今日のメディテーションでは天外伺朗(てんげしろう)さんの「運命の法則」という本の内容を紹介しました。天外さんはソニーのCDプレーヤーや、ロボット犬AIBOを作った方です。
その中からいくつかのポイントをかいつまんでお話ししたいと思います。
”今の社会では、人間の行動は、金銭、地位、名誉などによる期待(外発的報酬)や、処罰や不名誉に対する恐れ(外発的処罰)に反応して行動するように条件付けられている。ところが、人が喜びを感じるのは、いかなる報酬も生まない内部に込み上げてくる喜びや楽しさであり、これを内発的報酬といいその状態を「フロー」という。
このフロー状態の特徴は
1、行為に集中、没頭している
2、ウキウキした高揚感
3、雑念がほとんどわかない
4、時間感覚の喪失
5、自分自身の感覚を喪失している
6、その場を支配している感覚。自分が有能である感覚。
7、周囲の環境との調和感、一体感
このフローの状態が極まると「深いフロー」と呼ばれる状態に達することがあり、これは深い瞑想状態に入った時とほとんど同じである。
それとは別に、あらゆる人の日常生活の中にも、きわめて浅いフロー状態が存在する。それは、ボーっとして雑念が出るにまかせている時や、喫煙、意味のない対話、音楽を聴く、本を読む、散歩する、といった何気ない行為の中にある(これをマイクロフローという)。
マイクロフローは一見、時間の浪費のように見えるが、人間にとってきわめて重要であり、自発的、創造的、積極的な感情を維持し、敏活さ、くつろぎの源になっている。
一般に私たちは、外発的報酬を目指した活動を有効な時間、それ以外を無効な時間と考えがちだが、仕事でも遊びでも、内発的報酬に基づくフローもしくはマイクロフロー状態を大切にすることが、スムーズな人生の秘訣と言える。”
以前私は池袋のとある歯科医院で勤務医をしていました。そのころ昼休みには、スタッフと一緒にいろんな妄想をして、意味のない会話を楽しんでいました。湘南にバーを出してみんなで働こう、とか・・・。妄想はどんどん膨らみ、ありえるわけがない話になるのですが、それがまたふくらみ・・・。何にもほかのことを考えず、ただただその馬鹿話だけに没頭し、最後には、こういう馬鹿話するのって楽しいね~って言っていたのを思い出しました。
そのころ私はタバコも吸ってました。今は吸いませんが、いつでも吸えるしいつでもすぐにやめれます。吸っていた理由は1つ。吸っている間の「ボ~」っとした感じが好きだったからです。今考えるとそれは一種の瞑想状態だったんだなと思います。この記述を読んだ時に、なぜそれをしていたのか、納得がいきました。もしかしたら、禁煙できない人の中には、このマイクロフロー状態を失いたくないから、という方もいらっしゃるのではないでしょうかね・・・。
”フローに浸されていると、偶然が次々起こり、出来事が収まるべきところに収まり障害が消える。フローは人生を変える膨大な力を秘めている。(「パワーオブフロー」からの引用)”
とはいうものの、外発的報酬を排除し、内発的報酬のみに基づき行動するってすごく難しいですよね・・・。
お金はいりませんからボランティアで全てしますって、言えませんよね。マザーテレサさえも、お金儲けがうまかったくらいですから。
フローが幸運の呼び水であるのに対し、不運の呼び水もあるようです。
例として「かつらを着ける」という行為が載っていました。
これはカツラが悪いのではなく、それが「自己否定」を形にしたものであるのが問題だということです。
”カツラを着けなくても、はげた自分を受け入れて無かったら同じことだが、かつらを着けることでそれを形にしてしまう。「自己否定」を表現して定着させてしまう。人は誰しも年齢を重ねておじいさんおばあさんになっていく。これは極めて自然な宇宙の流れだ。運命というのは、このような宇宙の自然な流れに沿っていると考えられる。その宇宙の自然な流れそのものを、運命と呼んでも良いくらいだ。かつらを着けることはその流れに逆らうことになる。運命に逆らうと運命に見離される。与えられた運命を受け入れるとやがてツキが回ってくるが、それに逆らってジタバタ暴れると泥沼にはまっていく。本当は運命があなたを見離すなどということは絶対に起きない。だから流れから外れるとそれを親切にも教えてくれる。運命の流れと違う方向に泳いでいるぞとわざわざシグナルを発してくれるのだ。そのシグナルは、何とはなしの居心地の悪さや、不快感、さらには人生がなんとなくぎくしゃくしてくることで表現される。”
自己否定。これもまたやりがちですよね・・・。
ヨガのインストラクターとして、ここではカッコ良いこと書きたいとこなんですけど、実際は私もかなり自己否定の強いタチで困ってます。
「私があなたなら、自信満々なのに、なぜ?」過去に何度そう言われてきたことか。それでもやっぱり自己否定はなくならないですね。
カッコ良いことばかり並べるより、そういう本音、大事ですよね?
