、うちにアルバイトに来た衛生士さんや、現従業員さん、元東京で一緒に働いていたスタッフさんなど、それぞれ自分が現在働いている医院で治療することも可能なのにも関わらず、「自分が、もしくは身内が治療をするならここで」と、私のところに紹介してきてくれます。ありがたいことです。が、み~んな「保険」治療なので、「ビジネス」にはならず、儲かりません(≧◇≦)

でも、信頼を得られていることは財産ですし、何が違うから、自分の医院で、ではなく私のところへわざわざ治療に来てくれるのか、は

「丁寧さ」

だと思うんですね。

歯科医であるからこそ、この「丁寧」という言葉について、すごく思い入れがあります。

歯科医の仕事は、ミリ単位以下のミクロン単位の仕事です。

そんな細かい仕事だからこそ、あともうちょっとの気が遣えるかどうか、っていうのが、もろに「治療のセンス」として現れてくるんですね。

患者さんにはわからないことかもしれませんが、センスを持つもの同士なら、治療跡を見れば、その差はしっかりわかるものなんです。

とはいえ、センスは自分で身につけるもので、元々持って生まれた感覚も必要だと思いますが、ここまでの人生をどう生きてきたのか、から始まるものだと思います。

過去26年間の歯科医師人生を振り返れば、やっぱり最初はなにもうまくできませんでした。

女性には珍しいのかもしれませんが、「バリバリ仕事ができる女」になりたかったんですね。

なので、女社長さん(憧れます)などと比較したら、断然負けを認めますが、そんじょそこらのおとーちゃんとの比較なら、同等かそれ以上の仕事をこなしてきたと自信を持って言えます。

悔しい思いも何度もしたけど、そんな風にしているうちに、「センス」が身についたのを実感するようになってきました。

 

「丁寧に」

と、言うと、急にゆっくりやり始めたりするものですが、ゆっくりやっても雑な人は雑。

ゆっくりやっているのに雑にしかできないのは、まだ何かをやり始めたばかりだから、か、センスがないか。

早くて雑は、もしかしたらゆっくりやればもう少しマシになるかもしれない可能性はある。

でも、本当に上手ければ、早くても丁寧。

そこが”物事の微妙な感じを悟る心の働き。微妙な感覚。”を使っているところ、なんですよね。

 

持って生まれた天才的なセンスを持っている人にはかなわないところも多々あるけれど

「努力するセンス」をもっていれば、後天的に「センス」を身につけることは可能です。

分かりやすく言えば、繰り返し繰り返し何度も同じことをやっていくうえで、微妙なコツをつかむ、ってことです。

が、繰り返しやること、が、まずできるかどうか、なんですよね。

 

繰り返し同じことを何度も

のレベル設定が問題で・・・

ここまでの人生をどう生きてきたのか、どう向かい合っているのか、の差がここに出るのですが

人によっては100回やったら「何度も繰り返した」と思うでしょうし、また別の人では1カ月続けてみてそう思ったりすることと思いますが

私は何をする時でも「年単位」でしか物事を考えません。しかも5年、10年の単位です。

歯科医でいったら、5年なんてまだペーペーで、10年でやっと最初の一歩のコツを覚え、センスが磨かれてきたのはその後だったなと思います。

ヨガでいったら、教え始めて8年たって、やっと「あぁ、そう言うことか」と、いろんなことがクリアになってきました。

ドクターとして患者さんと、インストラクターとして生徒さんと、責任ある立場に自分を置くことで、仕事以外の時間でも、常に意識を高めることが出来、結果センスを磨くことに繋がったなと、自分の体験では感じます。

一人のヨガスタジオメンバーとしてヨガクラスに参加しているだけだったら、今のような身体の使い方が自分でもでき、人にも教えられるというセンスは身につかなかったと、思います。一歩上の立場に自分を置く、という負荷を自分に掛けることも、センスを高める上で大事だったんじゃないかなとも思っています。

 

では、日常生活において、皆さんがセンスを高めるにはどうしたらいいのか、を提案しますね。

「一歩上の立場に自分を置く」ことができる人はそんなに多くはないかもしれませんが、仕事って大きな成長の場です。

仕事が嫌な時も多々ありましたし、今でもありますけど、仕事無くしてセンスは磨けなかったと断言できます。

仕事とセンスの関係については、来週書こうと思います。

 

その前にまず!

 

これが基本。そして全ての人に当てはまる、誰にでもできるセンス磨きは・・・

 

日常生活音を穏やかなものにすることです。

お皿を洗う時に音を立てないようにしてみる。ドアをバタンと閉めないようにしてみる。洗濯物をたたむときに子猫をなでるような手つきでやってみる。などなど。

そうすると、物がいつまでもつかえ長持ち、かつ穏やかな空気が流れます。

音を立てるのが普通になっている人はわからないと思いますが、音を立てないのが普通の人にとっては、一つ一つのことに音が立つような物の扱い方は、とても雑にしか見えず、扱われている物が悲鳴を上げているようにさえ感じ、と~っても嫌なものなんですよ。

物に触れる時、置く時などの、最後の最後の身体と意識のコントロールによってガチャンと音が鳴るか、静かな丸い音で終わるのかが違ってきます。

ガチャンとやっているのが普通の方には、これはかなり努力が必要になることと思います。

でもそれが、穏やかな音が普通になると、雑な音には耐えられなくなるはずです。

ここまでの人生をどう生きてきたのか、の差、こんなとこにもあるんですよ。

物がいつまでもきれいな状態で長く使えている人はセンスあるんじゃないかと思います。

すぐ汚れたり壊れたりするタイプの方~!

がんばろ~!!(●^o^●)

 

そんなこと、考えたことも無かった人もいるかもしれませんが、「センス」なんて簡単には身につかないです。

年単位で頑張ってみようと思ったら、是非「今、この瞬間」からちょっぴり気にかけてみてください。

そのセンスが、音に関してだけでなく、多くのものに結び付いていきますからね。

心の状態が、音には反映されていきますから、常に穏やかな音と共に過ごすってどういうことか?

きっとすぐに気付けると思います!

数年後が楽しみですね~(*^_^*)

 

そんなこと言っている私も、まだまだ足りない!

でも、自分が持っているものをさらに引きだしてくれるチャンスを与えてくれるような人との出会いに恵まれ、

かなり厳しいのは確かですが、頑張ってみようと思えています。

ただただ日々努力あるのみ。

皆さん、逃げずに、めげずに、言い訳せずに、自分自身をあきらめずに、頑張ってみましょうね!

 

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