自分の人生を生きましょう(HIROのくだらない話2021.2.5) | HIROのホリスティックヘルス探究記

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人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

Every man dies. Not every man really lives.

誰もが死ぬ。が誰もが充実した生き方をするわけではない。(ウィリアム・ウォレス)

 

It's not enough to be busy; so are the ants.

The question is: What are we busy about?

「忙しい」だけでは不十分だ。アリだって忙しいのだから。

問題は、何をするのに忙しいか、だ。(ヘンリー・ロー)

 

今日はこんな2つの英語名言からメディテーションのクラスが始まりました。

私の両親は7年前と4年前かな?に既に他界し、その時に「当たり前のことって一つもないんだな」と、悟りました。

今はコロナで多くの人がそのように思っっていらっしゃるようですが、私はそれよりずっと前に人生を悟りました。

私は歯科医ですが、父は一度職を失った、単なる倉庫の管理人、母は小学校の教師でした。

医療職の家系ではありません。

私が大学生になり東京に1人で出るまでに、家族で外食をした記憶は1回だけです。

洋服を買ってほしくても500円のTシャツか1000円のスカートしか買ってもらえませんでした。それもずっと着られるようにウエストはゴムの少し大きいサイズしか買ってもらえなかったことを覚えています。

旅行に行ったこともありませんでした。

 

私は私立の歯学部に入りました。授業料の高さに加え、東京の家賃も田舎の浜松とは比較にならない額でした。

私はバイトはしていませんでした。全て両親が出してくれました。(入学金と授業料で約3000万円です)

11歳年上の姉の娘2人(姪っ子)は、私に憧れたようで、2人とも歯学部に入りました。

が、姉の蓄えは1人目で尽き、2人目の費用は全て両親が出してあげていました。

 

両親がなくなり、遺産相続をしました。

私と姪にそんなに大きな額を払いながらも、まだこんなに残っているなんて・・・。

こんなにあるなら、なぜスーパーの安売り食材しか食べなかったんだろう・・・。

毎日のように折りこみチラシに○を付けて、一番安いものを買っていたのを思い出しました。

たまには旅行に行って楽しめばよかったのに。

もっとおいしいものを食べればよかったのに。

もっとフカフカな布団で寝ればよかったのに。

疲れているならマッサージに行けばよかったのに。

 

数字が増えていくことだけが楽しみだったのだろうか?

なぜそこまで倹約しなくてはいけなかったのだろうか?

お金はこうやって置いていき、後で皆に分けられてしまうのに・・・

それで、本当に、良い人生だったのだろうか?

 

そう思いました。

両親の死は、私にとって考え方が変わる、1つの転機となりました。

 

私たちは皆、いつかは死にます。

それならば、自分のやりたいことをやって、後悔を残さずに死にたいな、と、思うようになりました。

人は皆、生まれる時に、今回の人生で定めた目標を持って生まれてくると言われています。

生まれると忘れてしまうのですが、何か達成したいことがあって生まれてきているのです。

 

私は親を継いで歯科医になったわけではありません。

なので、医療に対して情熱を持っていました。

が、その世界に入ってみると、金と欲にまみれた世界で、純粋に医療をすると、稼ぎにならないので怒られる、というのが現状でした。

それでも、土臭いかもしれないけど、私は「医療」をやりたかったので、ヨガやteateセラピー等も学び、一人の人を人間の内面から見られる医師になりたいと、頑張ってきました。

が・・・歯科医として26年が経ち、ここにきて「歯科医は私の目標ではなかった」と、感じています。

歯科医をする時には常に逆風が吹いていて、それに逆らってここまで来たけれど、もう疲れました。

真の協力者がいない状態で頑張り続ける事に疲れました。

でも、疲れ切るまでやったから、私が今回の人生で成し遂げたかったことがはっきりと分かりもしました。

その、真の人生の協力者(一方的でなく同等の力で協力し合う人)を見つけることがきっと目標です。

中途半端にやっていたら、きっと見えなかった人生目標だったろうと思います。

だからどんな時でも、「もう十分やった」と、思えるまで、何かをやりきることは大事です。

26年かけてやっとわかった人生の目的ですが、それが成し遂げられるかどうかは、これまた分かりません。

が、いままでの26年間と同じように、日々、なまけず怠らず、自分自身を鍛錬していくことで、おのずと導かれていくだろうと信じて進んでいくしかないな、と、経験上分かってます。

 

忙しいから今はあれができない、これができない。

そのうち時間ができたらね。

は、一生何もできない人の言葉だと思います。

その忙しさは、何の為の忙しさなのでしょうか?

日々の生活の為?

子供の為?

家族の為?

お金の為?

 

「人の為に生きる」のは、とても高尚なことですが、そこに執着や依存はないでしょうか?

子供の為、と時間を使い、子供がいなくなった時、自分はロスト状態になりはしないでしょうか?

お金はうまく使ってナンボです。持っているだけでは意味をなしません。

家で過ごす時間が多く芸能界の話にばかり詳しくなり、気付いたときには社会に適応できない自分になっていないでしょうか?

人の為に生きる、とは、執着や依存や見返りが全くない状態での生き方です。

そうでなければ、あなたは人の為にはいきていません。自分へのフィードバックを期待してそうしているだけです。

 

1日が24時間なのは皆同じです。

あとどれだけ生きるかは、誰も分から無いし、皆バラバラです。

 

もうこの世を去る、というその時に、私はその時の自分にできる限りの笑顔で

「良い人生だった。ありがとう。」

と言ってこの世を去りたいです。

 

自分の人生です。

自分の為に生きましょうよ。

後悔を残しても、誰もそれを補ってはくれません。

 

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