あぁ、自分だけじゃないんだなぁって、共感もあるんじゃないかと思います。
これって多分、最初に書いた外発的報酬とも関係あると思うんです。
私は歯科医でヨガのインストラクターで、最近YouTuberにもなりました・・・って自分を紹介します。
それらの肩書を取ったら・・・?
残るものがないんでしょうね。
私はあまり家のことを話さないのですが、多いのはご自身に肩書がないと「主人が」「子供が」「友人が」という前置きになるパターンですね。
これも私と同じでそれがなかったら、残るものがないんでしょうね。
”自己否定以上に、はるかに重い不運の要因は「うぬぼれ」と「思い上がり」
一見すると、自己否定とうぬぼれは正反対の精神状態に思える。かたや自らの存在を矮小化しており、もう一方は肥大化して認識している。しかしながらより詳細に検討すると、自己否定の代償作用として、うぬぼれや思い上がりが生じていることが分かる。心の中での自己否定に耐えきれず、それを何とか補おうとしてうぬぼれが生じるのだ。それは優越感というのが劣等感の代償として出てくるのと全く同じだ。
分かりやすい表現を用いると、自分としての「軸」がぶれていなければ、自己否定も起こさず、うぬぼれることも無い。そして運命はその「軸」がぶれていることを必ず教えてくれるのだ。
大多数の人気者は、尊大でおごり高ぶっている。にも関わらず、彼らには勢いがあり順風満帆であり、不運に見舞われているようには見えない。先の宇宙と運命の法則から外れるのではないか?という疑問もあるだろう。
それに対する解答は、あまり歯切れが良くないかもしれないが、
「不運」などをぶち破っていくエネルギーがあれば、力強く人生を歩んでいける、ということだ。山のようなトラブルにあっても、それと戦って自分の人生を切り開いていけるのだ。”
「軸」
これはまさに現在の私自身の課題です。つまり自己否定をするのは、天外さんが言われている通り、自分としての軸がないからなんだと、わかっています。私が羨ましがられるのは、なんでも「中の上」以上にできるからです。自分でも、球技と車の運転以外はなんでも器用にやりこなせると思っています。
が・・・
それが災いなんです。良く言えば「多才」なんですが、全てに細く短い軸があるだけで、中心軸ってのが無いというか、ぶれるというか。「これだけ」、ってものが定まらないんです。
幸いなことに、この「軸」がめちゃくちゃ強い人に巡り合い、その人の「人となり」について知ることができています。
全く、凡人とは違いますね・・・。勉強になります。
言われることはめちゃめちゃ厳しいけど、一言一言に軸があるんだよなぁ・・。
つい先日も、この本を読んだ直後で「軸」無いなぁ、と思っていたところに、
「姐さんに軸ってもんは無いんすか?(この人は私のことを姐さんと呼ぶ)」って、グサッと突き刺す言葉を投げてきました。
本のことも軸のことも全く言っていないのに、そう来てビビったくらいでした。
なので、私自身の当面の課題は「軸」。
人生の「軸」です。
うすうすと気付いています。
数週間前のブログには、私がこの人生で本当にやりたかったものは歯科医ではなかった、と書きましたが・・・
その本当に達成したかったものは、恐らく「軸」が定まると自動的に達成できてくるものだと思います。
その「軸」を定めるために必要な「使命」はやはり歯科医。
しかも、貧乏、だけど、数字でもレントゲンでもなく売り上げでもなく「個」を見る、診る、観る、看る、どろくさ~い、現代にはほぼ存在しない歯科医。
これなんだろうね。
なぜかって言うと、それが医療界に単身でも飛び込んでみたかった理由だし、お金をいっぱいもらっているときより、患者さんの笑顔を見た時の方が心から嬉しいと思っちゃうから(時に涙がでそうなこともある)。
これが内発的報酬で、フロー状態だから、なんだろうね!
でも勤務医でこれをやると、売り上げになら無いから怒られるのが実情。
それでもそんな上からの忠告をぶち破っていくエネルギーを持った歯科医になればいいのか!
なんか、そう気付いたら、心が軽くなりました~\(^o^)/
最後に
「雑念が出ても、それはマイクロフロー状態で、意味のある大事な時間」
と知ったうえでの本日のクラスでの瞑想は、ご参加くださった方にもとても有意義だったようでした。
今までは、雑念が出るのはいけないこと、と思っていたけれど、それを悪いこととはせず、楽しむことで、「今までで一番心地良い瞑想ができました」、とおっしゃっていました。
マイクロフロー 大事にしましょう(*^_^*)